節分の日はイワシだろうと、今年はイワシで押し寿司を作ってみた。
(一日置くと、酢飯もしっかり固まった。当日は、固まりきらない酢飯が崩れてしまった。。)
ほんとは節分といえば、丸干し。だけど、丸干しだとアイデアが浮かばない。鯖と同じくイワシも青魚。押し寿司といえば鯖寿司なのは(出身地によっては鱒も有り)、やっぱり成型しやすいからなのか。酢飯のかたまりをすっぽりと覆ってくれる大きさがあって、イワシよりも身崩れしにくい。
流通しやすいものには、やっぱりそれなりの理由がある。流通など気にしなくてよかったら、好きに作れる。
身崩れしやすいものは断面を見せればよく、見栄えにこだわることで小細工へと細分化して、新しいジャンルが誕生したのかも。
チョコとプレーン。2種類のスポンジケーキを交互に組み合わせた断面が市松模様のケーキを初めて見た時は驚いた。きれいに作るにはそれなりの練習が必要だけど、それなりで十分以上の手応えがあったらそれでよし。
と、そこで止める。その先に進まないのも、果てなど見えない世界では一種の勇気で英断なんだと思った。
雪まつり初日は快晴で、雪の白さがまぶしかった。
大雪像のひとつはゴールデンカムイで、杉元とアシリパがお友達をいっぱい連れてきた。そう言われても納得するくらいアニメやゲーム、サブカルキャラが例年になく多いように思った2024年のさっぽろ雪まつり大通会場。
何かのキャラクターなんだとわかっても、何のキャラクターかまですぐにソレとわかるものはそう多くなく、万人が知ってるキャラクターはやっぱり偉大。藤井君の雪像も、近くで見た時には誰?で、実在の人物の顔は高難度。
知名度のあるキャラクターはひと目を惹くけれど、日本らしさあるいは北海道らしさを求めて雪まつりを見に来た人が記念撮影したいと思う雪像は、知名度のあるキャラクターとは限らない。
ゴールデンカムイ=網走監獄=知床世界遺産で道東経済振興に。初音ミク=雪ミク電車=札幌観光で道央の経済振興に。もはやキャラクターと言えなくもない新庄=Fビレッジで北海道の知名度向上に各々多大なる貢献があると知っている。
だからつい写真だって撮りたくなるけれど、何がどの辺に貢献しているのかわからなかったらスルー。ついでにサングラスで新庄とわかったものの、サングラスをしてなかったらやっぱり誰これ?で、”サングラスをかけさせた”という辺りがキャラ映えの成果。
架空のキャラであってもリアルと結びついていると、強い。姉妹都市とか。
大雪像のひとつ3代目の札幌駅舎は、プロジェクションマッピングで彩られると見栄えも増して、夜見る方が細部までくっきりはっきり。駅舎が低層なのも、ゴールデンカムイの世界観と合っていた。
陰影が加わると、真っ白だった雪像にも奥行きが足されて見応えが増すけれど、天候によっては完成時のまま雪像を鑑賞できるとは限らない。
晴れてる方がいいけれど、気温が高過ぎると雪像あるいは氷像だから解けてくる。雪に降られればせっかくの雪像も台無しだけど、そもそも真冬のイベントで雪が降らない方が珍しい。基本快晴だったものの日中は小雪が舞い、晴れてたから雪像が解け出すのも速く、昼間と夜では同日であってもすでにまったく同じではなかった。
このネタ、来年はもう苦しいかも。その反面、2023年に何があったかを思い出すにはちょうど良さそう。
必ずしも好コンディションで鑑賞できるとは限らない。というお天気まかせなところも、アートに振り切らない雪まつりのいいところ。完成度を高めても、天あるいはお天気は無情。という時もあるから、見ている方は飽きない。
(これはアートに振り切った方)
たくさんある雪像や氷像のなかでは、今のところいちばんのお気に入り。
河童が海老をかぶってかっぱえびせんより、万人受けしそう。見に来る人が日本人ばかり、平均年齢高めばっかりだったら、かっぱえびせんでよかったんだろうけど。
神は細部に宿るで細かいところを見ると、より楽しめる。キャラに頼らずアイデアで魅せる工夫は、雪像が多少崩れても素晴しい。
控えめな展示↓親善は一日でならず、控えめかつ見えない努力の結果。
雪まつりとは関係なく、あら素敵と思った雪だるまのビフォーアフター。どれほど完成度が高くとも天は無情で、跡形もなくなってしまうのも雪像という素材のよいところ。
完成した瞬間がもっともクオリティが高い。雪像は動かないけれど、天候(=環境)由来で時間の経過とともに変化する。単なるオブジェクトだったら変化しない方がいいけれど、単なるオブジェクトではないから変化する。そういうものだと思って、今年も雪像鑑賞を楽しんだ。
毎年開催される季節のイベントが、滞りなく行われる。その事実がすでに喜ばしい。