クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

夏休みモード

濃いオレンジ色が青空に映えるノウゼンカズラも、サルスベリと同じく夏の花。写真は一年前のものなんだけどさ。季節季節を彩る花や植物は、やっぱり四季の移り変わりを感じやすい。

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今週から世間は夏休みモード。今年は長めに休みが取れるから、今週来週と世間は夏休みモードでいつもと違ってもしょうがないと思えば、ストレスも無し。ということで、世間に習って夏休みモードへ。

 

今年は暑さにやられて、例年より出掛ける頻度が極端に落ちてる。行ってみたいところは多々あれど、冷房つきとはいえやたらと太陽光の透過性が高いのが車。車に乗ってると、日焼けすんだよな。。

 

日差しは夏のまま。気温の方は下がって、かなり涼しくなった。お盆が過ぎて、観光客もひと段落してから、ボチボチと遠出したい。

 

10代の頃から。下手すりゃ小学校からの付き合いで、「階級のへだたり」が生じても変わらぬお付き合いは、半世紀なんてとっくに過ぎてそろそろ70年。とだけ聞けば、美談風なんだけどさ。

 

階級のへだたりが生じた後は、階級のへだたり相応のお付き合いで、同じ階級の人には到底頼めないことを通じたお付き合いだったら、美談も吹き飛ぶ。と、つい深読みし過ぎる向きには、勘違いしようもないほどシンプルなことか、あるいは何通りにも解釈可能で正解なきものを弄り回して遊んでるかのどちらかで、ちょうどよし。

 

お休みなさーい。

先週食べたものの振り返り

48時間以内に、住み慣れた町から退避しろとか無茶言うんじゃねぇ。引っ越し先も決まらぬまま、持てるだけの荷物持って進駐軍命令に従うしかなかったとか。敗戦国あるいは占領下の生活ってみじめよね。

 

戦後すぐとはいえ、みじめをみじめと感じる感性が、十分に残っていた人にとってはきっとイヤだったと思うんだ。イヤなことを繰り返したくない人は、強権に敏感で距離を置く。

 

美味しかった、なすとトマトの甘酢和え。目分量でテケトーに作っていると、もう一度は難しい。本にレシピサイトに動画に。いろんな媒体で日々大量のレシピに接していると、何を参考にしたかもわからなくなる。私は一体どのレシピを参考にしたんだ???と自問するのは、これから。

 

ユーザーにとって便利なものは、ユーザーじゃない人や、サプライヤーからは目の敵にされがちで、サプライヤーに配慮したらユーザーにとってはやっぱり不便で先祖返り。という可能性は、十分にあり。あとはどんな形で先祖返りするのか、見た目だけの問題。

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  • 豚の角煮とにんじん、なすとトマトの甘酢和え、冷奴
  • 冷やし中華、スイカ
  • 餃子、アスパラのごま和え、なすの酸っぱ煮、味噌汁
  • オイルサーディンと野菜のパスタ、スープ
  • 鰹のたたき、なすの酸っぱ煮、とうもろこしご飯
  • 夏野菜添えカレー

あんまり暑くて冷たい飲み物をガブ飲みしてたら、胃腸を痛めた先週。点滴代わりに甘酒を飲む。あずき入り甘酒は、栄養価は高そうなものの、シンプルに甘酒だけの方が飲みやすかった。冷やしたあずき汁と冷やした甘酒と。別々に飲んだ方がきっと美味しい。

 

ピーナッツに砂糖にバターにコーンシロップにちょっとの塩と。余計なものは極力使ってないピーナッツのお菓子は、見た目ほど硬くなくてサクサクとした食感が特長。美味しい。

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アメリカ土産でもらって嬉しいのは、チョコやチョコレート系のお菓子。それも元々は家族経営だったような、ローカルブランドのものの方がより素朴でいい。例えて言うならそれは、温泉まんじゅう的な美味しさ。

 

