どちらも、球場で観戦した経験はほんの少し。ほんの少しだけど、特に真夏の炎天下にすり鉢の底のような場所で、猛ダッシュしたり一生懸命プレイできるのは”これっきり”だから。
甲子園球児であればプロになる可能性は高くなるけれど、プロとして通用するかどうかはまた別物。基本野球には興味関心の薄い人にまでその名(ついでに顔)が通用する選手になれるのは、ひと握り。
ほんのひと握り以外は学生のうちだけやこれっきりだから、自身で決めた上限のなかで全力投球。
プロ野球の年間試合数は、高校野球の試合数の何倍になるのか知らないけれど。シーズンが長くなって試合数が多くなれば、手の抜きどころを身につけないと体力がもたない。
顔と名前がその分野に関心がない人にまで知られている、ひと握りのスター選手であれば気が抜けないけれど、手が抜けないかわりに”他の手”を借りてくる余裕がある。
トレーナーや何か。”他の手”を借りる余裕がなかったら、手を抜くところを見つけつつコンディションを保つのもプロとしてのお作法で、作法が身についたプロがたくさん揃っているから産業が成り立ち、産業になって産業が盛り上がるほどに”他の手”がより借りやすくなる。
10がんばっても1の失点でランクが下がる。一進一退で、手順を踏まないと次へと進めないのは手の抜けないところ。手順を守らなくても二階級三階級すっ飛ばしてランクが上がっていくのは手抜きができるところで、手の抜きどころを間違えるとそもそも生き残れない。
高速道路は突っ走ればいいだけで、突っ走っても引っ繰り返らない自信=ハードに対する絶対の安心=ハイテクな乗り物があれば大丈夫で、その場合丈夫な乗り物に乗っている人(=ソフト)は手抜きができる。全力出してがんばらなくてもいい。
(ここから見るとところどころ湾曲していて、まるで小川のようだった)
早くからプロをめざし、競争社会でもまれていると手の抜きどころに自覚的で、遅れて競争にめざめると手の抜きどころを学ぶ前に体を壊す。
だから、ぶっ壊れても全力投球で前に進むのは本当のニューカマーで、ニューカマーにも手厳しいのは本物の産業があるところ。
(豊平川の堤防、水は流れてないけれどここも小川)
本物の産業で競争にもまれているから手を抜けず、抜いた分は如実に産業にはね返ってくる。
余裕のある産業は、他の手を借りてくる余裕があるから余裕の層が厚くて多様。余裕のある多様な層に厚く支えられているから、産業もより安泰になる。
(本物の原野を歩かなくても、原野を歩いているような気になれる)
全速力で突っ走らなくてもいい場所が、ちゃんとある。
それは逆説的にとても競争の激しいところで、突っ走ってぶっ壊れる。わかっていても突っ走らないと生き残れなかった。そういう繰り返しが生んだんだろう。
上から見ると、鳥が羽を広げているようにも見えた。背後を振り返ると山並みが見え、山から鳥が飛んできたようにも見える構図。本物の自然を街中に再現するのはピラミッド建設にも似て、環境や条件が揃わないとできっこない。