クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

近代化への橋渡し

インド全土に高速ブロードバンド網が整備されると、インドも先進国の仲間入り。もう新興国とは呼べなくなるかも。

 

インドの主要産業についての知見なんて持ち合わせてないけれど、IT人材を筆頭に高度知的労働者は外貨を稼いでインドに新しい富をもたらした。外貨稼いでるのは、彼らに限ったことじゃないけどさ。欧米あるいはアジア。外に出た人材が、新しい知識や産業その他を持ち帰って故国をアップロードして。

 

近代国家は、近代国家単体として成長したわけではなく、その過程で例えばインドならインド以外の地域があったからこそ近代国家になれた。ということを、「東インド会社」をサンプルに歴史を振り返った『東インド会社とアジアの海』をやっと読み終えた。

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オランダにイギリスにフランスに。東インド会社という商社、あるいはグローバル企業のさきがけのような組織の興亡を、ヨーロッパからアジアまで広範囲に追っかけた内容なもんで、なにしろ読了するのに苦労した。

 

同業他社3社分の歴史と言えば、それだけでもちょっとした読み物。それぞれ違った背景や社風を持ち、それぞれ違った理由で衰退した。彼らが時に国家に匹敵する武力と財力を持つに至った、アジアの海の歴史や事情も詳述されているから、もう内容てんこ盛り。

 

アジアとヨーロッパの歴史を横断しないと、東インド会社の全貌は掴めないとはいえ、西に東にとあちこちに飛ぶ。

 

香辛料に織物にお茶。ヨーロッパで珍重されるアジアの特産品を求め、船団を組んで海を越えた東インド会社は、海賊よりももっと実入りのいい、正規交易商人として活躍した。会社名に、オランダやイギリスあるいはフランスと国名を冠した彼らは、時に国家の代理人のような立場となり、交易地に商館を構えた。

 

商館設置に際しても、アジア各国のお国柄が出ていて面白い。日本のように厳しく制限された国もあれば、陸路での交易に慣れた国の場合は比較的寛容で、現地の寛容さにつけいって私的交易で財を成したり武力を蓄えたり、ちゃっかりしてる。

 

船団を組んで未知の国へと乗り込んだリスクと引き換えに、アジア貿易における独占的地位を占め、巨万の富を手にした各東インド会社がなぜ衰退したのか。

 

興味の関心は、ほぼそこにしかなかったけれど、もちろんコレという理由が大きくあるわけじゃない。とはいえ世界の一体化とともに、存在意義を失っていったという説には、納得しかない。

 

船団を組むという技術面や安全性がネックとなって、陸路での交易ほど万人には開かれていなかった海上貿易。万人には開かれていなかったから、陸路の交易に熱心な国ほど見逃してくれた。あるいは捨て置かれた。

 

交易の規模が大きくなるほどに、当初は私的なものだった会社が国益あるいは国策と一体化し、最終的には国益あるいは国策に取り込まれて衰退していくさまは、現代の日本でもおなじみだった。

 

最初期に現地商館を開設し、商館でしかなかったものが、国の出先機関のように扱われていくさま。それゆえに現地との交易を独占する古い企業だと、18世紀も末になると勃興してきた新興の産業資本と対立するさまとか。

 

大雑把にとらえれば、いずこも同じ。

 

成功の保証もなく、危険と隣り合わせ。とはいえ成功した暁には名誉や名声だけでなく、巨万の富といった実利もしっかり用意されていたあたり、単なる冒険よりもきっと挑戦者個々人のドラマは多かったはず。

 

個人に関する記述は極小で、東洋と西洋、海路と陸路と歴史を俯瞰することに徹したスタイルは、読むのに苦労したけれど苦労した甲斐のある内容だった。

 

お休みなさーい。

先週食べたものの振り返り

参加することに意義があるのはオリンピックっぽい。日本の場合はオリンピック選手になるのも狭き門だけど、国と競技を選べばそうでもないから。ついでに、3~4年で入れ替わる学生チームとやればやるほど経験値が積み重なっていく社会人チームが、一番めざして争うのはライスボウルっぽい。

 