見た目を裏切ることのない味。予想外や想定外がない代わりに、毎日でも食べられそうな飽きのこない味。余計なものが入ってると、味がくどくなって毎日は食べられない。作り立てだとなお美味しい。

 

チョコ系ではないけれど、このピーナッツのお菓子は、元々はチョコレート屋さんのもの。かつて日本にも進出してたような気がするけれど、今はどうなったのか。ヨーロッパのチョコとはちょっと違う、少し大味かつアメリカンなところが好きだった、シーズキャンディ。

 

ピーナッツの産地では、もっと「おばあちゃんのお茶請け」に寄った似たような商品も見たことがあるけれど、あちらはもっと硬くて歯に悪そう。

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似たようなお菓子。こっちはより硬い。

合法的に暴力をふるえる場所を目指す人と、暴力的だとマイナスイメージになる場所を目指す人と。どっちがより平和主義者かといえば、きっと後者。とはいえ札束で殴り返すのも形を変えた暴力で、何にせよ殴り返そうとする、その姿勢がもうすでにバイオレンス。なんでそんなに好戦的なんだか。

 

お休みなさーい。

涼しい

いきなり涼しくなって、お盆前だというのに気分はすでに晩夏。

 

涼し気な晩夏の画像検索結果には、納得しかない。ちなみに、盛夏の画像検索結果は、嬉しい楽しい夏休み気分が溢れてた。夏休みで人の気配が消えた街。というのもなかなかにいいものだけど、生憎観光都市ではそんな気分は味わえず。

 

嘘をつくだけでは足りなくて、周囲の人が自分を見る目も自身の心のうちも納得させられなかったら、書いた。それもなっがーい物語を。という説は、それなり説得力があると思ってる。

 

誰かが善意を発揮しようとする。まさにそのタイミングで、いいとこ取りするのは僕たち私たちとしゃしゃり出てくるのは、利己主義者。

 

あるいは、何がしたいんだろうと思うことのすべては、失敗が許せない一大プロジェクトのための準備作業で社会実験とか。

 

思いついた警句っぽい誰得なフレーズ。書き貯めてたら、そのうち日めくりカレンダーくらい作れるかもねと、付箋を無駄使いしてる。あとから読み返すと、思いついた本人にも解読不能なことも多々起こる。

 

だって人間だもの。で逃げを打ちたいところだけど、所々意味が通じない日本語や、助詞がおかしい日本語を書いてると、これからはAI、それも学習中で発展途上にあるAIが書いてると思われるかも。初期のグーグル翻訳みたいに、あぁAIが書いてるなら多少変なのもしょうがないと、流されるように。

 

十年といえばひと昔前。

 

ひと昔前には人口減で悩んだ都内も今や人口が急増して、人口だけでなく観光客の急増が特需を呼んで、悩んだことが嘘みたいに活気あるエリアがあるのは、離れていても何となく感じる。

 

その一方で、人口増とも特需とも関係のないエリアもやっぱりありそうで、何が成否を分けたのか。PDCA好きな人なら、すでに改善に手をつけてそう。東京にも東京ローカルと呼びたいような雰囲気が残る部分があったけれど、今はどうなのか。

 

後から押し寄せてきた人たちが、以前からあったものに配慮や頓着せずに新しいものを作るのは傲慢だけど、傲慢な人は同じ目に遭うまでわからないから傲慢なんだよな。かといって同じ目に遭いやがれと、同じような災難ぶつけるのも傲慢っちゃ傲慢で。傲慢と傲慢の争いは、どこまでいっても不毛だから我関せずがいちばんで、触らぬ神に祟りなし。

 

あるいは、水でもぶっかけるのがいちばんやね。

 

暑さ、それも飛び切りの猛暑が人から理性を奪って、混乱が混乱を呼ぶ様子を描いた古い映画でも、盛大に水ぶっかけて水差すオジサンが居たね、そういや。

 

使えるものは何でも抵抗の道具に使う。その態度がまた暑くるしくて、混乱をヒートアップさせてたんだよな。古いことほどよく覚えているけれど、別に懐古主義者でもなし。いちばんパワーがあった時のものは、やっぱり今見てもパワーがある。

 

お休みなさーい。

未来予想と占い

かつて相撲部屋では女の子が生まれると、閨閥づくりがはかどると歓迎したとか。真偽は知らね。タニマチが居ないと、興行に支障をきたした時代の知恵と思えば納得。女の子が生まれなかった部屋では、どうしてたんすかね???

