クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

お口直しにドリュー・バリモア

怖い夢を見た。

 

視界いっぱいに『リング』の呪いのビデオのようなノイズ入りの画面が広がり、縦書き、ポップとは極北にある恐ろし気なフォントで“たすけて”というメッセージが流れるというもの。怖くて一瞬で目が覚めたわ。

 

夏にホラーはつきものとはいえ、見たいのはそれじゃない。ドリュー・バリモアの映画で口直し。ドリュー・バリモアのキュートな笑顔は、どんよりとした気分を掻き消してくれるお薬のようなもの。あるいは快楽ドラッグか。

 

『2番目のキス』

まず選んだのは『2番目のキス』。原題は『Fever Pitch』で、ドリュー・バリモア演じるキャリア女性が、熱狂的な野球ファンの男性と恋に落ちるお話で、ボストンが舞台。

2番目のキス (字幕版)

2番目のキス (字幕版)

 

 あらかわいいと思わず声に出して言いたくなるほど、この映画のドリュー・バリモアが飛び切りかわいい。髪型のせいかファッションのせいなのか。容姿端麗な人はいくつになっても美しいけれど、それでもやっぱり30歳前後のドリューは、もっとも魅力的。

 

さてボストンのフェンウェイ・パークを本拠地とするボストン・レッドソックスは、熱狂的な野球ファンを多数抱えてることで有名な球団。阪神タイガースとそのファンと思えば、大体合ってる。

 

ドリュー・バリモア演じるリンジーとは、社会見学がきっかけで知り合った高校の数学教師ベンは、レッドソックスと共に育ち、レッドソックスを心から愛する熱狂的ファン。

 

優しくてユーモアがあって人当たりもいいベンだけど、何かに熱狂してる人、オタクっぽい人が往々にしてそうであるように、レッドソックスが絡むと暴走する人。

 

ベンの部屋は、グローブ型の電話を筆頭にレアなレッドソックスグッズがいっぱいで、レッドソックスと共に歩んできた人生なことが丸わかり。レッドソックスに少年の心を託しているせいか、時々年齢不相応に無邪気な面を露わにする時があり、キャリア女性のリンジーの心を鷲掴み。

 

ベン、ビジネスライクなコンサルティング業界には、まず居ないタイプだからな。

 

何かに夢中な人、熱狂してる人というのは、往々にして他者からは理解しがたく、リンジーの父親にも「バカだな」と言われてしまうベン。それでも相手の懐に入ることも上手で最後には気に入られてるんだけどさ。

 

コンサル勤務のキャリア女性と高校の数学教師という格差恋愛でもあるけれど、それよりもっと大きなハードルとなるのは、ベンが熱狂的すぎるレッドソックスファンであること。

 

仕事が恋人のリンジーにとって、恋人がレッドソックスのベンならある意味お互い様で済むけれど、家族、夫婦になろうとすればどうなのさ。というところが悩みどころ。

 

レッドソックスこそわが人生なベンは、フェンウェイパークに集う同志にもリンジーを紹介済みで、熱狂的レッドソックスファンの間でも有名人なベンの恋の行方は、同じくレッドソックスファンにも周知されている。

 

リンジーとベンの仲が迷走するとともに、ベンがおじさんから相続したシーズンチケットの行方も迷走し、周囲のレッドソックスファンも気が気じゃない。レッドソックスこそわが人生な、貴重な同士をひとり失うかもしれないんだから。

 

恋人の間は多少変わり者でもお互いさまで、大目に見られたことも、家庭を持ち、家族が増えたらどうなるの???少年の心を残したままなところが魅力のベンから、レッドソックスという少年成分を取り上げたらそれで済むのか。

 

という恋の行方は、何かに熱狂している人が、とっても安心する結末を迎えるようになっている。

 

レッドソックスがお前に何を返してくれる?」と、ベンに大人になるよう諭すシーンがあったけれど、「それでも彼らは毎年僕たちの前に帰ってきてくれる」というセリフが、めっちゃいい。

 

レッドソックスの本拠地がボストンにある限り、ジェントリフィケーションで年々歳々ボストンの街の姿は変わっても、彼らはファンの前に帰ってくる。

 

シーズンチケットを買ってスタジアムにまで足を運ぶ、熱狂的ファン心理が言い尽くされていて、こことっても好き。

 

