都市と自然が近いと、野生動物も都市化する。
フサフサの尻尾はくるりんと弧を描き、餌で膨らんだ頬袋はプックリ。一見無心に餌にかぶりついてるように見えるけれど、その実しっかりカメラ目線で視線の先には「動画撮影中」の「外国人旅行客」の姿。
リス、かわいい~~~~と、大騒ぎして大喜びしてくれる相手の前でしか、どこからどう見てもキュートでとびきりカワイイ姿は見せないよう出し惜しみでもしてるのか。
リスがテッテッテーと走り回る姿は、何度も見たけどね。
カメラ写り、あるいはメディア受けがいいとお得が待ってると、すでに学習した野生動物は野生と呼べるのか。
ホラホラ、あんた写真撮りたいんでしょ?さぁ撮りなさいよと言わんばかりにカメラの前で次々にポーズを変える、人に対する警戒心ゼロなキタキツネとか。居たな、そんな奴も。
都市と自然が近く、野生と呼ぶには人に慣れすぎ都市に適応し過ぎた動物と人が混在してると、気分はちょっぴりサファリパーク。全部が全部そうではないけどさ。そのうち奈良の鹿のように人慣れが進むと、野生のはずの動物が大挙して市中にも進出してくるのかも。
外敵がいないと、のーびのび。
熊のようにナリがデカいと駆除の対象にもなるけれど。見た目が愛らしい小動物だと、駆除の心配とも当面は無縁で、テッテッテーと走り回っていても安心。ロコな人は見向きもしない。ついでに餌も豊富。
餌が豊富だと、豊富な餌に簡単にありつける場所めざして勝手に繁殖する。
人が持て余すほど木の実が豊富だとリスのように木の実を餌とする種が増えて、人が持て余すほどリスが増えたら次はリスを餌とする種が増えて、自然が回復していくのかも。
特定の種にだけ都合のいい餌が豊富だと、特定の種しか増えないからアンバランスで、アンバランスで不安定だと、一時的に増えても後は続かない。自然ほど変わり身が早くて、その姿を変え続けるものもなし。
不自然にはネガティブな響きもあるけれど、最善の時、もっともよかった頃で時間を止めた不自然は、どっちかっていうまでもなく人為のたまもの。
環境が変わり続けるなか、変わらないことを選んで変わらないままでいる方が、どう考えてもエネルギーが必要で、エネルギーが切れたら変わらざるを得ないのかも。
エネルギーが切れてエネルギー源が変わったら、変わってないように見えても根っこから変わってるから、そのうち見た目も大きく変わる。まずは見た目から変わるよりも、エネルギー源そのものから変わる方が、変化や変動は大きくなる。
これ見よがしにひどいことをするのは、決してひどいことはしないしできないようになってるものを、最短で動かすため。最短距離を選ぶのは余裕がないからで、余裕がないと、悪知恵がよく回るようになる。