クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

変わり身

クリスマス仕様からお正月仕様へと。変わり身が早いのも、思えば日本の伝統芸でお家芸のひとつ。

 

古い衣はさっさと脱ぎ棄て、新しい衣で登場する。新旧が一体化していてひとつながりだから、できる技。新しいモノがない。あるいは古いモノがないと、変わろうにも変わりようがなし。

 

9センチのピンヒールでにこやかに軽やかに歩き回っている姿は、鍛えられたアスリートにも等しい姿。アスリートにも等しいからそんな姿恰好の人は、ピンヒールを履く人にとっての競技場以外では見掛けないけどさ。

 

公共交通機関や何でもない歩道、あるいは家族連れで賑わう商業施設でも見掛けないかも。場違いだから。ついでに競技場と違って障害物が至るところにあるから、競技場ではにこやかに軽やかに歩き回れるアスリートでも、にこやかに軽やかに歩き回るのは難しそう。

 

つまり9センチのピンヒールは、生活や日常からは遠いことを象徴するアイテムで、非日常を生きる類の人にとってのツール。

 

地面との接地面は、ほんのちょびっと。

 

長距離や長時間の歩行には向かず、短距離でも車を使うライフスタイル向けだから、地面との接地面も極小で済むようになっている。そもそも全速力で駆け抜けるためになんか、作られてもいない。

 

底抜けや底無しという言い方があるけどさ。何しろ底がないんだから、どこまでも堕ちていく。

 

底抜けや底無しになるのは、そもそも地面を踏んでない、地に足がついてないから。地に足がついてたらそんなことしないし手も出さないことは、9センチのピンヒールなんて必要ともしない人なら知ってるしわかっている。

 

拡張ツールを手に入れた時、各人が最初からもっていた性向や嗜好もよりくっきりはっきりする。

 

そもそも暴力的な人が何らかの拡張ツールを手に入れると、より暴力的で狂暴になり、その反対にそもそも暴力から遠い非暴力的な人は、どこまでも暴力とは無縁で非暴力的になる。

 

粗暴なふるまいを間近にすればするほど、粗暴なふるまいとは距離を置き、どうすれば粗暴なふるまいを、暴力を封じ込めることができるのかを拡張ツールを使って考えるものさ。

 

インターネットやSNSの世界でのふるまいと現実がひとつながりになった時、どうやっても相容れないはずの水と油な二つのグループを一緒にしたら何が起こるかというと、場が壊れる。

 

相容れないはずの二者をわざわざ同じ場所に置くのは、壊そうとしても壊れないし壊れなかった強固な場を壊すため。必要なのは最初の亀裂で、亀裂さえ入ればあとは無問題。壊してしまうから。

 

壊そうとしても壊れなかった場を、そうやって逐次駆逐していけば、壊そうとしても壊れなかった場を根城にしていた何かも住処を追われる。

 

インターネットやSNSの世界でのふるまいと現実がひとつながりになった時、アカウントを殺すに等しい行為が平気で出来る人やアカウントは、現実社会でもきっと簡単に一線を超える。

 

底が抜けた人に拡張ツールを渡したら、起こるのは底抜けの連鎖。次々に、してはいけないやってはいけないことに手を出していくだけ。

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遠くから見ると変わってなくても、近くから見るとそうでもない。

そんなことは、ずっーと昔から底が抜けた人を見続けてきた人たちならすっかりご存じで、確信を得たからスクラップアンドビルドで、あちこちを壊して回ってるんだと思ってる。

 

確信と口実と。両方手に入れたら、そりゃスクラップアンドビルドは加速していくさ。