別に野球ファンでもドリュー・バリモアファンでなくても、何かに熱狂してる、してた人ならきっと、心の琴線に触れまくるハッピー・ムービー。歴史的瞬間を見逃して取り乱すベンの姿もまた、熱狂的ファンの一面さ。

 

『ラッキー・ユー』

こちらは、ドリューらしいキュートさや溌溂さはごく控えめ。プロのポーカー・プレイヤーと恋に落ちるシンガー・ビリーを、ドリューが演じてる。

ラッキー・ユー (字幕版)
 

 ラブストーリーだけどそれよりも、のるかそるかで勝負の世界に生きるチーバーの生き様や、同じ道を歩んだチーバーとその父親との確執が見どころ。

 

はっきりいってビリーとの恋は刺身のツマ(というよりは、も少し伏線となってるけれど)みたいなもんだから、この映画のドリューはびっくりするほどその魅力が封印されている。彼女が輝くと、主人公チーバーの生き様が台無しになるからな。それもやむなし。

 

チップという名の大金が動くプロポーカーの世界、あるいはその試合が面白くて、思わず途中で居住まいを正してしまった。

 

ポーカーの試合、めっちゃ実況向きですわ。

 

のるかそるかで人生を賭けるような局面でしか本気出せない人種というのは確かにいて、プロのポーカープレイヤーも間違いなくそのひとり。安全パイだとやる気も起きなくて、博奕になったら本気出すんだよな、こういう人。

 

『ラスベガスをぶっつぶせ』という映画や本があったけれど、この映画の主人公チーバーは高等数学とは縁のないタイプ。実戦で培った勘と運を頼りに勝負に賭ける、ある意味古典的な勝負師で、チートとも無縁。

 

映画の中の世界大会で、「初めてカメラが入ります」的なセリフがあったけれど、プレイヤーにしろディーラーにしろ、いかさまが横行していた時代は、古典的勝負師にはきっと古き良き時代だったんだろうと思わせる。

 

同時に、ギャンブルをやらない代わりにマネーゲームを嗜む人はそれなりにいるけれど、高等数学やテクノロジーに習熟しているとお金に換えやすい世の中で、元手も豊富なその種の人たちが本気でマネーゲームに参入してきたら、場が荒れる。

 

ゲーム、遊びのつもりでも大金が動くようになったら、実体経済に打撃となるから、紳士淑女の“クリーンな遊び場”として、合法カジノを求める理路はありかもしれないとちょっと思った。ほんのちょっとだけ。

 

それはともかく。

 

この映画の見どころは、何といってもポーカーの試合シーン。複数名が同時にプレイし、ここぞと思ったところで、相手をコールし、一対一の勝負に出る。

 

勝負に出たところで上がる歓声、勝っても負けても拍手とスタンディングオベーションで観客が見送るスタイルで、大金が動いているにも関わらず、何だかとっても爽やかなんだ。

 

日本ではポーカーの試合そのものの実況が少ないけれど、きっとやったら面白い。

 

複数名が同時にプレイし、ディーラーの配る手札がゲームを支配する。あらこれAIが苦手そうなシチュエーションじゃないですか。すでにポーカーのトッププロにAIは勝利してるらしいけど、各種あるポーカーのスタイルの中の一種に勝利したに過ぎないとか。カードゲームの奥は深い。。

 

『ラッキー・ユー』では、勝負の場面に各プレイヤーの人生が乗ってくるから、観客としてはより楽しめるし興奮する。

 

人生が乗ってない勝負は、興奮も感動も乏しいから白熱しない。

 

その理路はわかるけど、テーブルにつくのは、納得済みのプレイヤーだけにしとけ。理由もルールも聞かされていない観客を、無理やり引っ張り出すのはマナー違反も甚だしい。説明済みだと嘘なんかつくから、人生破滅すんだよ。

 

破滅と背中合わせだから、本気出せるのはある種の狂人で、しばしばギャンブラーと歌姫が恋に落ちるのは、彼らは同じ世界を生きてるから。どちらも、のるかそるかだから相性よしで、ある種古典的な組み合わせ。

 

ドリューは刺身のツマだけど、それでいい映画。“プロポーカーの映画”としか思ってなかったら、見なかった。面白かった。

 

お口直しのドリュー・バリモアで、気分もリフレッシュ。8月もマイペースで、自分のために好きなことを書くだけ。

 

お休みなさーい。