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地面近くに現れた虹。虹だって作れる。

江戸時代みたいに、適当な子女を閨閥づくりのために養女として迎え、適当なとこに嫁がせてたのかもねと妄想がはかどる。公益財団法人移行前の、史実に埋もれていく伝聞としてメモメモ。

 

未来予想は、今年の運勢を占う星占いその他に似て、データの切り取り方や運勢を告げる人そのものに疑義があると、途端に眉唾になって胡散臭くなる。天才的な一個人の脳みそから搾り取られたかと思うと、より呪い師のお告げっぽい。その一方で、英知を結集したチーム作業に基づくシンクタンクやリサーチ機関の名前を冠したレポートだと、信憑性もマシマシ。

 

企業のアニュアルレポートを読むのが好きで、虚偽の申告よりも事実を述べることにウェイトがある人たちが書くものだから、安心して読める。上場企業は、規則や罰則で手枷足枷嵌められてるようなものだから、嘘を事実として報告することはできないし、書けないことがあった時は、薄っぺらになる。と、思っていて大体間違いなし。

 

ネームバリューでもなくチーム作業だからというよりも、罰則が用意されているあたりが、信用をわけるポイント。

 

“これから起こる未来の出来事“を大勢が読んでその通りに実行したら、テケトーなホラだって本当になっちゃうじゃん。ヤバくない?それ???

 

と、大勢に読まれる予言の書は、たいてい理解しやすく感情に訴えてくることばで書かれているから油断ならねぇ。ついでに、ポピュリズムも信用ならねぇ。大勢に支持されているという事実の捏造、わりと簡単だってバレちゃってたら、さて何を信用しますかね。

 

そんな時は、大勢に読まれたかどうかも怪しい。読み難―いちょっと昔の本を読み返し、予言あるいは見通しが当たったのかどうか。答え合わせをしながらという、手間暇かけるしかない。事実に基づいていたら、壮大なホラなんてつけないでしょ。

 

国際化する都市で、起こるとされた問題。

 

だいたい合っていて、10年前から問題を指摘できた人なら恐らくその処方箋も早くから用意してたはずなんだけど。処方箋については現在進行形で、手当て中とでも思えばいいのか。

 

不安定就業や、インフォーマル化する労働に、ジェントリフィケーションと低賃金労働者との相関関係。難しい専門用語で説明されてもわかんない人でも、体感したあとならきっと納得できる。

 

雇用の継続か打ち切りかをチラつかせ、あるいは労働ビザの更新を餌にされたら、不本意でもインフォーマル労働に片足突っ込んじゃう人、居るよね。環境が引き金になるのなら、環境を変えるしかないと気付いたからか、あるいは余裕ができたからか。正社員化に踏み切る企業も増えて、これは多分処方箋。

 

集中は効率を加速させるから、例えば富の集中や格差の集中が加速するスピードを落としたかったら、非効率なものを混ぜるに限る。

 

昔ながらの商店街が栄えてた街に巨大資本が乗り込むと嫌われるけど、巨大資本はフォーマルな労働力の象徴でもあるから、街にとっては共存できた方がいい。ところで昔ながらのパパママストアには、言葉や習慣の違う観光客は入りづらい。入りづらいから、巨大資本に足が向かいがちで、地元を潤すことの少ない観光客は濃い地元民に嫌われがち。

 

