クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

後始末も込みですか?

拘束時間は度外視して。1回あたりで1億やもっと。あるいはどう考えてもしばらく、少なくとも1年は遊んで暮らせるお金が得られるお仕事と。

 

1回あたりは千円ほど。あるいはもっと少額で、どう考えてもそれだけでは生計が立たないけど、拘束時間が少ないから本業との両立は可能なお仕事と。どちらの仕事がイメージしやすく“身近”かといえば、断然後者。

 

塵も積もれば山となり、1回千円なら10回で1万円。もっとがんばれば、2万円程度が副収入になるという目算があったらよりイメージしやすくなり、2万円リッチになったらやってみたいことリストくらいすぐに出てくる。

 

その反対に、1億やもっとリッチになったらやってみたいことリストをすぐに出せと言われても、個人で事業をやっていればともかく。持続可能なお金の使い道を考えたら、やっぱり貯金や貯金代わりの金融商品を買うくらいしか思いつかない。

 

ゼロの桁がもっと増えて、普通の電卓ではもう計算もできない金額になればなるほど、リッチになったらやってみたいことリストはひねり出すのも難しくなる。

 

リッチになったらやってみたいことを、やってみたはいいんだけどさ。バナナはおやつに入りますか?みたいなもので、後始末の費用は度外視していいんですか?とまずは確認したくなる。

 

後始末の費用込みで、億を超える金額でリッチになったらやってみたいことリストを考え始めたら結局は公共事業に寄っていきそうで、だったら最初から、四六時中公共事業について考えてる人にやってもらえればいいじゃん。みたいなオチになる。

 

後始末のことなんてなーんにも考えず。ただ使いたいように桁外れの大金を使うだけ。お金溶かすだけの役をお願いしますと頼まれて、気軽に引き受けられるのはお金の怖さを知らない人だけ。

 

メディアは寡占状態で、情報の流通経路も限られていたふた昔、あるいはもっと昔。日本人なら誰もがその名前も顔も知っている、トップアイドルだった人は口数も少なく静かな人だったとか。そういうイメージを定着させたかったからかもしれないけど、頻繁に広告に引っ張り出されるような人だったから、納得する面もある。

 

商品となった自分の周囲で大金が動くのを目の当たりにしたら、迂闊なことはもう言えない。アイドルの発言に一喜一憂する熱狂的なファンだって、迂闊なひと言でどんな行動に出るかわからない。

 

アイドルそのものの希少価値も今よりずっと高かったから、そのひと言の重みもずっと重たく大きかった。だから迂闊なことも、ほんのちょっとの好き嫌いであっても軽々しいことは何も言えないから口数が少なくなるのも道理だった。

 

大金が動き、動く大金に合わせて誰かの人生も一緒に動くなら、台本や打ち合わせ済みのことしかもう言えなくなる。

 

アイドルという商品である以上、商品価値を高めるためには台本も打ち合わせもないことは口にしないし喋らないのは、生存戦略として有利で必要で、生存戦略に従順な人ほど公式には無口で口数も少なかったのかなと、今だったら思う。

 

当時はテレビには出ないタレントやミュージシャンもいたんだけど。それも生存戦略の一環で、つい余計なことを喋りがち舌禍を起こしがちという、自身の気質と拡散装置として抜群だったマスメディアの影響力を天秤にかけて、出ないことにしてた人もいそう。

 

希少性が薄れた今となっては、親しみやすい方がなにかと有利で知名度向上にも役立って、お喋り上手な方がお得に見えるからのSNSへの大進出で、そりゃ世代交代も進むわな。

 

後始末のことなんてなーんにも考えなかったら、気軽に何でも引き受けられる一方で、後始末も込みだったら、気軽には何でも引き受けられない。

 

始末の悪いことに、後始末も込みで気軽に大金が動いて大金と一緒に誰かの人生も動くようなことは、大金が動く怖さをまだ知らない人の前にこそまず最初に転がり込んできそうで、転がり込んだチャンスのはずが、いつの間にか火の車を一生懸命回すことになってるかもしれないから怖いんだ。

 

大金が動くことそのものよりも、大金ごと火の車に勢いよく突っ込んで行きそうで、だから大金が出口やはけ口を求めて蠢いていると、おっかないったらありゃしない。