昔住んでいた人口20万程度の街は、選挙前になると怪文書が飛び交う街だった。○○候補には複数の愛人!!!とかいう下衆な週刊誌みたいな内容で、ご丁寧に愛人とされた人たちの顔写真(目貼り入り)つきだった。
個人の権利意識が高まった現在だったら、通用しない手法。場所を変えてネットでやろうとしたって、ネットがマスメディアになろうとしてる今はもうアウト。
恐ろしいのは、怪文書がある朝突然集合住宅のポストに投げ込まれていたこと。
誰かが特定個人を標的に、秘密裡かつ組織的に大々的に行った犯罪。今なら監視カメラがあるけれど、監視カメラもなかったら、もうどうやっても犯人なんて捕まえられそうにない。
丁寧に三つ折りか四つ折りにされていた封書を前に、いい歳した大人がここまで薄汚い手段に手を染めてまで、生き残ろうとするのかとただただ暗い気持ちになった。
真冬でも快晴が続くことに感心した、太平洋岸式気候の街だったんだけどさ。
今年もっともバズったワードにビットコインがあるけれど、バズったおかげで上から下までビットコインに殺到して、流行りものはやっぱり悪だねと痛感したこの一年。年末なので、何かにつけて“この一年”ってつけときゃ年末気分も盛り上がる。
元旦に届くようにしたかったら25日までに年賀状を投函しましょう、とこれは自分への刷り込みさ。
ざっくりと同じ年代の子供たちを、例えば10年20年という単位で長期に渡って面談、観察、記録し、どのような生育過程をたどるか研究する手法。何か名前があったはずなんだけど、どうしても思い出せない。
日本では類例にとぼしく、海外先行型だったような。
長期に渡って定点観測することで、生育過程におけるどのようなイベントがどのような変化を生んで、その結果何が起こるのかの一次資料が集まるわけで、肌感覚、印象論で語っていたような事象に、エビデンスが加わる。
エビデンスがあれば、肌感覚というぼんやりとした印象にさらに強固な説得材料が加わるわけで、いろいろと使い道も多そう。
何かを主張した時に、それはあなた個人の感想ではないですか?と返ってくる反論に対しても、エビデンスをもとにさらに反論を加えることができて、恐らくもっとも有効な使い道は社会設計。
そもそも超長期に渡って社会を観察し、その変化を記録するなんて気の長~い研究、パトロンになれるのは国くらいのもの。お金たっぷり持ってるグローバル企業が、手を挙げるかどうかは知らね。手を挙げてない人をサンプルに使ってたら、サンプルとして役に立たんわな。同意なき実験は、どれだけ効果的、あるいは恣意的に使える要素たっぷりでも使えない。
流行りものはやっぱり悪だねと痛感したので、フィルターバブルに包まれて、何が流行りかなんて、知らない方がずっと生きやすいかも。
お休みなさーい。