クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

読み返す

雨の日には傘を差し、寒さが厳しい日には着込んで出掛ける。

 

事実をもとに行動すれば、そうなるのが自然。雨が降ってるのに傘を持たずに出掛け、寒さが厳しいのに薄着あるいは夏服で出掛けるのは不自然極まりない。不自然だから、事実ではなく不実をもとに行動してることになる。

 

今にも死にそうでストレスに苛まれて面代わりさえしてるような人が、何かのキッカケで浮上し、元気を取り戻した途端にやることは他人へのイヤガラセ。だとしたら、そんな人は地球に隕石が衝突したあとだって、きっと生き延びる。そう簡単にくたばったりしない。

 

常識の範疇から大きく逸脱してるって、そういうことさ。

 

脳ミソが柔らかかった頃に吸収したものは、細部まで詳細に脳裏に刻み込まれていて、自分でもイヤになるくらい細かいことまでよく覚えてる。

 

今となっては3日前に食べたものさえ、自分の記憶に尋ねるより記憶媒体に頼る始末で、頼るものがあるから一向に、脳ミソそのものには刻み込まれない。自然と何ごとにつけても読み返す頻度が増えてくる。

 

むかーしに読んだもの。二度三度と読み返すたびに印象が変わるのは、以前は気付かなかったあるいは読み飛ばしていたようなキーワードに引っ掛かるようになり、引っ掛かるごとに印象が変わるからだと思うようにしてる。

 

埋め込まれたキーワードは時限爆弾のようなもの。引っ掛かる、あるいは気になった人が離れていくように、最初から仕様として埋め込まれたもの。勝手にそう思ってる。そうやって対象外を振るいにかけていき、最後まで残ったものを対象にすれば、効率が上がって探す手間いらず。

 

近過去の事件や出来事を、もっと遠い過去の舞台に移し替え、遠い過去を語る振りで実は直近の事件や出来事を語るという手法は、直近ゆえに口にするのが難しい何かを語るのにお役立ち。

 

遠い過去を舞台に移し替えた時、盛り込む近過去の出来事も、できれば複数、時代や年代が異なっていると望ましい。葉っぱを隠すなら森の中で、一見すると(あるいは一読しただけでは)現実にあった事件や出来事にインスパイアされたものだと、わかりにくくなるから。

 

センシティブなテーマをぞんざいに扱いたいから、対象とする時代から離れる。そのために編み出された手法なのかも。

 

一体誰が、そんなことをするのかというところもポイント。

 

この時代、あるいはこの国で。あなたたちであっても近過去のつい昨日の出来事でさえ何にも言えず、奥歯にものの挟まったような言い方しか許されないわけ???とか思うと愕然とする。

 

近過去の、つい昨日の出来事に対して歯に衣着せずに物言えるのは、事実を前にしてるから。事実を前にしてたら遠慮なくものも言えるけど、不実しか扱えず、不実をもとに何を言ってもしようがないから、何も言えなくなるし事実何も言えない。

 

つい昨日の事件や出来事を、必死で追い掛け脳ミソに刻み込んだ。

 

つい昨日の事件や出来事でさえ過去になる、遠い未来に過去の出来事を記憶して記述できるのは、きっとそんな人だけ。事実から目を背けて不実を選んだら、歴史を語る人になんてなれるわけないさ。