クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

平成最後の休前日

平成最後の金曜日で平成最後の休前日。前人未到のみんな一緒に10連休は、いったい何の予行演習なんだか。

 

江戸の敵を長崎で討つような、意外なところであるいは筋違いのことで恨みを晴らす人の狙いは当事者意識。そんなこと知らんがな。と、スルースキルを発達させた人たちも、当事者となったら話は別で、否が応でも「そのこと」を考えるようになる。

 

狙いはそこにあるから、人為的に産み出した不幸を分かち合おうとする、不幸のお裾分けを押しつける人たちはやっぱりスルーでいい。人為的に不幸を生み出すような人たちの言うことには、ひと言だって耳を傾ける必要なし。

 

男女が入れ替わっても、猛々しさあるいは太鼓持ちな気質はそのままに。男性ファーストで築き上げたシステムをそっくりそのまま女性が受け継いで女性ファーストになるなら、結局は互換性のある単なる入替で看板の付け替えでしかない。

 

受け継いでくれるならシステムをそっくりそのままあげると引き継いだシステムで、以前とまったく変わらないことをやってるだけなら、表に出る顔、看板が変わっただけで、何にも変わってない。変わらないなら、男女で役割分担は変わってもファミリービジネスは延々と続き、ファミリービジネスが続く限り、ファミリーも安泰さ。

 

世間は変わっているのに、変わらないファミリービジネスがどこまで通用するかは、さほど変化のないニッチを見つけられるかどうか。さほど変化のないニッチなスキマはあれど、そこに潜り込めるかどうかはまた別さ。

 

スキマはある、潜り込みたい人も居る。だけど。と、ビジネスライクにすべてが金銭で片が付くとは限らないのは、明文化されたルールよりも、不文律の支配が強い場所。不文律から多くを得た人は、明文化されたルールよりもやっぱり不文律を重んじる傾向があり、そんな不透明な場所からは、明文化されたルールの下でこそ強みを発揮する人から逃げ出していく。

 

不透明は視界不良に通じて、視界不良だと見通しも悪くなる。透明性が確保されていると、特に宣伝なんかしなくても人は寄ってくるもんさ。

 

先日は20℃まで上昇した気温も、今日は10℃に届くかどうかという寒さ。週末に雪が降ったら札幌でも桜に雪という、珍しい景色が見れるかもね。かもかも。