クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

恩着せがましくてセコイ

セコイ人が持ってくる、お得な話はだいたいセコイ。

 

自分ちのリビングには置きたくないから、あなたの家のリビングに置かしてね。ついでに、使いたくなった時には借りに来るから、いつになるかわからないけどそれまでメンテナンスをお願いね。という態度はセコさの極致で、取り合う必要まったくなし。

 

大事なものや失くしたら困るものは、そう簡単に人に貸したり預けたりしない。

 

気軽に貸してもいいのは、返ってこなくても一向に困らないもの。そもそも処分に困っていたもので、気軽に貸してくださいな態度でシェアを募ったら、むしろ処分に困るものがまずは寄せられる。

 

どこまでいっても住宅や建物がびっしりと建ち並び、大自然の驚異を感じることも極小で、まとまった緑や自然が見当たらない土地は勤勉で出来上がっている。

 

それなりにやって来る雨や風。あるいは雪といった大自然の驚異で、街あるいは土地の機能を停止させてなるものかという勤勉さの裏付けがないと、どこまでいっても住宅や建物がびっしりの景色にはならない。

 

どうせ雨にやられるなら、どうせ風にやられるなら、どうせ雪にやられるなら。そう思ってたらそもそも建てない。建てたあとにもメンテナンスは必要で、建てっぱなしにはできない。そこから劣化が進むから。

 

ま、いっかで劣化を見過ごす態度は勤勉とは逆で、大自然の驚異が常に控えているような場所や土地でま、いっかを発揮すると、街や土地は自然に呑み込まれていく。

 

いちど自然に呑み込まれてしまった土地や場所を、ふたたび人の手に取り戻すのは楽じゃない。楽じゃないからむしろそんな場所でこそ勤勉さが求められるはずなんだけど、残念ながら勤勉さは偏在してる。

 

人力で手当してきた場所で、勤勉な人たちがその場所に見切りをつけてごっそり他所に移ったあとは、機械の出番。言い換えれば、勤勉な人たちにまずは見切りをつけてもらわないと、機械化も進みゃしない。

 

高い技術力を備えた自分で何でもできる人は、人海戦術に頼らなくてもいいから、自然豊かな場所でも問題なく生きていける。大した技術力も持たず、何でもできるわけではない人は、人が集まる都市に住まざるを得ない。

 

対価を求めず“うち”で獲れた一番いいものを贈り物としてまずは持ってくる姿は、金銭には換算不可能な有形無形の恩を受けている場合。小さな街なのにすみずみまで統治が行き届いていたら、圧倒的な強者が金銭には換算不可能な恩恵を与えているケースで、明らかに恩恵なき街とはようすが違う。

 

まずは贈り物が先な人が強者として統治すると、恩着せがましくてセコくなるから、できあがるものもやっぱりセコイ。