オリンピックのような大きなイベントで、勝利に一喜一憂しながら浮かれ騒ぐのは、うれしい楽しいで一緒になった極北の姿。極北って使いたかったんだ。
うれしい楽しいで一緒になれる人と、辛い苦しいで一緒、一体感を得られる人と。大きく分けたら世の中はこの二つのタイプに分かれそうでもあるけど、喜怒哀楽といった感情表出にためらいのない人は、どちらのクラスタにも馴染めるから説得力はなし。
辛いに一本足したら幸せになれるから、離合集散を好む人は辛い苦しいで一緒になって、幸せになれたらハイさようならを繰り返すのかも。うれしい楽しいからイチ抜けし、抜けた後のグループがグタグタになってダメになるのを見るよりは、後味は良さげ。
離合集散、くっついたり離れたりを繰り返す組織化のお話で、イチを足すのが得意な人もいれば、イチ抜けして崩壊に導くのが得意な人もきっといる。適材適所は、その逆をやらないことよな。
Jリーグがeスポーツに参戦して何するの???と思ったけれど、eスポーツでもサッカーするんですね。プロゲーマーがやるようなゲームは格闘系との思い込みがあったので、サッカーゲームもいまだ健在だったかと、新鮮な気持ち。
現実のサッカービジネスを彷彿とさせる、課金要素っぽいものもしっかり実装されていて、ネットとリアルの一体化スポーツ版をしっかり感じる。
熱心なファンは熱心な評論家、“大いなる聴衆”になりがち。
何を言われようとしょせん“大いなる聴衆”の戯言と、馬鹿にして見下して取り合わない、鉄の心臓の持主ならともかく。取るに足らないファンの身勝手な言動が、束になって選手に襲い掛かってダメージを与えた姿、つい先日の平昌オリンピックでも見たばかり。
スポーツ観戦の趣味はないのでよく知らないけれど、同様の、結果に納得できないファンのアンチコメント攻撃によって、選手がメンタル面をやられたケースは、表沙汰にならないだけでこれまでにも結構あったのかも。
気にしないようにしたところで、人間だもの。選手は生身の人間だから、AIで代替するわけにもいかず。だったら、“大いなる聴衆”の方を仮想空間上に引っ張り上げて、評論の代わりに実際にプレイもするファンになってもらった方が生産的。と、考えたどうかは知らね。
人気選手のアバターとなって活躍したい人、それなりに居そうだからキャラクタービジネスが捗るよな。あるいは生身の人間は酷使できないけれど、仮想空間上で仮想選手が活躍するだけだったら、年間試合数も限りなく増やせそう。と、勝手な妄想も捗る。
こういう妄想は、言語化するのも苦ではない。
読むのもつらい読み物は、書いた方、言葉にする方もきっとつらい。整理のつかない気持ちを引っ張り出してこねくり回し、言語化する作業はただでさえ骨の折れるもの。思い出したくもない、封印した記憶を手繰り寄せるとなれば、疲労度もさらに増す。
読むのもつらく、言語化する方もきっとつらかったんだろうという読み物は、同じような経験をした人ほど強く共鳴し、つらさが増すのがわかるものだから、敢えて避ける人もいる。
今は思ったほど読まれないけれど、あと何十年かしたらきっと今とはゼロの桁が違う数で、共感をもって受け入れられそうな読み物は、ただ時代に早過ぎるのかも。
現実の事件や出来事を彷彿とさせる、”事実に基づいた物語”を肯定したくない派ではあるけれど、時代に早過ぎ場所が近過ぎる、それでいて誰かに語るべき手法としてはある種の優しさでもあるのかも。逃げでもあるけれど。
肯定したくないのは、オモチャにした後はハイさようならと放り出したくなるようなことには、最初から手を出すなという気持ちがあるから。
誰も経験したことのない未曽有の災害や悲劇を伝える生々しい声を、どこの引き出しにしまうべきか。あとで読むタグは、単純にサクサク処理できない、こういう時に便利ね。
お休みなさーい。