クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

担当違い

嘘かホントか知らないけれど。スティーブ・ジョブズは黒のトップス(もしくはニット?)がお気に入りで、同じブランドの同型同色を何着も持っていたんだとか。

 

公の場、もしくは大衆の目に晒される場合という限定条件付きだったにしても、ファッションをパターン化することでファッションに対する意思決定を最小にし、脳ミソは別のことに使いたいというメッセージにも読める。

 

一過性ではない、社会の目立つ場所にいる人の何らかの意思決定やふるまいは、それだけで強いメッセージとなり、一過性でないだけに、そのうち世の中の方も変わる。ポイントは、一過性ではないこと。

 

献立を考える時は、まずは和・洋・中の3パターン時々エスニックから選ぶようにしている。和・洋・中+アルファの中から、魚か肉か魚でも肉でもない主菜をまず決めて、次に味付けのパターン、塩・こしょう味やしょうゆ、みそ味にケチャップやオイスター味を決めて、合わせる食材をざっくり決めていく。

 

いちいち自身で意思決定しなくても、リスト化にでもしてみれば、献立に関する意思決定は省力化できる。できるとわかっていてやらないのは、結局のところパターン化すると抜け落ちてしまうその部分が惜しいから。

 

明らかに洋ではない。かといって、和と言うにはあまりにも中華寄り。みたいなレシピの落ち着き先でいちいち悩みそうだから、リスト化なんてできないとわかっている。だからやるんだったら、もっと原始的なやり方になる。

 

白いご飯がすすむ食べ物は、だいたいパンにも麺にも合う。だからマンネリ化した献立の目先を変えたい時には、ご飯に合わせていたものをパンや麺に合わせてみると、ちょっとだけ新鮮味が出せる。

 

ご飯に合うものはだいたいパンや麺にも合うのは、ご飯を炊く時には水しか使ってないからだと個人的には思っていて、だから応用範囲が広い。

 

パンや麺にはバターの油分や塩気があるから、パンや麺なら合うものをそのまま白いご飯に合わせても、必ずしも美味しくなるとは限らない。

 

カルボナーラは美味しいけど、パンならともかく白いご飯にそのまま合わせても、そのままだとあんまり美味しそうじゃない。ドリアにするとかピラフのソースにでもアレンジするとか、ひと手間がないとちょっと無理っぽい。

 

ひと手間かけないと、やっぱり合わせられない。そういうものに対する手間を惜しむと、“異なもの”としてどこまでもドメスティックにとどまって、エスニックという土台にさえ上がれないのかも。かもかも。

 

沢庵ポリポリという習慣は持たないけれど、ピクルスならポリポリしてる。いぶりがっこのように燻したものだと、クリームチーズと和えると美味しいと知っている。やったことはないけどごま油でジャコと炒めると応用範囲も広がって、ご飯どころかホットサンドの具にだってなりそうだと思う。

 

食材を普及させるためのひと手間と、普及した食材にひと手間かけて工業製品にする試みは、全然まったく別のもの。全然まったく別のものだから、そもそも担当が違うんだと、これもまた勝手に思ってる。