言葉も習慣も違って、観光客の受け入れ側が負担となるのなら、負担を福音に変える何かがあれば、受け入れ側の不満もより少なくなる。仲介者を排除して、負担となる個々に直接配分される、移動式お賽銭箱的なものでもあれば、不満の解消につながるのかも。

 

というのは、著名な観光地を案内する動画で紹介されていたアイデアの流用で、街そのものが文化遺産な海外の街では、観光客に文化財保護の寄付を募るアプリなんてものがあった。実績のほどは知らんけど。

 

文化財なんてものを持たない、普通の都市がどうすべきかは、また別の問題。

 

ピラミッドの先端は、最短距離で世界を支えるアトラスの心臓部近くにぶち込まれる。だから、肩の荷も重くなる。幼少時から少しずつ世界を支えるアトラスの、例えば手の指や足の指。あるいは爪先として少しづつその重さに身を慣らしてきたアトラスチルドレンと違って、いきなりぶち込まれたピラミッドの先端にとっては、衝撃も大きくて疲労も激しい。

 

最短で目的地にはたどり着けても、目的を担うには荷が重すぎて、すぐに放り出されたら世界、たまんねぇ。

 

と、世界が学習した揺り戻しは、これから来るのかも。かもかも。

 

お休みなさーい。

振り子

ビジネスホテルは、必要にして十分なものしか置いてないし置けない結果、機能性と快適性を兼ねそなえた空間となっているから居心地がいい。

 

もっと装飾が欲しい。もっと広さが欲しいと、足りないものを足していったらラグジュアリー寄りになるけれど、寝に帰る、あるいは休息を取るための場所と割り切れば、ラグジュアリーなものはなくてもいい。

 

ラグジュアリーなものが置いてないから、誰でも受け入れ可能。

 

インテリアやその他。ふんだんに高級品を使えば、「誰でも」いらっしゃいという訳にはいかなくなる。

 

建てても建てても足りないと言われる、観光地のホテル。マンション建設予定地もホテルに化けて、余るようになったらどうするんだと心配になるけれど、そしたら家具付きアパートメントとして貸し出せばいいんだよな。

 

そもそもホテルだから、掃除やルームメイクで、他人が部屋に入ってくることが前提の造りになっているから、留守の間の掃除その他も頼みやすい。部屋の仕様が統一されていれば、始めて入る部屋でもまごつくことなく、掃除やその他の仕事がこなせる。

 

個人の住宅は、当たり前だけど個人の趣味や嗜好が大いに反映されているから、個別性が高いと同時に、赤の他人を気軽に部屋へ招き入れるようになっていない。

 

収納術みたいなものが好きで、時々以上の頻度で眺めている。こうやったらおしゃれ☆な収納のすすめは、ある日突然他人が自宅に立ち入るような羽目になっても、他人がスムーズに作業できるようにするためなんだからな。と、暗示でもかけられているような気がして、見るだけ、眺めるだけになっている。

 

他人に私物を触らせる機会と言えば、まずは引っ越し。

 

移動を前提にしない暮らしは、どうしたってモノを貯めこみがち。スペースがふんだんにあるほど、そうなりがち。

 

年に一度、手に取るかどうかの物さえ捨てずに取っておいて、捨てられないものと一緒に暮らすのが生活とはいえ、過ぎると快適から遠くなる。親から受け継いだもの、記念の品に思い出の品。そんな物はなーんもなかったら、そりゃ暮らしはシンプルになる。

 

強制的にリセットされた暮らしでも、シンプルにならざるを得ないけどさ。

 

寝に帰るだけの場所で、身づくろいをするスペースがあれば十分で、食については別に面倒見てくれる場所があれば、寝に帰るだけの場所はシンプルになる。洗濯はコインランドリー、掃除は必要に応じて他人にお任せ出来たら、個人の持ち物は限りなく減っていく。

 

持たざる人が増えたらお店は売るものがなくなって、売るものがなくなったお店は街から消えて、街からお店が消えたら賑わいが消えるから、持ってる人になってもらおうと躍起になる。

 

リトマス試験紙的に、街でもどこでもつねに一方に偏り過ぎないように、振り子が振れてる。どちらかへの配慮が過ぎるとバランスが崩れて、バランスが崩れたままで振り子も振れないアンバランスな状態は、きっと不安定の源。

 

お休みなさーい。

皮相的な暑気払い

皮相的=上っ面。涼むために水辺の近くまで行ったけれど、水そのものには入らず見て来ただけ。涼しげな景色の上っ面だけを撫でてきた。

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シンボルツリー???