先週食べたものの振り返り。

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  • 焼き鯖、きゅうりの酢の物、ホウレン草の卵炒め、蕗の佃煮
  • 麻婆ナス、オクラのピカタ、にんじんともやしのサラダ
  • ちゃんぽん風うどん、ホウレン草のおひたし
  • ピザ
  • アスパラの豚肉ロールデミグラソース、ペンネのサラダ、マッシュポテト
  • 塩そぼろのまぜご飯、春雨サラダ、アスパラとチーズ春巻き、お味噌汁
  • ラム焼肉、春雨サラダ、カブのサラダ、お味噌汁 

完熟した夕張メロンを美味しくいただいた。

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熟すほどに緑から黄色っぽくなってゆき、甘―いメロンの香りに部屋中が包まれた。宝石みたいなケーキもいいけれど、その季節にしか味わえない完熟フルーツもまた格別。自家消費用なので、規格外品のお安い奴。価格は正規ブランド品の半額以下だけど、じゅうぶん甘い。たまにしか食べないから、満足度もとびきり高い。

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飽きるほど食べたい人向けには、メロン食べ放題レストランなんてのもあったね、そういや。

 

衣食住が満たされたら、たいていの不満は解消する。衣食住が満たされていてもなお満たされない。何しても楽しくないし何食べても美味しくないような人を満足させるのは、至難の業だから近寄らないにかぎる。当たり前のことではもう満足できない人の望みは、しばしば歪んでる。

 

冷戦の名残りで徴兵制を採用していたヨーロッパ、特に北方や東方の国々が、平和になるとともに徴兵制を撤廃し、今また復活させる国多数と聞けば一瞬キナ臭い。もちろん地政学リスクは健在。それに加え、国に対する帰属意識を高める目的もありと聞けば、反グローバルの流れっぽくて、次から次へと新しい敵見つけるの上手やね。。という気分に襲われる。

 

ヨーロッパ市民あるいはコスモポリタン世界市民として生きていければ、より大きなチャンスをつかめそうな今日この頃では、生まれた国への帰属意識は後回しになりがち。ついでに、みんな仲良くの方が平和にも豊かさにも近いから争いは悪もの。

 

とはいえ“共通の敵”の存在は、帰属意識を高めるのにお役立ち。幸か不幸か、すぐ近くにわかりやすいカタチで脅威が見えていれば、かったるい徴兵期間もリアリティーがあってより過ごしやすくなる。

 

気分を盛り上げるのは大事なんだけどさ。気分を盛り上げるためだけに敵認定される方は、たまったもんじゃないよね。と、これは国際情勢とは関係のないお話。

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久しぶりに食べたデミグラスソース味の食べ物。気付けばカレー味ばかりで、デミグラスソースを見つけるのもひと苦労。本当はもっと選択肢があったはずなのに。と、気付くのは、たいてい失われた後やね。

 

なんでそうも組織化に熱心なのさ???と言えば、動員かけやすくするためでしょ。動員した数が数字として評価される世界の人と言えば、そうは多くないやね。

 

お休みなさーい。

プリミティブ

ストーンヘンジの周囲に集まり、ともに夏至を祝う群衆の姿は、初めて見る景色なのに既視感あり。あぁそうか、あれだ。大文字の送り火を待つ人たちの姿によく似てるんだ。どちらも、宗教的儀式というよりはもちっとプリミティブ。

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日本でも夏至の日にはキャンドルを灯すというイベントがあったけれど、環境に対する啓蒙と意識高く言われると、三歩はあとずさる。それよりも、日本のお盆みたいだから送り火を灯すようにキャンドル灯しましょ。と、言われた方が抵抗感なく受け入れられるってもんで。

 

省エネと結びついてるってとこがすっ飛ばされるから、そもそも何のためのイベントだったかわかんなくなるというところは問題なんだけど。

 

そもそもそれは、何のためのイベントだったのか。

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イデオロギーっぽいものにはすべからくアレルギーがあって近寄らないと決めていると、よりイデオロギー色も宗教色もない方を選ぶ。だったら、イデオロギー色も宗教色も極力消し去って、そうとは気づかせないうちに“あら楽しい”で餌付けして一本釣りできると、後々便利よね。

 

はてなユーザー歴がそれなりに長いから、色んなアカウントの消長を見てきた。

 

