クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

油断ならねぇ

一年でもっとも日の長い季節。日の出は午前4時頃で日没は19時20分頃。日が長いようで、実は無駄に朝の時間が長い。騒音になるから、あんまり早朝から張り切って動き回るわけにもいかず。

 

思えばサマータイムは、無為に過ごすしかない朝の時間を有効活用する、冴えたアイデアだった。1時間ずらせば、日の出は午前5時で日没は20時半頃になる。午前5時から20時半頃まで明るく活動的に過ごせるとなると、得した気分のついでに財布の紐もゆるみそう。

 

買い物に飲食にスポーツに。朝からハードに動き回ると疲れるし、買い物や飲食は早朝からというわけにはいかない。いわゆるアフターファイブ、ひと仕事終えた後もまだたっぷり時間があるかと思うと、気持ちのもちようも変わってくる。

 

どうせ冬は雪のせいで外出さえままならないこともあるんだから、メリハリ利かせて夏の間の活動時間をめいっぱい増やしたい。気候はとことん違うのに、リトルトーキョー化が進むばっかりだと地域の事情は考慮されず、反映もされなくなる。

 

東京から北の国へ。集団左遷でもされた集団がもしあれば、リトルトーキョー化が進んで地域の事情を無視できるようになるのは、むしろ福音かもしれないけどさ。

 

思えば遠くへ来たもんだと実感する、環境的要因あるいは障壁が少なくなるほどに、待っているのは郊外化。東京を筆頭に都市ではよく見掛けるお店ばかりになって、東京の郊外に住むのと大差なくなれば、東京の郊外と郊外化の進むリトルトーキョーな地方都市と。どちらの方がブランド力は上か、ブランド好きな人なら考え始める。

 

東京ではよく見掛けるお店ばかりになると、企業の論理が地域にも波及する。はるばる観光地まで出掛けたのに、大都市でよく見掛けるお店が目立つ場所にあるとガッカリする。だけどその反面、地域社会のエゴに対する防波堤でもあるから、防波堤があるから安心して観光客がのんきに観光できる。

 

大企業であればカモフラージュあるいはステルス化して、名前は出さずに観光地で何らかの商売をすることも可能なのに、あえて名前を出しているならその地域には不文律が根強く存在しているのかもと勝手に邪推する観光地育ち。

 

観光客を筆頭に、居心地の悪い思いをしているあるいはさせられる可能性がある場所では、大企業の威光をチラつかせてどなたかさんかを牽制するのは、ある意味では理に適ってる。

 

札束でぶん殴られでもしない限り反省も懲りもせず、場所を変えつつ同じ悪さをしでかすような人種が住みやすいのは、人の出入りが激しい観光地。だったりする。今度は悪さできないだろうと島流しにした場所であっても、懲りもせずに観光地化して同じことを繰り返そうとするから、油断ならねぇ。

 

地域のエゴがほどほどに中和される程度には、企業の論理が幅を利かせている方がいいと思ってる。