ダム湖百選に水源の森百選。

 

選ぶという行為は、暇のなせる業かそれとも有意ある生産性の表れか。千は多過ぎだけど、百なら選抜された感もあり。百あっても足りないのか。。というのが率直な感想で、適正水準について無知だったら多過ぎる=無駄使いと思いがち。

 

豊平峡から定山渓レイクラインを抜け、朝里ダムに至るルートは紅葉の名所で、札幌近郊で手軽にお出掛け気分が味わえるドライブコースになっている。その先には小樽の海があり、元気があれば余市や仁木・積丹に出掛けるもよし、銭函で海水浴してから札幌に戻るもよしなルート。

 この暑さだもの。

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夏空。

札幌から気軽に出掛けられる海水浴場は、どこも芋の子を洗う状態に決まってる。街中にいるのと変わらない混雑に身を置くくらいなら、スッカスカにひと気のない場所の方が、涼しそう。

 

という予想は、大当たり。

 

そもそも緑豊かなルートで、木陰も豊富なら抜ける風も市中に比べればひんやりで心地いい。豊平峡ダム専用駐車場に車を停めたあとは、専用の電気バスに乗り換えて、豊平峡ダムへと向かう。

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モノクロで撮ってみた。納涼。

ダムまではトンネルが続き、夏場であれば絶好の肝試しスポットになれそうな箇所。昼間でもひと気が少ないから、夜ともなれば“首なしライダー”あたりの幻影に脅えながら、歩ききった奴勇者ごっこで遊べそう。そうなったら迷惑という、管理者の声も同時に聞こえてきそうだけど。

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風が抜けるせいか、炎天下であっても市中に比べればずいぶん涼しい。目の前に広がるのも、水分たっぷりな景色。パシャパシャ水遊びは叶わないけれど、水分たっぷりな景色を眺めてるだけで、気持ちはひんやり。

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観光放水中。

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虹だ。放水中はもれなくついてくると思われる。
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秋にはすべて、美しい紅葉に変わるに違いない。

豊平峡ダムのある定山湖を、ボートやカヤックあるいはSUPで水上散歩できたらさぞ気持ちよさそう。。と、妄想がはかどる。

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こんな滝もねぇ、すぐそばまで近づければいいんだけど、渓谷歩きマスターでもないと近寄れんわな。一体どこを歩けばここにたどり着けるのか、獣道???この涼し気な滝も見てるだけで、見てるだけが続くのは、都市近郊の定めか。

 

豊平峡からさっぽろ湖に移動。

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イクラインとの名付け通り、つねに水の気配を感じながらのドライブルート。渓流に降りてる人も居るっぽいけれど、野生動物との遭遇が常に気になる場所でもあり、自然とのふれあい=野生との遭遇なんだと、当たり前のことをまた思い出す。自然OK野生NGが通用する場所は、すでに自然じゃないからな。

 

最後は朝里ダムに立ち寄って、ここで水分補給。紅葉の時期は管理事務所的なものもオープンしているけれど、今はオフシーズンなのか動いているのは自動販売機のみ。国立公園を含むドライブルートだから、立ち寄れる場所が少ないのもしょうがない。飲み食いしたかったら、別の場所でどうぞってことやな。

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立ち位置=握手する相手を変えようとどうしようと、常にその人についてくるフォロワーが大勢いるのなら、その人は「人は人に従う」を体現した人。思想や主義ではなく思想や主義を体現した人に、人はついていく。

