クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ランドマーク

昼間はそれほど目立たない京都タワーは、夜になるとライトアップされて白く輝く。

 

京都タワーが見える距離まで戻ってくると、あぁ京都に来たなという実感も湧いてきたものだった。

 

昼よりも夜の方がその気持ちは強く、誰もいない真っ暗な部屋に戻ってきた時よりも、明かりが灯り、人の気配がする部屋に戻ってきた時の方が、ただいまという気持ちがより強くなるのと似てる。

 

昼間はさほど目立たない。夜になるとライトアップされるランドマークといえば、今は各地にあるけれど。

 

例えば札幌ならテレビ塔で、すすきののニッカの看板で、人によっては大倉山のジャンプ台でノルベサの観覧車。人は入れ替わっても、ランドマークとなる建物は、早々入れ替わったりしない。

 

今となってはエッフェル塔なしのパリなんて考えもつかないけど、パリにエッフェル塔が出来た時は、悪評も相当なものだったとか。

 

新しいものは、古いものから大体嫌われる。“ホームタウンのランドマーク”の新旧交代ともなればなおさらで、定番が変わる時は古くからの贔屓筋ほど喧しく、定番が入れ替わった後は、新しい贔屓筋が古いものを嫌う。

 

次々と人がやって来て、去っていく。都市はそういうもの。

 

都市が大きくなるほどに流動性も高くなり、流動性の高い都市では都市の顔となる人物も次々と入れ替わる。

 

誰が、いつ、どうしてそんなものを建てようと思ったのか。理由さえわからなくなっても、それはそこにある。人の一生よりも長生きな建物がそこにあると、都市の顔も人ではなく建物となって、ただいまと言いたくなる人がいなくなった後でも、帰ってきたという気持ちも長持ちする。

 

周囲の景色にそぐわないランドマークが出現すると、たいていは悪評ばかりが強くなるけれど。誰もいないように見える、暗闇ばかりが目立つような場所では明かりが灯るランドマークは貴重で、明かりが灯ると人の気配もより濃厚。

 

24時間ピカピカじゃなくても都市は大体いつでも明るく、大都市ほど明るい。明るい場所めざして人が押し寄せてくるなら、明かりに飢えている人が多いということで、足りない場所に明かりをともせば人の波もやがて収まる。

 

簡単に壊れないランドマークはいつでも明るく、どうせ作るなら壊せないように作っておくと、ランドマークの周囲はいつまでも明るいまま。ランドマークのための習作から、徐々に明かりが消えていったとしても。

 

ランドマークが複数ある都市は、ランドマークの数だけ多様性を反映していて、一見複数に見えるけど実は出所は同じランドマークしかランドマークになれない都市は、結局のところ多様性なんて認めたくないところ。

 

だからランドマークに明かりを灯し続けるために、次々と新しいランドマークを作り続けることになる。