クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

進まない断捨離

今だかつてお目にかかったことはないけれど、この世の中には抹茶やいちご、あるいはメロン味などのバリウムくらい、あってもいい。

 

多くの人が、不便だと感じていることが解消されるのが進化なら、もう少し飲みやすく進化していても良さそうなのが、バリウムタブレット型に圧縮して、胃の中で膨張とかじゃダメなのか???

 

要するに、バリウムが嫌い。好きな人なんて、いないんだろうけどさ。

 

125年ぶりの猛暑なら、罪悪感なく扇風機からエアコンへとシフトできる。今日も暑かった。。

 

暑くなると、「さっぱり」とした「茶色い」おかずが欲しくなる。こってりとかトローリとか、鬼門。暑い季節には、イヤ、絶対。

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(ネギやミョウガでわかりにくいけれど、ナスとオクラと生麩の炊き合わせ)

さっと油で焼き付けた野菜や生麩を、甘辛しょうゆ味で煮たもの。冷やしても美味しい奴で、そのまま素麺のつけ汁にもなる奴。

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(蕗と厚揚げと鯖の水煮を炊いたもの)

見た目ごっつい悪いけど、白いご飯とよく合うおかず。

 

レシピの書き起こしでもしようかと思ったところ、制作過程の写真が抜けていたり、肝心の出来上がり写真を撮り忘れていたりで、予定変更。一週間に一回くらいは、書き起こしときたいもんだわ、断捨離かねて。

 

オバサンになってもミニスカートの似合う人が増えて、女性の実年齢がますますわかりにくくなる今日この頃。女性の実年齢は、顔より手に出る。顔見てもいくつだかわかんない人でも、手をみれば大体年齢相応(あと首、デコルテもそう)。

 

いつまでも若々しくてファッショナブルな、有名女性タレント。先日テレビに手が写った時に、想像以上に加齢が如実に現れていて、ちょっとショックだった。すでに孫も居る人。そりゃ年取るわけだ。。

 

年齢が手に現れるということは、働き者の手ということで、アシスタント任せにせず、自分でも手を動かし続けた人なのかという、別の感慨もあり。

 

人のことなんて、実はどうでもいいんだけどさ。

 

断捨離を進めようと空の段ボール箱を用意するも、肝心の中身はちっとも埋まらず。捨てる前にもう一度読み直してからとの執着が、作業遅延のもと。

 

電子書籍化されていれば、まだ諦めもつくものを。どう考えたって、今さら電子書籍化の希望も需要もなさそうだから、諦めがつかない。

 

例えば1990年初版の新書。バカンスのシーズンになると、毎年北から南へと、三千万人が移動するとの記述には、今はもう失われつつあるかつてのヨーロッパの姿が濃厚で、なんだか捨てるに忍びない。

 

毎年アフリカから万単位で移民が北進(アフリカからヨーロッパに向かうんだから、北進でいいでしょ)する今のヨーロッパでは、夏のバカンスとは無縁の人も増えてるとか。

 

夏になると、バカンスのたびに民族移動レベルで南進していた昔のヨーロッパと、北進めざして万単位で移民が流入し、そのおかげでバカンスもままならない人が増えた今のヨーロッパは、まったくの別もの。

 

まったく別のものだとわかるのは、比較対象として、昔のヨーロッパを記述したものがあるから。

 

みんなが知ってることについて書かれているものであれば、ポイポイ気軽に捨てられる。今さらもう、そうたくさんの人が知ってるわけでもなかろうと思うと、取っておきたくなるこの気持ち。この気持ちは、さてどんな名前で呼ばれるものか。

 

例えばとってもお偉い、司馬さんちの遼太郎さん。

 

硬軟取り混ぜた著作の数は膨大で、大河ドラマを始めとして、ドラマの原作となったものも多数あるけれど、中には感じの悪いエッセイもあった。

 

もとの本はずいぶん前に捨ててしまったから、今さらもうタイトルも思い出せないけれど、そのエッセイの中で、ガサツで、いわゆる良家の奥様らしくないある女性のことを、とことん馬鹿にしていた。

 

面白い女性だと持ち上げる態で、その実その女性の一挙手一投足を小馬鹿にしてた。

 

貧しさから売春に走る女性を救いたいと言い募りつつ、自身は問題提起するだけでまったくその女性に関与することなく、何とかして欲しいと繰り言だけを述べる若い男性に辟易とし、失望したというエピソードを、別のどこかで語りながら。

 

記憶に残っているのは、巷間で伝え聞くその人のキャラクターとは、相容れないようなエピソードで、ちぐはぐな印象を与えたから。ちぐはぐで、“らしくない”と引っ掛かったから、よく覚えている。

 

色で喩えた時に、淡―い淡色かすかにグレーみたいな印象の人が、ある一節だけビビッドなショッキングピンクだったら、そこだけ別人みたいで何だか変だと思う。

 

ある本が電子書籍化された時、記憶の中の原本と違って戸惑うだけでなく、その種のおかしなこと、記憶と相容れないことがある。確かめたかったら原本にあたるしかなく、なんとなく証拠保存のような気持ちでふっるーい本が捨てられない。という言い訳。

 

歴史は勝者が作るものとは言うけれど、アナログからデジタルへの切り替えというタイミングは、捏造するにはもってこいで油断ならねぇ。と、思う程度には疑い深い。

 

『ねじの回転』を読んで、関連書籍を読んだ時の開いた口が塞がらない系の衝撃とか。この世には、不思議なことがあるもんだ系の出来事、デジタルでは修正されてるのかしらねぇ、と渋茶すする。

 

お休みなさーい。