クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

男の顔が必要とされるもの、なーんだ?

ブログというオールドスタイルなサービスに、今はいったいどれほどの需要があってユーザーがどれくらいいるのか。サッパリ見当もつかないけれど。

 

今のタイトルでブログを書き始めたのが2013年だから、月日が経つのはあっという間。最近は自分が書いたもののなかに、昔よく読んでいた何かの影がうっすら浮かび上がるようで、自分でもアララと思っている。

 

食べたものから自分の身体が出来上がるように、見聞きするものから思考の型も決まっていく。そんな感じ。

 

いろいろ書いてきた中でも、今でも気に入っているのは『戦争は女の顔をしていない』について書いたエントリー。『戦争は女の顔をしていない』というタイトルは、つくづく秀逸で意味深。

 

マーサ・スチュワート的なものを好むのは女性で、だから戦争は女の顔をしていない。女性的なもの向きではないと考えることもできるから。

 

じゃあ女性的なものって一体何さと考えると、無用な流血も残酷なものも嫌うし厭う。不衛生な環境も、道なき道を行くような過酷さもイヤ。身を飾り立てる、身綺麗でいる、美食に代表される余裕の産物を好んで、軽やか。

 

あたりに落ち着くんだけど、そんなの今となっては性差を問わず、先進国に生まれ育ったものすべてにあてはまる。

 

とはいえ流血沙汰にも残酷なことにも、不衛生で過酷な環境にも耐性があって強いと戦争に向いているということになり、その種の資質が備わっているものが性差を問わずに集うのが、かつての戦場。

 

戦地に向いている人材を性差問わずに集めた時、もっとも出世するのは流血にも残酷さにも、不衛生で過酷な環境にも強い人材かというと、現代ではきっと違う。鉄砲玉や汚れ役といった、損な役回りが回って来るばかりで、どっちかっていうと出世とは縁遠そう。

 

適材適所で人員を配置して活用できて、地の利や時の運を読むこともできて人員の補充にも苦労せず、人望あるプロデューサー型だとより出世しやすそう。と、勝手に思っているけれど。営利企業で出世しそうな人物像とも重なって、マネジメントという点ではどんな組織であっても大差はないのかも。

 

性差を問わず、一緒に働けたら生き延びる確率も上がって、得をする。そういう評価を確立した人物に率いられると、戦意も高くなって成果も上がりそう。

 

ジュブナイル育ちとしては、脊髄反射軍産複合体には悪のイメージを抱きがち。だけど見方を変えると、産業と結びついていれば戦場に立てなくなったとしても第二第三の人生が用意されていると読み替えることもできて、マイナスイメージが払拭される。玉砕とは真逆。軍産複合体を、褒めてるわけでは全然ないんだけど。

 

特殊な技能を持っているから、再就職にも困らない。あるいは有利なことが誰の目にも明らかになった時、ねたみそねみが盛り上がって実像、あるいは産業としての姿が正しく評価されず、人材の獲得にも苦労する羽目に逆説的に陥るのかも。

 

実際のところ、苦労なんて全然まったくしてなかった。パートナーにも困らず経済的余裕にいつも恵まれているのなら、その職業は余裕で食っていけてどっちかっていうと高嶺の花の類。

 

再就職先に困らない業界に、優秀な人材が集まってくる。そこに性差はない。

 

もしも、特定の職業や産業に片方の性、女性ばっかり男性ばっかりという性差の偏りが著しく目立つ時は、例えば再就職先に困らないといったおいしい職場だから、既得権益化して偏ってくる。別の性を排除しようとする阿吽の呼吸でも働いて、そうなるんだと個人的には考える。

 

組織内がどの方向を向いていようと、勝手といえば勝手。

 

とはいえ、右を向いても左を向いても、結局営利やあるいはどんなカタチをしていようと報酬(あるいは給料や支払い)からは逃れられず、逃れられないからどんな組織も結局は営利に習うか反面教師としつつ存在していて、早くから自覚的だと有利で自覚が遅いと不利。ただそれだけ。