あぁ平成がついに終わってしまう。。新年号が気になるところだけど、そこはこれから改めて考えるところ。歴史学者とか言語学者とか、非日常語に関することばの専門家チームが召集されるんでしょう。退位は200年ぶりとか。歴史方面の人、張り切ってそう。
芸の世界、わかりやすく芸能界でも古典芸能の世界でも先端アートでも文芸でもいいんだけどさ。芸の世界に身を置いてはいるものの、それだけでは食っていけない人が、それ以外の人に対して私はあなたと違って特別なのよと特権意識をふりかざす、もっとも簡単な方法はマウンティング。
俺・私はこっち側なのよ、すごいと敬いなさいよとマウンティングすることは、いい憂さ晴らしになる。
すでに芸で食えてる人は、マウンティングなんてする必要もないし、その気もない人に構ってる暇もない。ついでに確固たる地位がものを言って、尊敬も勝手についてくる。
食えてるのかどうか怪しい。あるいは芸で食えてはいるけれど、誰も進んで真似しようとは思わない、汚れ芸で食ってるように見えた人が、さんざん一般人をいじり倒す不快な光景を、インターネットがアングラっぽい雰囲気に満ちていた時に見たことがある。
その時一般人に見えた人(真偽はわからない。出来レースだったのかも)をさんざんいじり倒してた人は、Twitterのミュートワードにぶちこんで、一切視界に入らないようにしてる。
あんたはいじられる側こっちはいじる側と、さんざん一般人をいじり倒してたその人は、その後次々とおかしなことに手を出しては三文メディアのネタ化して、“私は一般人とは違う人なのよ“を自ら実証してた。主に尊敬できない方面で。
出来上がったのは、一般社会には決して馴染まないし、馴染めない化け物。平穏な暮らしとは遠い存在。とはいえ、徹底して一般社会から乖離した“ご褒美”として、メディアで消息がつかめた最後の方は、偉い人と対談なんかしてた。
それが引退のセレモニーだったのか、ミュートワードにぶちこんでることもあって、その後の消息はまったく知らない。
でもさ、人生100年もあるんだったら、その人まだまだ長生きするはずなんだ。どうやって生きてくのか知らんけどさ。
俺・私は一般人と違って特別なのよと、一般人にちょっかい出しては歪んだ選民意識を満足させるような人は、じゃあ特別なことをまずはその身で証明しろと、ギョーカイのおもちゃにされるのがオチ。
本当に特別な人は、どんな境遇であってもうっとりするほど素敵なものを作り出すもの。
一般人にさえそうとわかる、うっとりするほど素敵なものなんて作れない人が、一般人をいじって、いじるさまを皆様の娯楽として提供し、界隈の人と歪んだ楽しみにふけるだけ。そんな行動がますます、うっとりするほど素敵なものから自らを遠ざける。
安定しない生活を不安とともに送ってる人が、一見安泰かつお気楽に生きてるような人間を、思いやるようなことは滅多にない。もしあるとすれば、その人は性格のいい人。
それ以外の普通の人は、みんなで一緒なら怖くないと、後先考えずに快楽にふけって楽しむだけ。あるいは養分として、生き血でもチュウチュウ吸うか。
私はあなたと違って特別なのよという態度を、行動で示してその気もない人間をいじり倒しでもしたら、特別な人を求めてるギョーカイは喜んで迎えに来る。特別なことをまずはその身で証明しろと。そのためのステージも用意されてると、三顧の礼でお迎えにくるかも。
人とは違って特別なことをその身で証明し続け、そのご褒美に会いたい人でも居る場合はそれでもいいのかもしれないけれど。そうまでして会いたい人も特になかったなら、果てを可視化した姿を体現した化け物に、自ら進んでなることはない。
会いたいと願った人からは、会いたくないと徹底的に拒否られて、なんのために化け物になったのかわからない。そんなケースだってあるかもしれないんだから。
お休みなさーい