あぁこの人は広告方面のアカウントなのねと認識していたアカウントが、気付けば政治的なことを語ってる。そういう場面を何度か見てきた。

 

モノを売るのか、コトを売るのか、それともまた別の物を売るのか。商材が何であっても宣伝するのが上手な人もいれば、特定商材の宣伝にのみ抜群のセンスを発揮する人もいる。アカウントのキャラ変は、宣伝を任された商材の変化に伴うもの。と、理解してた。

 

本人の得意なことと好きなことが別だったり、あるいは好きなものを宣伝しようにも需要が伴ってないと不幸。ビジネスでやってる人は選べなくなる日がくるから、どこかで妥協している。皆が扱いたい商材はきっと競争率も激しくて、ビジネスにすると妥協する日も早く訪れる。

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○○を売りませんか?と声を掛け、あなたではやっぱり売れませんねと扱う商材の変更を求め、気付いたら誰もが嫌がるオシゴトをさせられていた。なんてことにならないよう、気を付けてきた。

 

宗教とイデオロギーには近寄らない。

 

イデオロギーは、下水みたいなもんだから近寄っちゃダメとずっと昔に教えてもらった。宗教は、進歩を阻むものでもあるから距離を置く。

 

あら楽しいで餌付けするなら、もっと実用的でお役立ちなものに限る。

 

天変地異は、何十年に一回来るから天変地異なんだってさ。年がら年中異変が続くなら、それはもう天変地異ではなく、そういう環境で活動期。

 

小さな地震がよく来る地域に住んでいた時は、災害グッズを買い集め、背の高い家具も買わずに家具の配置には気を付けていた。関東は地震が多いことを実感してたから、用心してた。用心する人は、自分から積極的に情報を求めて対策する。それでも東日本大震災では、万全だったわけじゃない。買っててよかったグッズもたくさんあったけど。

 

ホットケーキミックスにキャンプ用品。あるいはフリーズドライ食品に缶詰が、もっともあってよかったと実感するのはきっと災害時。滅多にホットケーキは作らないから常備してないけど、南海トラフ地震の発生が予想される地域に住んでたらきっと常備してる。

 

震災を経験したことのある人ほど、用心してる。来ないだろうと言われてるエリアの人や、次々とやって来るニューカマーの人に、警戒や用心を求めても限界がある。

 

だから、ウェーイ♪やあると便利☆と楽しそうな雰囲気で釣って、日本語のリテラシー低くてもそれと気付かないうちに災害お役立ちグッズが揃ってた。という状態が好ましいやね。

 

もっとも届きにくい人に、もっとも平易なカタチで届けようとする努力を阻むのは、届きにくい人には届かなくてもいいと思ってる人。わかりやすい形のヘイトより、その方がよっぽどタチが悪く、そこには隠しようもない選民意識がダダ洩れしてる。選民意識をは、「上から目線」とは限らない。

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大通公園では、例年より規模が縮小された花フェスタが開催中。バラ園のバラも満開で、アマチュアカメラマンが大量出没してた。花より団子の人向けに、ベルギービールフェアも開催中で、イベントが目白押し。ベルギービールフェアは、大通ビアガーデンとは一緒にやらないあたり、“大人の事情“が潜んでるような気がしてしょうがない。

 

お休みなさーい。

不快音

フォートナム・メイソンのブレックファストティーは、125g入りで1400円だった1997年。今同じものを手に入れようとすると、価格は約1.5倍。

 

日本茶の新茶だと、100gで1000円前後。日常使いするには、高級ブランドだけあってやっぱりいいお値段。例えば来店客には飲み物を無料でサービスするような店舗で使ったら、きっと赤字。高級ブランドは、お高いから高級ブランドなんだよな、という当たり前のこと。

 

家にある古い本を引っ張り出して読み返すと、意外な発見が待っている。

 

各界の著名人の朝ごはん拝見という趣向で、著名人であっても食卓は意外と庶民的。“憧れ”要素が強い職種の人の食卓だけは、使ってる食器からしてきらびやか。アートフラワー創始者とかそんな感じの人。豊富な海外体験を反映して、愛用する一品としてオートミールを紹介してたりするけれど、オートミールを置いているお店なんて当時だって稀。

 

需要が少ないものは、当時もきっとお取り寄せ。

 

