クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

言い換える

三国志演義のなかで、呉の孫権がいちばん好きという人は多分変わってる。

 

大衆ウケするヒーローっぽく描かれることの多い劉備か、それとも正統派貴公子ダークヒーローっぽく描かれることの多い曹操が好みならまだわかる。あるいは智謀の人で名参謀の諸葛亮孔明なら、国を離れても余裕で生きていけそうだから、今だったらよりファンを増やしそう。

 

それに比べると呉の孫権は、すごく地味。わかりやすい長所を見つけるのが難しい。

 

とはいえ、大衆ウケするヒーローっぽく描かれることの多い劉備が建国した蜀は、結局正統派貴公子ダークヒーローっぽく描かれることの多い曹操が建国した魏に滅ぼされて、歴史から消える。

 

蜀も魏も。ヒーロータイプ、それはつまり影でも光でも魅力的なエピソード豊富な人物が興した国は、結局長続きしなかった。個人に名を成さしめるだけで終わってる。魏は晋へと名前を変えて、戦乱を制して結局は天下統一すんだけどさ。

 

魏が晋に変わった後でも呉は生き長らえ、三国の中でも結局もっとも長命だったと考えると、戦乱の世で長く続いた国を興した孫権の見方も変わる。

 

二代目社長で潰れ、競合にM&Aで吸収合併されて社名が変わって会社そのものは長く存続するけれど、最後まで外様で主流派にはなれない国が、蜀。

 

業界のリーディングカンパニーで、創業家は二代目で退場するけれど、賢臣にめぐまれたおかげで社名を改めたあとは、競合と合併してより大きくなった国が、魏かつ晋。

 

創業者が競合と組んで協働した、歴史に名を残す華々しい活躍のおかげで業界では知る人ぞ知る存在となって創業家からは四代続き、内紛の絶えない末期を経て業界最大手に吸収合併された国が、呉。

 

よくも悪くも、頻繁にニュース種となって短命で終わる国と。最初こそ注目を浴びるものの、あとはひっそり業界の重鎮として謎の存在感と知名度を保ったまま、業界最大手に吸収される国と。

 

どの国あるいはどの創業者についたら、戦乱の世であってももっとも平穏かつ自分に合った生き方ができるのかと仮定することができるから、この種の戦乱を制する英雄列伝的なエンタメは、なくならない。

 

ただし、三国志水滸伝、日本を舞台にしたものだったら戦国時代に幕末・維新のヒーロー伝のようなものが大衆に受け入れられるには、階級移動が容易で下剋上可能な社会環境とワンセット。

 

下剋上や階級移動がただの誇大妄想かつ古代妄想となる社会環境では、好まれるヒーロー像も変わり、影でも光でもエピソード豊富なヒーローでさえ不要となる。

 

言い換えは便利なもので、表現の仕方でもののありようがすっかり変わる。

 

創業者といえば、何だかカッコいいんだけど。あれ、単に問題が発生した時にどーもスイマセンと差し出される首と、問題を穴埋めするためにこき使われる即戦力なんですわ。

 

と言い換えると、せっかくのカッコいい響きも台無しになる。

 

問題が発生した時には穴埋めするための即戦力だから、徹底的にしごきあげて使える人材にしておくと、業界的にも安心。

 

安心して、問題が起こせる。

 

問題が起こった時には穴埋めする即戦力が居ないと不安だから、問題は起こせず業界全体で問題が起こせない体質に変わらざるをえなくなる。

 

モラルがブレーキにならない。

 

むしろ、問題が起こるほどに利益が生まれて大きくなる仕組みだと、ことあれかしと問題を起こす動機ばかりが大きくなる。

 

問題が起こった時に差し出す首と即戦力が、自分以外の誰か。それも、責任取るなら上からで、最上位の者が即戦力となって最下位の者がするような仕事をさせられたらたまんない。

 

たまんないから、もしもそんな仕組みを持つ業界だと見抜かれてたら人は集まらない。

 

新しいメンツが増えない業界を、同じメンツで回し続けてもやがて限界が来て、限界がやって来るとようやく業界の仕組みそのものが変わる。

 

即戦力として差し出す労働力の代わりに、資産徴求というオプションを備えておくと、最初にどれほど巨額の創業者利益があっても心許ない。

 

労働力も資産も。差し出すのはイヤだったらイヤでも仕組みが変わり、問題は起こさないに限るが最適解となって業界もクリーンになって、問題を起こすのに長けただけの業界ズレした人材も一掃される。

 

変に業界ズレした人材がいなくなって新しいメンツが増えた時、ズレた業界に合わせて歪められたことばの意味もまた正位置に戻って、めざし甲斐のあるものに変わる。

 

発言権を奪われ、ただ労働力としてこき使われる。

 

どれほど飾り立てても実態はソレと知る人ぞ知るだったら、いつまでたっても頭脳労働とは呼べず、頭脳労働ではないから国を離れても生きていける、諸葛亮孔明タイプはやってこない。