クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

風聞

何しろ不細工だったらしい。

 

おまけに性格も悪く、馬鹿にされ嘲笑されながら育ち、成人後に大金持ちになったあとも家族は苛め抜き、所有する農奴や使用人には残酷な仕打ちをしたらしい。そんな母親の振舞いを見ていた息子のツルゲーネフは、母親の死後に農奴を解放し、農奴制との戦いを小説にしたためた。

 

そして農奴制との戦いを描いたその小説を読んだ、若き日の皇帝アレクサンドル2世その時まだ皇太子は農奴制の廃止を心に誓い、事実1861年農奴制を廃止したんだとか。

 

出来過ぎ~なエピソードで、ツルゲーネフドストエフスキートルストイといった、ロシア文学黄金期の箔付けにはピッタリ。農奴制廃止にひと役勝ったとなれば、箔がつく。

 

アレクサンドル2世は、ロシアの君主としては自由主義的だった。そして、農奴制を廃止した。という事実はあるものの。

 

クリミア戦争での惨敗を反省して、農奴を解放したという説もある。あるいは、1863年アメリカでも奴隷解放宣言が出されるけれど、農奴解放という思想そのものが当時の自由主義におけるトレンドだったかのように扱った説もある。

 

文学から見た人は文学の影響を言いたがるし、戦史から見た人は戦争の影響を言いたがるし、政治思想史から見た人は、政治思想の影響を言いたがる。

 

事実はひとつでも複数の解釈があり、農奴を解放したアレクサンドル2世自身の手記や証言でもない限り、今さらどの解釈がもっとも真実に近いかなんて、確かめようがない。確かめようがないから、ひとつの事実に対してそれぞれの立場から見た複数の解釈があるだけ。

 

事実を事実として単に記述すると、短くなる。

 

短いセンテンスで事実を羅列していくだけだと、まったく面白味がない。面白みがないから、面白おかしくした偽史に事実が負ける。

 

ツルゲーネフの母親が、本当に見た目だけでなく性格も悪く、家族や使用人にも辛く当たる人だったのか。本当のところはわからないけど、そんな母親のありようをありのままに描く息子はいかにも親子仲が悪そうでついでに性格も悪そうだから、それもありえることだと思ってしまう。

 

農奴を解放した、当時のロシアとしては自由主義的で啓蒙的なリーダーだったアレクサンドル2世は、結局はナロードニキという人文主義者に暗殺される。

 

ツルゲーネフニヒリズム。あるいはナロードニキやその先にあるアナーキズムは、政治思想史から見ると同一で語られるけれど、文学ではそうは教えなかった。もっとロマンに彩られていて、語りに引き込まれただけなのにうかうかしてると、何すかソレ???という思想に取り込まれそうになる。

 

わざとやってるよね、絶対。

 

語りに引き込まれたうっかりさんを、思想にまで引きずり込んで行動要員にしたいから、語りに磨きをかけて偽史に磨きをかける。

 

あ、その面白おかしく語りに磨きをかけた、事実からはほど遠い、ホラなんだけどホラとはわからないようご丁寧に証拠まででっちあげたお話は、単に事実よりのさばってる偽史なんですわ。

 

という事実を指摘する声が即座に上がると都合が悪いから、本当は一体化していて不可分な思想と文学(あるいは語り)をわざと離し、即座に気付かれないよう偽装してる。

 

危ないものの危なさが即座にわかるのは、近付いたことのある人、付き纏われたことがある人で、しつこく追い掛け回す側と、追い掛け回す側から逃げ込んだ先で待ち受けている相手はだいたい一緒で、同じ穴のムジナ。

 

きれいは汚い、汚いはきれい。

 

きれいな語りで偽装してるのは、ほんとはお近づきになんかなりたくないもので、危ないことを隠して近付いてくるから汚く、汚いことを隠すためにきれいに偽装する。