寝る前にマキャベリの語録集なんかを読むと、性格が悪くなっていきそう。
君主論に政略論。どちらも、組織社会に生きる人が処世を考える上で役立つもの。教養の衣をぶ厚くまとっていても、ようはビジネス本でハウツーもの。とはいえ一国一城の主というように、組織社会に生きていなくても、君主はそこかしこに居る。
俺・私が君主で法律、臣下はなし。姫と王子が居たり居なかったり。そんな君主ならそこかしこに居るけどね。
ビジネス本でハウツーものは、時代を超えるのが難しい。すぐに陳腐化するから。
マキャベリさんも言っている。戦争という分野は技術の進歩の影響をもっとも強く受け、だから劣化も早いんだと。ビジネス本でハウツーものであっても教養の衣をぶ厚くまとわせたその訳は、一にも二にも長持ちさせるため。
それも戦争を生き抜く知恵から生まれたと思えば、教養の香り高さに恐れ入るよりも、生臭さにゲンナリする。うん、やっぱり寝る前に読むような本ではないな、悪夢を呼びそうで。
教養の衣をぶ厚くまとったビジネスマンの方が、結局は競争社会でも生き残り率が高かったら教養と競争社会は地続きで、教養が単なるパワーアイテム化する。
教養に反権力にサブカルチャーに、あとは何がある???単なるパワーアイテムとして選んだ衣に忠実に、競争社会を勝ち抜こうとするから趣味あるいはガチでやってる勢とコンフリクトする。
この人は、ただ好きあるいはガチでやってるんじゃなくて競争を生き抜くためのパワーアイテムとして、このジャンルを選んだだけなんだね。と、思われたら“ただ好きでやってる勢”やガチ勢からはソッポ向かれる。
何でもそこそこ以上に上手にこなす、器用な人はいるもので、そんな人は上達あるいは習熟するコツを知っている。無限の時間もお金もたっぷりあり、ないのは無限の時間をつぎこんでも惜しくないと思える熱中できるもの。そういう状況下では、何でもそこそこ以上に上手にこなす人は生まれやすい。
次から次へと熱中できそうな遊びのタネを考えて、何でもそこそこ以上に上手にこなす、暇もお金もある人にホレホレこれで遊べと差し出すと、初期の熱狂も生まれやすくなる。熱狂をパワーに変える遊びが遊びで通用するのは、暇もお金もたっぷりある人限定。
暇でもお金があるわけでもない人を熱狂に追い込むと、遊びが生まれる代わりに悲劇が襲う。
俺・私が君主で法律、臣下はなし。姫と王子が居たり居なかったり。そんな君主がまず身に着けるのは教養以外のもので、教養その他のパワーアイテムは、教養その他では勝負がつかない競争になって効果を発揮するもの。
順番を間違えたら、いかんよな。