クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

最初の遭遇

詐欺に騙されやすいのはどんな人かと考えると、一度騙されたことのある人。まずは小さな望み、ささやかとも言える望みを叶えた後に時間を置いて、「今回こんな話があるんですが、どうですか?乗りますか?」とやれば、口車に乗る人は結構居そう。

 

最初の小さな望みが他聞を憚るもの。例えば誰かの足を引っ張ったり、貶めたりするような内容で、小さな地域社会でバレたら身の破滅を招くようなものだったら、大きく騙された後にも決して“最初の出会い”については口を閉ざして言わないはず。

 

時として、何でこんな大金騙し取られてるんだ???という事件があるけれど、自らの汚点については口を閉ざしたままだったら、謎が残るだけ。

 

他人の感情の動きに敏感で、喜怒哀楽を手玉に取って自在に他人を動かす術に長けた人といえば、お話作る人。特に、好きや好ましいという恋愛感情や恋愛感情由来の嫉妬や憎悪についても造詣が深かったら、他人を振り回すのもお手のもの。

 

わりと真剣に、売れなくなった恋愛ものを得意とする小説家や漫画家あるいは脚本家の次の働き口として、詐欺の片棒はアリだと思ってる。

 

もともとが売れっ子だったら、節税その他で金融との接点もあり、その中の誰かが邪な下心で落ちぶれた頃を見計らって、「こういうケースで他人を動かす場合、あなたならどんなシナリオを書きますか?」と持ち掛ければ、好奇心込みで闇落ちするケースはゼロではないはず。

 

ストリーテリングで他人を動かした快感は、動かした当人にとっては全能感を感じる強烈な体験だからか、神がかって宗教に傾倒あるいは自ら教祖となったというケースも、昔の人気漫画家で一人や二人、聞いたことがあるけど真偽は知らね。信者と書いて儲けるとは言いえて妙で、すでに信者をたくさん抱えてたら、よくない筋から目をつけられがち。

 

売れっ子ゆえのやっかみで、根も葉もない噂かも知れないけれど、根も葉もない噂ならそれはそれで、妬みから新しいストーリー生まれてんじゃん。と、感情が動くからストーリーが紡ぎ出されるんだよな。。としみじみする。

 

感情が動くからストーリーが紡ぎ出される。

 

ということは、もう自らは何の感情の起伏も覚えないほど無感動になったにも関わらず、食って(あるいは食わせて)生きていくために、感情の揺らぎを利用してストーリーを紡ぐ必要のある人にとって、他人の感情の揺らぎは餌になる。

 

無神経あるいは非道な仕打ちで、ホレ泣け、ソレ喚けと他者を不快な目にあわせ、その感情の揺らぎを肥やしに紡いだストーリーがもしあれば、そんなものは全然美しくも感動的でもなく、ただ醜悪なだけ。

 

不当な労働条件で働かされている人の、血涙でできてるかもしれない工業製品を使いたくないのと同じように、誰かを非道な目にあわせて血涙で塗り固められた表現作品は、見たくもない。

 

不当な労働条件で働かされるのはイヤなくせに、誰かを不当や非道な目にあわせたうえで出来上がる表現作品が好きなら、ねじれてる。ねじれてるから、そのままねじりドーナツとなって生きていけばいい。

 

ねじりドーナツが、なんか言ってるしやってるー。と、思っとくだけ。