我が家の食卓の必需品というわけではない納豆を、ひっぱりにして久しぶりに食べた。必需品じゃないから、品薄の時には買う気になれず。当たり前の顔して店頭にも並ぶようになると、日常が戻ってきた感もひとしお。
納豆あるいは乳製品のように、食卓に欠かせない系のものほど一旦供給が切れると元に戻すのは大変なんだねと、食卓になくてもいいものだらけのここんとこ食べてたものを振り返って思う。食材が豊富になって非日常感が薄れるほどに、趣味性が増す我が家かな。
牛すじカレーとか。牛カツとか。野菜もマリネにしたりサラダにしたりと、あって嬉しい食材を使い倒した。
- 唐揚げのトマトあえ、キャロットラペ、ポテトサラダ
- 牛すじカレー、サラダ ×2回
- キャベツのマリネ豚バラ添え、きんぴら、クレソン入りポテトサラダ
- 焼きそば、ゴーヤーとツナのサラダ、きんぴら
- 厚揚げとごぼうの柳川風、ゴーヤーとツナのサラダ、かきたま汁
- 三色丼、ピーマンとちくわのきんぴら、味噌汁
- ひっぱり、味噌汁
- 牛カツトマトソース、サラダ、野菜スープ
疲れやすい。。と言いつつ、甘いものばっかり食べててもしょうがないんだけど。季節限定菓子が多い季節でもあって、おやつ多目。ナンテンやナナカマド、魔除けになりそうなものには贔屓にしたいので、お彼岸に久しぶりに食べたおはぎも美味しかった。
餡の味を左右するのは水だとか。
生麩も豆腐も水がいいと美味しくなって、特に生麩はグルテンの出来が良くなるらしい。だから麩饅頭のガワはモチモチ餡も美味しいということは、よっぽど水がいいんだなという理解。シンプルな原材料で出来上がったものほど誤魔化しが効かないから、シンプルな原材料でできるものを看板にするのは、自信がないと無理だね。
冷めると油が回ってイマイチになるけれど、揚げ立てはやめられない止まらない、某観光地のポテトチップス。
震災でモノが不足してる時にコンビニで買った、今はもう廃盤になってるっぽいポテトチップスがやたらと美味しかった。廃盤でもモノが不足すると出回るようになるのか。普段は見掛けない食品も、多く見た気がする非常時だった。
消費するだけの土地は、供給が途切れたら脆いもの。脆いけど、そこに消費者しかも多数がいれば、また新たなサプライヤーが次々と現れるものでもあって。便利に偏ると非常時に困るから、あえて不便も残しておきましょうとなるのかそれともなのか。
大規模災害の危険度が高い土地に住んでいる、住まざるを得ない人は、常時その種の非常時意識を頭の片隅に置いてるはずなんだけどさ。過酷な体験も歳月とともに薄れて、非常時意識高い系を保つにも工夫が必要で、安全な地に落ち着いているとどうしたって危機感は薄くなる。けどさ、危機感で一体感を得ようとしなくても、他のもので代替すりゃいいやね。
無理に盛り上げた一体感は、無理が効かなくなった途端に途切れるものさ。