クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

古い神様

歴史は勝者が紡ぐものだから、古い神様は時に異形の化け物に形を変えて記録される。例えば鬼。その土地とは遠い異郷からきた異人を鬼と呼んだという説もあるけれど、古い神様、政権交代後のかつての権力者を異形の者に貶めてそう呼んだというのも、ありそうな話。

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洋の東西を問わず、勝者によって不当に書き換えられた存在というのはあるものだけど、そのつど“正統“がゆらいでいたら、”系“の正しさなんて担保できない。

 

明治維新に第二次大戦。日本でも大きく常識が変わる出来事があったけれど、そのつど“正統”が変わり、古い正統派により馴染んでいたのに馴染んだ“系“が変わってしまい、困惑と憤りを持って新しい正統派に馴染んだのか背を向けたのか。立ち位置を変えた人は当時もそれなりにいそうで、何があるいはどれが正統派か不透明な時は、馴染んだ場所から眺めるのがいちばん。

 

それなりに本を読むのは好きだけど、紙から電子書籍へと出版の世界も変わり目にあるなかで、系の正統性が揺らいでいる気配を濃厚に感じる今は、読み出したものの放り出したくなるものも多くて困る。

 

古い神様、それまでの神様をコケに、あるいは不当に貶めるのが最たる目的かな?と思われる気配を、例えば固有名詞などに感じると損したという気分にしかならないのでよくない。

 

偶然が何度も続いたらそれは必然で、偶然なんかじゃない。

 

西ゴート族ローマ帝国に侵入した頃の西ヨーロッパには、ゴート族ほど有名ではない民族もそれなりに居て、日本で言えば豪族みたいなもの。戦国時代の豪族がみな大名になれたかというとそうでもないように、知る人しか知らない民族もあって、征服者となった民族の名前が特に有名となって後世まで伝わっただけとも言える。

 

有限は無限を包摂できないから、それまでの秩序を乱したかったら数を増やすにかぎる。数が増え過ぎると、何が何やらもうわけがわからなくなって、ピンもキリもなくなってしまうから。

 

秩序や序列も永遠ではないけれど、早急に、何かに急かされるように今ある秩序を壊すために故意に水増しを計る人は、きっと腹に一物系。あるいは尻に火が付き系で、お財布の中身と要相談中なのかもね。かもかも。あるいは、手っ取り早く権威を手に入れたい系とか。手っ取り早く権威を手に入れたい系の人が、権威の側に居る可能性はだいたいゼロパーセント。

 

子供の守り神が、時に異形の形となって子供目線では恐ろしい姿で子供の前に現れるのは、子供の遊び方が変わったから。変わってしまった子供の遊び方についてこれない古い神様は、古い姿かたちのまま、子供にとって恐ろしい姿で現れるから子供は嫌がって泣き叫ぶ。

 

その点お地蔵さまは、柔和な見た目で非攻撃的。柔和な見た目通り、有徳の人が有徳のままでいられるケースは少ない。実は危険ではありませんというまどろっこしい説明抜きでわかりやすくもあるから、有徳な人が有徳のまま年齢を重ねると、何かと重宝されるわな。

 

何があるいはどれが正統派か不透明な時は、実は古いものほど最先端なのかも。余裕のあるところにしか、余裕のあることはできないものだから。

 

どんな言葉を話すかよりも、話し方の方がよりその人らしさが伝わるもの。掌中の珠のように大事に育てられた人の話す言葉は、何語であっても可愛らしく、毒気も薄い。毒気を抜くには、話し方を鍛え直して好感度を上げるに限る。上げる気があるなら、の話ではあるけれど。

 

まだイチョウの葉っぱもわっさわさで、雪の気配もなし。例年より薄着でも大丈夫で、暖房が活躍するのももうちょっと先。

 

お休みなさーい。