クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

面白いのは最初だけ

  • 楽天ビックカメラ、共同でネット通販会社設立へ
  • ワシントン州で列車が脱線、幹線道路に落下し死傷者多数
  • 北海道東部沖で今後30年以内に巨大地震の可能性、引き上げられる

日常的にAmazonでポイポイ本を買ってる方。本以外のものを買う場である楽天では、あんまりポイポイ買ってない。ポイポイ気軽に買えるのは、本やあるいは雑誌のようなものだと、まず偽物をつかまされる心配はないから。公式ショップでしか買い物したくない派にとっては、公式ショップでの買い物の機会が増えるのは、よいお知らせ。

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このくらい雪積もってる方が歩きやすい

ゴルゴンゾーラチーズとホウレン草のサラダ、生ハムと柿、ピラフのなれの果て風チャーハン。という晩ごはん。ゴルゴンゾーラという名称が使えるのは、イタリアの特定地域・特定製法に限られるようになり、それ以外はフェイクとなる未来が待っている。

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むかーしに読んだ、ボストンを舞台としたエンタメ小説のお話。タイトルももう忘れちゃった。ボストン生まれボストン育ちの男性が、不文律として許されてきた自身の車の駐車場所を、不文律をわきまえない新参者によって占拠されて怒るというシーンがあった。

 

月極駐車場のような場所ではなく、単なる路上駐車。単なる路上駐車ではあっても、自身で決めた定位置があり、その“彼が決めた“定位置をわきまえず、空いていたからと先に駐車する新参者に怒ってた。

 

不文律で明文化もされておらず、情報共有する機会もなかったら、そんなものわかるわけがない。という新参者の言い訳をまったく考慮しないところに、ローカル生まれローカル育ちの人らしさがいっぱいで、苦笑するしかなかった。

 

不文律が通用しなくなるのは、その地域からローカル色が薄れゆくことの証でもあって、ボストンはもうすでに、ローカルな人たちだけが住まう土地ではなくなったということ。なんだけど、その変化に苛立ちが隠せない、ローカル生まれローカル育ちな人の焦燥が凝縮されていたシーンだった。

 

かといって無用な争いを避けるため、禁止事項を明文化してデカデカとどこかに掲示するなんて、野暮じゃない。その野暮な行為に踏み切るということは、もう野暮だなんだといってられる段階を、とっくに超えたってこと。

 

脅迫ダメ。暴力ダメ。

 

そんな当たり前のことを、どうして今さらわざわざアピールしなきゃならないのさ。

 

一方に、地位やよいポジションを提示する権力があり、他方に、地位やよいポジションを提示する権力を倒せという権力があり。

 

そのどちらに与しても、権力におもねるという意味では一緒じゃん。その必要もないのに、権力におもねる意味がわからない。

 

余暇という余った時間は、自身の本業に資することに時間をあてたいというのは、そんなにおかしな主張なんですかね。

 

余った時間を自分のために使うよりも、権力のために使った方が、よりあなたの夢や希望にも近くなるよというショートカットのおすすめは、その必要性を感じない人にとっては単なる悪魔の囁きにしか聞こえない。

 

誰かを笑顔にする、そのためなら努力できる資質を備えた人間を、お前はニコニコ笑顔ふりまく要員じゃないからこっち来いと、本人が望んでもいない場所に引っ張り込むのは、どう考えてもタチが悪いし筋も悪い。

 

元始、女性は太陽であったと平塚らいてうが言ってたようなことを、どうして今さら見せられなきゃならないのか。てっぺんがそのレベルだったら他は推して知るべしなのか。わざとそう見せて、これ以上競争が激化しないよう調整しているのか。

 

調整してたら、それ単なる談合やね。

 

どちらかに与すると、権力構造がそっくり入れ替わるという構造そのものがすでに政治そのもので、しかも二大政党制が染みついた、アメリカの流儀を踏襲してる。その流儀を踏襲することは、ここは日本ではなくアメリカと宣言するようなもの。

 

観光客気分でローカル色が薄れつつある地方で暮らし、文化的にも欧米文化には親和性を感じているけれど、だからといって、自分以外の誰かや何かの代弁者になるつもりもなし。

 

芸を讃える場に政治を持ち込むと、面白いのは最初だけ。最終的には正義に寄っていくから、芸そのものがつまんなくなっちゃうんだよね。政治を持ち込むなと、ダメなものはダメは両立する。誰かを笑顔にしてるものは、そこちゃんとクリアーしてる。

 

お休みなさーい。