クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

処世術

先に与えて与えて与えるのは、持ってる人のお話。

 

持ってる人は持ってるというだけで、意味もなく妬まれ嫌われる。妬まれず嫌われないために先に与えるのはいわば処世術で、企業の社会的貢献もその類。お金を出すべきところにはちゃんと出していても、こっちにも回さんかいと言われがちなのが、持ってる人。

 

だから明朗会計で、うちはホニャララについてはお金を出すけれど、ホニャララについては知りませんと突っぱねるのも処世術のうち。あっちでもこっちでもスポンサーになってる人や組織は、あちこちからうちにもよろしくと言われて大変ねぇ。

 

暇を持て余すより暇をお金に換えてお金を増やした方がいいけれど、ただ漠然とお金を増やすよりも、これだけあれば安心という基準がはっきりしてたら、闇雲にお金を増やそうと熱心になる必要もない。

 

これだけあれば安心という基準が、年々引き上げられていくようだと、いつまでたってもこれだけあれば安心という境地にはたどりつけない。たどりつけないと、いろんなところを引き締め始める。

 

個人のお財布も組織のお財布も結局は一緒で、財布のひもを締める理由も一緒。

 

これだけあれば安心だろうと、それなりの時間や労力をかけて積み立てたもの。積み立てた時間も労力も無視して、あそこにはまとまったものがあるらしいと勝手にひとんちの財布にどかんとでっかいツケを回すような真似が横行すると、積み立てたものもたちまち失せる。

 

所与の条件が厳しく、今後の伸びしろに期待できないからと前渡しされたお金。

 

例えば民営化される際に、どこかの電車の会社がもらった経営安定基金やある種の人に下賜される持参金や手切れ金の類は、無駄使いしてはいけないお金。無駄使いしてはいけないお金にもかかわらず、お金に色はないとまとまった金額のお金としか見ず、どかんとでっかいツケを回して無駄使いさせると、何しろ今後の伸びしろには期待できないだけにたちまち窮する。

 

無駄使いしてはいけないお金を持ってる人が、もっとも警戒すべきは無駄使いさせようとする人や何か。無駄使いして全部きれいになくなっちゃったから、もう無い袖は振れないわ。という態度も、処世術のうち。

 

人にお金出してもらってなんぼ。という人を遠ざけるには、こうでもしなきゃ通じない。