朝ごはんを紹介しつつ、著名人愛用の一品も紹介していて、どれもその辺のスーパーでは手に入りにくそうな“逸品”が紹介されている。現在も入手可能なものもあれば、今となってはもう入手不可能そうなものもあり、ロングセラー商品の作り方という目で見ても興味深い。

 

名変わり、モノ変われどそれはそれ。

 

ネイティブ広告という名もインフルエンサーという名も新しいけれど、手法自体に馴染んでいると、あぁそっち系かとわりと簡単にスルーできる。馴染んだ手法、それも成功体験が大きければ大きいほど繰り返したくなるものだけど、お馴染みの人が増えるとともに、効果も薄くなっていきそう。

 

広告そのものの出来はよくて、誰もが新しい広告を待ち望んでいるけれど、広告と売り上げはまったく連動してない商品も、きっとある。効果なしが可視化されると、辛いところ。

 

食は三代で保守的とも言うけれど、戦後から考えるとそろそろ端境期。

 

1997年出版の本では、朝ごはんにはお米を食べている人の方がまだ多く、品数も多い。20年の間にも食生活は変化していて、同じ趣向で再現すると、今ならきっともっと違う食卓の風景が見えてくるはず。

 

 

政府統計的なもの。平均を知るにはわりと便利で、あった方がいいと思ってる派。ではあるけれど、もととなるデータの入手先や入手方法も、20年のあいだにきっと変わった。

 

買い物するたびにアプリでピッとデータを吸い上げて、吸い上げたデータが銀行口座やカード引き落とし口座と紐ついて、年齢や所得階層がわかると各種調査に要する手間も中抜きできる。

 

アプリにポイントを読み込ませるピッという音は、すっかり日常になったとはいえ、いまいち好きになれない不快音。中抜きが完成した後の世界は、どう考えても不快だから。中抜きが完成し、好きなように中抜き出来てチャリンチャリンとお金が入ってくるようになった人たちのすることは、面白おかしく暮らすこと。

 

中抜きに罪悪感を感じてたら、そもそもその種のビジネスには手を出さない。出したくないのに出してしまったり、荒涼とした世界を作り出すことがわかってたら、面白おかしく暮らすさまを率先垂範して見せて、暗くなるに決まってる世界を明るくするしかないやね。

 

お休みなさーい。

先週食べたものの振り返り

それ、天変地異の最中にも言えんの?ということもある反面、天変地異という非常時だからこそ急浮上するものもあり。日頃から「気に食わない」と思っているものへのヘイトが一気に噴き出すのも、天変地異の特徴のひとつ。

 

水はある。家中の備蓄食料を食い尽くせば、まぁ3日くらいはなんとかなるでしょ。というキ・モ・チ。都市型災害であれば、3日もたてばすごく不便から、まぁまぁ不便なフェーズに落ち着くでしょ。

 

ストライクゾーンが狭いと、レパートリーも広がりにくいのがここ最近の課題。同じようなものばっかり作ってることは自覚していて、ちょっと反省。

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  • かんぱちのカマの塩焼き、夏野菜の揚げびたし、納豆、トマトの甘酢あえ、お味噌汁
  • 八宝菜もどき、ホウレン草とトマトとツナのサラダ
  • 鶏のから揚げ、サラダ、アスパラ春巻き
  • ハンバーグ弁当
  • 残りもの野菜の味噌仕立て鍋
  • テンペの豚肉炒め、とうもろこしご飯、めかぶと大根梅あえ、蕗の佃煮、スープ

くだらないことに時間を取られ、買い物に行けなかった日のハンバーグ弁当は、中身が見えない仕様。3割引きという、値段に惑わされてはいかんいかん。

 

果物の種類が増え始めると、夏を感じる。地味に今年の初物で、カンロやさくらんぼを食べた。北海道産のさくらんぼが、店頭に並ぶのはもうちょっと先。この手のものは、収穫時期が読めないから困りもの。そういや、生のとうもろこしを使ってのとうもろこしご飯も今年初。

 

こいつはテンペ。

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そのまま食べると、ほんのり納豆風味。発酵臭が苦手なら、揚げてから使うと気にならなくなるけれど、面倒だったのでそのまま調理。食べる前にはひと言、これテンペ。と言っておくと、肉かと思って口に運んだ相手から驚かれず、あるいは抗議を受けずに済む。

