クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

自然現象

あるジャンルについて自分の方が詳しい、あるいはさして詳しくはないけど、知りたいことや増やしたいことがはっきりしていると、詳しい誰かのおススメよりも、好みを優先させがち。

 

だから、詳しい人がこだわりのあるジャンルについて語ると好みが際立って、特定ジャンルについて、特にこだわりなく一般的な理解を深めたいだけの人の好みとはすれ違う

 

一般的な理解はざっくり言えば教科書的で、客観的。

 

語る対象が例えば国や地域だったら、地形や人口、気候や歴史。誰かにとってもっとも理解しやすいジャンルを切り口にすると、斬新で面白い見方ができるけれど、斬新で面白い理解をめざすと一般的な理解からは遠くなる。

 

海に囲まれている。陸地で繋がった、複数の他国に囲まれている。比較対象とする何かよりも大きいか小さいか。海があるのか山はあるのか。雨は降るのか日は差すのか。そうした諸条件がそこに住む人にどう影響してきたのかが、その国や土地の歴史。

 

なぜ交易が盛んだったのか。なぜ紛争が絶えなかったのか。

 

似たような条件下ではだいたい似たような来歴を持つからだと理解する癖がつくと、なぜという疑問を持つことも少なくなって、理解も早く深くなる。

 

知識を増やすことは、なぜという疑問を減らすため。

 

客観的な知識を与えられず、特定の誰かの主観で貫かれた知識しか与えられなかったら、目隠しをされているのとおんなじ。

 

特殊な条件が揃った時にだけ、世の中の目立つ場所に現れる人やモノ。その種の出来事はいってみれば自然現象の一種で、保水力をなくした山では山崩れが起きやすいや、乾燥してる場所で強風が吹くと、火事はひどくなりがちと同じようなもの。

 

突発的な出来事のように見えるけれど、実は突然でも何でもなく、見えない場所で進行していたものが、目に見える場所に現れただけ。

 

ある人がなぜ目立つ場所にいて、なぜ今はもういないのか。

 

なぜという理由から遠い人だけが、いつも間違える。