やられたらやり返すのが復讐系。
気に食わない相手が稼いだポイントは、攻守が入れ替わったら奪い返される。それが単なる点数だったらいいんだけどさ。気に食わない相手が稼いだポイントが目に見えるもの、立派なモニュメントや優れたシステムだったら、立派なモニュメントはぶち壊され優れたシステムは貶められる。
そしてすべては振り出しに戻るを延々と繰り返すから、やられたらやり返す復讐系は生産性ゼロで、ツルハシ売る人だけが儲かってしょうがない。
ツルハシ売る人だけが儲かってしょうがない“終わりなき戦い”なら、誰もがツルハシを売る方へと移動するに決まってる。そしてツルハシ売りたちが作った闘技場にはツルハシ売りだけがつめかけ、肝心の闘技場はカラッポのまま。目に見えない剣闘士に向かってもっとやれと、ツルハシ売りたちが拳を振り上げているのでした。
という現代の寓話を二大政党制に当て嵌めたら、ツルハシ売りはきっと政治や選挙コンサルタントにロビイスト。
剣闘士が目に見えないままだとサマにならないから、ツルハシ売りが買い入れた剣闘士が逐次投入されるのさ。
グラディエーターの頃のラッセル・クロウはカッコよかった。。という懐かしさ込みで久しぶりに見たバイオレンスな映画は1997年製。バイオレンスなものは、基本キライ。なのに面白く見れたのは、階級社会での権力闘争と恋愛要素、それも不義の恋を絡めていたから。
現代を舞台にしていても、アーサー王と円卓の騎士の物語と基本形は一緒。あんたら騎士やん?という人たちの間でも血で血を洗う抗争があり、権力者に連なる女性とのタブーを越えた恋愛があり。
物語の原型は、登場人物や時代を変えても物語として機能すんだね。という目でも見ると、一度見たお話でも面白く見れた。
2時間ぐらいで終わってくれないと、もう見る気がしない。だから近頃は連続ドラマは見ないようになったけど、人気のあるドラマにはきっと、過去のヒットした作品やあるいは誰でも知ってそうな超有名作を下敷きにしたものがあるんだろうと、勝手に思ってる。
紙からデジタルへの移行は、かつての超有名作も無名にする。
超有名作も無名になって、知る人ぞ知るになるとパクリ放題でアレンジもし放題。素材がいっぱい転がってる。アレンジのネタが尽きるほどに素の形、そのままに近くなって、パクったこともすぐにバレるようになる。
だからオリジナルを踏襲しつつ、すぐにそれとはわからないアレンジを加えられる人が重宝されるんでしょ、きっと。それもひとつの立派なツルハシさ。