クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

不毛

勝者総取りの最たる弊害は、勝者以外全滅。

 

勝ちました~。でも最後の一兵まで戦い抜いたので、敵も味方も全滅しました~。だから、獲得できたものは何にもありませ~ん。という状態は、勝ったと言えるのかどうか。

 

人材・資源・資金。最終的には何にも新たに獲得できず、にもかかわらず、今まで蓄えてきたヒトもモノもカネもすべて勝つために使い果たしてしまってたら、荒れ果てたただの空き地にポツンと一人取り残されたのと大差ない。

 

形ばかりの勝者という称号を手に、やることといったらゼロからのスタート。どんな悪行を重ねてきたら、ゼロからのスタートで真っ白なキャンバスみたいなただの空き地が、ご褒美になるんだよ。

 

他者からの評価や人気を気にしなくても生きていける側が、他者からの評価や人気が死活問題につながる側に襲い掛かったら、不利なのは他者からの評価や人気が死活問題につながる方。

 

不名誉なことはできないし、評判が地に堕ちるようなこともできない。

 

両手両足を縛られたそもそも不自由な相手に、縛るものは何にもない側が無法の限りをつくしたらどうしようもない。どうしようもないから、どうしたって不利になる。

 

他者からの評価も人気も関係なく生きていけるのは、評価や人気といった競争とは無縁だから。競争とは無縁で生きていける何らかのバックグラウンドがあれば、名誉も評判も気にしなくてもいい。

 

ゼロからのスタートで、背負っているものといえば、ただの真っ白なキャンバスみたいな空き地だけ。という状態だったら、何にもないから無法も何もない。自身が法律で、自分以外の他者がその場所にやって来るまで、やりたい放題。三人集まれば社会で、せめて三人は揃わないと、社会っぽくもならない。

 

社会になって始めてルールが意味を持つ。

 

自分以外の他者も続々やって来て、そこはすでに社会っぽいなんてものではなくれっきとした社会の一部なのに、いつまでたってもおらが場所で自身が法律。というやり方を貫いていたら、勝者総取りで勝者以外全滅への道が開かれる。

 

そこはもともと、れっきとした街だった。そんな場所を、村に変えるだけでもとんでもない。ましてや、空き地に変えるなんてどうかしてる。

 

他者からの評価も人気も意に介せずなのは、ただ自己満足を追求してるだけだから。ただ自己満足だけを追求している側と、四半期ごとに評価される側とでは、流れている時間そのものが違う。そもそも流れている時間そのものが異なってるから、同じハードの上に乗っていても、ソフトの内容や性格は異なっている。

 

違うものを同じもののように錯覚させ、競う側にいないものをあたかも競う側にいるかのように扱うのは、競う側の頭数が足りてない何よりの証拠。競争なき世界に競争があるかのように錯誤させるのも大変で、勝者以外全滅な世界では何やっても不毛。