クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

高効率のススメ

生活してる場所に生活の匂いがあるのは当然で、生活してる場所、それも長時間過ごす場所にもかかわらず、いつもピカピカだったらその秘訣は念入りに掃除をしているからに決まってる。

 

生活してる場所がいつも小奇麗な人は、だからだいたいスリム。

 

というこれは個人の感想で、運動する場所が極端に狭くて限られていても、運動量が多いから運動不足にはならずにスリムな体型を保てているんだと思ってる。

 

大豪邸なら、いざ知らず。毎日使う生活の場所を、毎日ピカピカに磨き上げていたら、お掃除がエクササイズ代わりになって、お掃除サービスなんていらない。使わない。

 

必要となるのは、毎日ピカピカに磨き上げるよう心掛けていても、どうしてもとれなくなる、特殊な道具や溶剤を必要とする汚れを取りたい時くらいになって、特殊な道具も溶剤も使えないお掃除サービスは使う理由がないから、その種の”他人に頼むサービス”そのものが、高度になっていく。

 

家庭内のお仕事を専門にこなす、専業主婦や主夫がいると、他人に頼むサービス産業は育たない。自分でもできる範囲のこと以上を求めるから、チェックは厳しいわりに払いは渋くて、産業としてペイするにも時間がかかり、時間だけがかかり過ぎると産業にもなれない。

 

アンペイドワークは、たとえばエクササイズがわりのように、働き手にもなんらかのメリットがあると金額の多寡とは関係なく、アンペイドワークであっても良質な働き手になりえるんだけど。

 

良質なアンペイドワーカーが、趣味的かつ意欲的にこなすお仕事の質は高くて、たとえばお掃除ならいつでもピカピカにもなるけれど、趣味でもなく意欲的でもなくイヤイヤこなすアンペイドワークには、どうしたって質は期待できない。

 

質は期待できないと最初からわかっているから、期待しない。

 

アンペイドワークに対して、そう了解している側は最初から多くを望まないし、アンペイドワークに対して多くを望む方が、どうかしていると考える。

 

そこはすでに、趣味の場でもなんでもない。明確に金銭が動く場で、コストとプロフィットも呆れ返るほどはっきりしてるのに、プロフィットに目をつぶってコストだけを担わされるのなら、わりに合わない感情が生まれるに決まってる。

 

割に合わない感情が、生まれるに決まっているのに放置されるのなら、それはわざとで作為的。

 

生まれるに決まってる、割に合わない感情をエネルギーとして利用して、どうにかこうにか前に進む。割に合わない感情が生まれてくるのをまず待たなきゃなので、高効率が歓迎される場ではその種のエネルギーは歓迎されず、高効率を歓迎しない側からの招待状なんだと思えばまず間違いない。

 

効率を度外視すると、大抵の場合非効率競争が生まれるから、マイナス方向に大きく足を引っ張りたい時は、非効率へと大きく舵を切るようになっているのが、非効率を尊ぶ側なんだと、これも勝手に思ってる。