クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

続編ができるファミリーの作り方

神出鬼没で変幻自在。情人なら秒速で作れそうな男が同居人としてまず最初に選んだのは子供。

 

母のいない子供のために女親を求めるのはただ女漁りをするより自然で、経緯はどうあれ学齢期の子供を持つ夫婦が子供によりよい教育を求めて名門校を目指し、名門校でよい成績をめざして家族ぐるみで努力するのも自然。

 

映画を見たい気分だったので、新しくできた映画館で『劇場版 SPY×FAMILY CODE: White』を見てきた。時間的にちょうどよく、掃除する時や料理を作る時に家事の邪魔をしない家事のお供として重宝してる、内容も知ってる作品だから選んだ。

 

難しいことも面倒なことも考えず、ただ愉快な気持ちになりたい時にピッタリでリラックスした。字幕でもなく何しろアニメだから、映画館の離れたスクリーンでも問題なく見れた。ついでに日頃見ているニュースなどの情報番組が、文字情報を多用してることもよくわかった。

 

ストーリーがどうであれ(面白ければなおよし)、ただアーニャがロイドがヨルが動いているだけで十分満足。それだったらと犬や猫、ウサギなどの愛らしい小動物が映って動いていても個人的には満足できるけれど、それだときっと興行にはならない。

 

魅力的なキャラが生まれたら、あとはラク

 

最初は黄昏ことロイド・フォージャーひとりから始まった作品に、アーニャにヨルといった主人公に加えてレギュラーといっていい登場人物が10~20人。それだけメンバーが揃えば、好き嫌いはあっても見てる方は飽きない。

 

今回の劇場版では子供のおやつを横取りして顰蹙を買った人物が敵役として登場したけれど、どれほど強烈で強い印象を残したとしてもレギュラーとしてスパイファミリーにファミリー入りするかどうかは未知数で、ファミリーにとって重要なのはほとんどセリフも登場シーンもない次男(ダミアン)の父親デズモンドの方。

 

何度も読み返したい、見返したいお気に入りのシーンに10人も20人もいらないけれど、何度も読み返したい・見返したいと大勢に思ってもらうためには興行や興行的成功が欠かせない。

 

そして興行的に成功している作品にはやっぱり興行的に成功した過去の作品の面影がある。

 

例えばターミネーター、例えばラピュタ。あるいは冒頭のシーンでは、私の世代なら有閑倶楽部ピジョンブラッド事件の面影を見る。アーニャという女の子が主人公ながら尾籠なシーンを入れてくるあたり、下品だと顰蹙を買ったというクレヨンしんちゃんを踏襲してると思えなくもない。

 

異性を誘惑、死闘を繰り広げる、顰蹙を買う。それらのワードを手掛かりにどのようなシーンを思い浮かべるのかには、きっと世代や文化の差が現れる。ある分野における普遍的なものを知っていないとあるいは使わないと、ある分野における普遍的なものは作れないということでもあるのかも。

 

主人公を含めて10人から20人のコアメンバーを揃え、普遍的なものをめざして普遍的だと知っている普遍的な表現を使うと(あるいは真似すると)、普遍的なものにより近くなる。

 

”ファミリー”は、家族を意味するだけじゃない。

 

神出鬼没で変幻自在。不自然なひとりの男から始まった作品も、家族を持ち、家族持ちならやりそうなことを重ねていくうちに、より自然に周囲に受け入れられていく。家族・友人・上司や部下に同僚。主要メンバーが揃わないうちは仲間内で役割を兼ねることで、ファミリーの結束は強くなっていく。

 

強いファミリーが崩れないことで、ファミリーはより強くなっていく。

 

日本のアニメだったら、例えば名探偵コナンドラえもん。その種の作品にあんまり親しんでいなくても、回を重ねている、何度も映画化されていることは知っている。

 

何度も映画化作品が作られる=何度も興行を行ってる作品とそうでない作品を比べたとき、きっと決定的に違っているのは作品に連なっているファミリー。

 

それは作る側かもしれないし、見る側かあるいは兼ねているかもしれないけれど、何らかのファミリーが含まれない限り、何度も劇場化されるような作品は生まれてこないのかも。だから続編が出る作品は、気合の入り方や支援が最初から違う。

 

常勝は、勝たなくちゃいけないからそうなる。

 

問題作を叩きつけ、それでおしまいにはできないから問題作にはしない。それがアニメでも実写でも。あるいは戦隊もののようなものでも。彼が、彼女が、あの子が出て動いているなら満足。

 

だったら、誰が作っても誰が唄わせても構わない初音ミクのようなもので、毎回ヒット作を作らねばという重圧からも解放されるから、作る方もきっとラク

 

冒頭のお城のような場所でのパーティシーンをリアルに作ろうとすれば、リアルなお城所有者の使用許可がいる。リアルを損ねずリアルにモノを作ろうとした時のコストと収益とリアルでないものとを比較した時にラクを選ぶのは現実的で、ラクでない方を選ぶのは非現実的。

 

非現実的なものは今を見なくてもいい、過去か未来を見ている方のすること。

 

何度でも読み返したい見返したい原作に親しんでいたら原作を選び、今さら原作を見返すのも読み返すのもちょっととハードルが高かったら、原作のメディア化の方により親しむ。ということでもあるのかも。未来の”原作”ではどのような意味が足されて拡大されるのか。想像できるのなら過去を見て未来を見てる。

 

ある特定の時間を、胡散臭くも怖くもない、安全で安心できるできれば快適な場所で過ごせればそれでいい。繁華街の目立つ場所にある商業施設にはそういう側面もあり、そういう日がくることを見越し、開発余地がたっぷりあった最初期にそういう場所を抑えた先人の先見性にもただ恐れ入る。

 

そういう人が作るファミリーだったらそりゃ強くて、ターミネーターみたいのだって揃っているんだろう。