 

と、皮相=上っ面だけを見たらそう見えることを計算づくで行動することが、結局は自然のコントロールというなし難き大事業に成功するコツかもねと、自然のコントロールに挑んで成した、一大事業群眺めて思いましたよ。

先週食べたものの振り返り

今日の予想最高気温は33℃。まじか。朝から厳しい日差しが照りつけている。洗濯ものがよく乾くのは、いいんだけどさ。

 

こうも暑いと食欲も落ちる。久しく忘れていたけど、これ「夏バテ」だわ。のど越しのいいものしか通らない。ところで当たり前のように使っている「のど越し」ということば。古い辞書には載ってなくて、キャッチコピーとともに“当たり前“に躍り出た、比較的新しいことばなのかも。

 

前後両面から攻撃して、避ける道がないような状態が「喉を扼して背を打つ」なんだとか。首絞めながら、背中どつきながら。一緒、あるいは同じになれと迫りながら、それでも逃げられたら面目丸つぶれ。面目が大事なギョーカイでは、致命的なミスよねきっと。強面が通用しなかったら、次の手は懐柔。揉み手しながら、ニコニコ笑顔で近付いてくる。

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食事の支度をがんばらなくてもいい日の過ごし方は、

  • 食べないか、備蓄食料を食い尽くす
  • カレーやミートソースを大量に作って、食べ続ける

 の二択になりがち。酷暑のなか、「食べない」を選んだらあっという間に天に召されそうとはいえ、同じものを食べ続けられるような気もしない。ということで、手抜きながらもボチボチ食べることになる。

  • ニラとひき肉のパスタ
  • ハッシュドビーフ
  • 酢豚、えびとアボカドのマヨネーズ和え

夕食の回数が少ないのは、食欲がないのに朝あるいは昼間にそれなりに食べてお腹が減ってない。あるいはチマチマとおやつっぽいもの食べてお腹膨れてるから。作る手間はどってことないんだけど、食べる意欲がわかないと、食べる気もしないんだよな。。

 

北海道に来てから、自宅では氷を作らなくなった。水道水でも十分冷たく、夏でも時折肌寒さを感じる気候では、飲み物にも氷はいらない。体冷やして体調崩すから。なのに、氷を求めるようになるくらいだとほんとに暑いんだな、と実感する。

 

そんななか、スムージー大活躍。

 

冷凍フルーツを使うと、適度にシャリ感があって冷たく、食欲がない時にぴったりだった。酸味のあるフルーツは合わせるものに苦労するので、甘みが強い方がいいと学習した。冷凍ハスカップは、酸っぱすぎて何と合わせたらいいのか模索中。

 

怪物を見世物にして稼ぐ興行系は、怪物がいないと食っていけないから次々に新しい怪物の製造に着手する。

 

興行系に感じる本質的な忌避感は、よくも悪くも怪物が居ないと成り立たないあたりに由来する。よい怪物はハリウッドスターのようなスター、悪い怪物は犯罪史に残るような犯罪者。

 

怪物、それも世に災いをもたらすスペシャル級の怪物を作ることで、お金稼いでいる人たちが好きですか?私はキライです。他に生きる術がないからという逼迫した理由もなく、単なる娯楽、自分たちの暇つぶしと利殖を兼ねてスペシャル級の怪物作って遊んでるような人たちに、かける情けなんてなくていいのよ。

 

それしか生きる術を知らない人たちには、他の方法を教えればいい。

 

怪物は作りやすくて見世物にしやすく、平凡な生き方の方がなし難いんだということを、うまーく表現したフレーズに出会って脳内へぇボタンが押されまくったところ。怪物は作りやすいから、平凡な生き方からひきずり下ろして新たな怪物を作ろうとする年季入った怪物も、もとは平凡な人だったかもと考えると、背筋が凍るようで納涼にもってこい。