クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

アウトローキャラとアウトロー

顔がいい奴のすることはエグイと耳打ちされた時、「顔がいい奴って誰さ???」でまずフリーズ。容姿の美醜をどう判断するかには個人差があり、ハリウッドスターやスーパーモデル級でもないかぎり、みんなそこそこ。という大雑把さで生きている。

 

そういや360度どこから見ても文句のつけようのない美人で誰もが認める美貌の持主の、欠点を見つけるのが上手だったのは、可愛いとは言われるけれど決して一番にはなれない子だったな。という昔話。

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これはカラスの行水。

ある業界を代表する人物の顔面偏差値が下がると、見た目ではなく中身が重要なフェーズに進化したんだな、と理解する。実力が拮抗していたら、見た目のいい奴から前に出せのフェーズを卒業し、多方面から実力を判断できるようになった結果として、見た目の持つバリューが限りなく希薄化したイメージ。

 

逆に、ある業界を代表する人物の顔面偏差値が急上昇していたら、実力関係なしに見た目のいい奴から前に出せのフェーズに入ったと理解する。操り人形なら、見た目がいいに越したことはないから。

 

実需にはふた通りあって、子供にも安心して見せられる路線と、子供には決して見せられない路線。先進国が少子化なだけで、子供にも安心して見せられる路線の方が、当然マーケットも広い。

 

消費が追いつかないほど豊富なコンテンツにまみれてると忘れそうになるけれど、世界的にはゾーニングで制限されてる国の方が多い。多分に宗教による影響力が関係していて、宗教の影響力が強いほど、ゾーニングの傾向も強いんじゃないかと予想。

 

子供にも安心して見せられる路線か、子供には決して見せられない路線か。

 

決め手はアウトローキャラで、際どいことをやっていてもキャラである限りは、子供にも安心して見せられる路線。まじもんのアウトローを出していたら、子供には決して見せられない路線。

 

法の保護から外れる振舞いを、子供が真似し始めたらたまらんからな。

 

キャラなのかまじもんなのか。見分けがつきにくいケースや、見分けがつきにくいようわざとグレーゾーンで曖昧にしてたりするケースもあるけれど、条件つきでグレーゾーン保護下におかれていた可能性もアリ。法で保護し切れない弱者を包摂してる限りはグレーゾーン扱いという、ある種の合理性を発揮して全体のバランスを保つくらい、やる人や組織はやる。

 

グレーゾーンにいる人たち自身が効率を求め、包摂していたから何となく許されていた“頼みの綱”を自ら切っちゃったら、もうグレーで保護する必要もなくなる。その瞬間に、アウトロ―キャラがまじもんのアウトローになる。

 

スティーブ・ジョブズマーク・ザッカーバーグ

 

国家に匹敵する巨大IT企業の創業者は、フィクション・ノンフィクションの題材にぴったりで、彼らを題材とした映画も本もたくさん出てる。フィクションあるいはエンタメの威力は絶大で、今でもウィンクルボス兄弟の名前を見聞きすると、とっさに胡散臭いカテゴリーに入れたくなる。あるいは傲慢カテゴリー。

 

印象操作にもってこい。映像制作の世界にもネットが進出した今なら、オールドメディアの干渉を恐れずに、自らが発信したいことを発信したいように発信できる、いい時代が来たもんだ。

 

ところで本邦を振り返ってみると、大きくなったIT企業の経営者や界隈の有名な人には、やっぱりキャラが立ってる人が多い。

 

そろそろ映画化してもいいんじゃない?と思えるほど、今だから語れるネタも豊富にたまってそう。

 

ネット有名人はたくさんいたけれど、アウトローキャラかまじもんのアウトローか。その時にきっとわかる。過去大いに世間を騒がせたあれは、あの人は、本当はどういう人でどういう出来事だったのか。その時にでもわかればいいなと思ってる。

 

時代に早過ぎたのか、そもそも持ってるポテンシャルが違い過ぎるのか。日本が窮屈な人は、窮屈な場所に無理してとどまらず、とっとと国外に出ればいいやね。

 

お休みなさーい。