 

新製品であってもホイホイ買ってしまうのは、結局食品なんだよな、やっぱり。。究極の消えものだからこそ、買いやすい。ということで、珍しいからつい買ってしまったこれは、メロンのピクルス。

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漬物用のメロンが売ってる土地柄。メロンと言っても甘くはなく、歯ごたえのあるキュウリのピクルスと言い張っても、通用しそうな味と風味だった。

 

メロンを買いに、年に一回くらいは足を運ぶ夕張までは、札幌からは車で小一時間の距離。デパートで買うかスーパーで買うか通販で買うか悩むところだけど、贈答用ならデパート。自家消費用なら、どこで買ってもいいやね。

 

今年は「秀」品が少ないらしく、秀・優・良に加えて特秀なんてのもあるけれど、等級なしで売ってる夕張メロンは、はてどのクラスのものか謎。糖度が保障されてる方が、安心さ。

 

セイコーマートくらいしかなかったのに、セブンイレブンが新しくでき、道の駅夕張メロード限定の北菓楼バームクーヘンがあり、見えないところで他にも企業による協賛はありそう。

 

メロンと言えば、夕張メロン。だったけれど、近年は似たようなメロンを各自治体も生産するようになって、夕張支援で長年夕張メロン応援してきたんだから、もういいじゃない余所応援しても。という消費者や他の自治体の気持ちも微妙に反映しての、選択肢の広がりっぽい。と、見てる。

 

どこ産のものであっても、遜色なく美味しいのが悩ましいところ。義務ではなく好きなものを選んで買って、季節の到来を楽しみたいやね。

 

お休みなさーい。

神様の御なり

捨てる神あれば拾う神ありは、竈でもどこでも神様を見出す、いかにも日本っぽい言い回し。ついでに、理屈ではなく感情に訴えて他者を動かすのはリーダーというより教祖っぽい。教祖様に対する信仰が深いほど、信者を動かすのもより簡単さ。

 

公論には、感情の揺らぎはなくていいタイプです。

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これはドライブ先。

そこそこ好天にめぐまれた土曜日は、札幌まつり神輿渡御の日。あんまりいい写真が撮れなかったから、写真はないんだけど。初めて札幌まつりを見た数年前に比べれば、神輿も山車も、キラキラピカピカ立派になったような気がするのは、単にお日様の加減か気のせいか。

 

初夏、あるいは夏の到来を告げる行事でもあるけれど、浴衣で夜店をぶらつくには、まだ寒過ぎる気がしてしょうがない。

 

夜店をぶらつくかわりに、神輿渡御を沿道で見送った。

 

神様の依り代を、神輿に載せて地域を練り歩く行事。言ってみれば、普段は外出が許されない、深窓のご令嬢やご令息を神輿という乗り物に載せた、土地あらため的なもの。あなたが住まう地域は今年も異常なしと、土地の人に見てもらうと同時に土地の人も神事に異常がないことを確認する行事。

 

貴人の御なり、来訪ともなると、一般人がどれほど陳情しようとも無視されていた困りごとも、貴人の来訪に合わせてたちまち解決。なんてこともあったりするもんだから、お天道様の目より神様の目の方が怖い人、いっぱい居るんだね。

 

八百万っていうくらいだから、その数いっぱい。上限さえ決まってないんだから、ひとつしかないお天道様よりも、そりゃチェックの目は細かく厳しい。ひとつしかない代わりに、主に神罰方面での威力抜群のお天道様と、働き者とは限らないけれど、すみずみまで目が行き届く八百万の神様と。タッグ組んだら最強。

 

八百万とか言いながら、福の神に貧乏神、あるいは竈の神様くらいしか咄嗟には思いつかないんだけどさ。

 

ギリシャローマ神話あるいは北欧神話だったら、メジャー級じゃないモブキャラ、もといモブ神様だってよく知っているのと比べると、何たる違いか。主に当時受けた教育の賜物で、エンタメ方面でも西洋礼賛という空気のなかで育った結果、日本神話については今に至るまで極めてサラッとしか知らない。

 

親世代、あるいはそれ以前の反動が教育には反映されるから、今の教育内容が過去と違っていれば、そこには反省が込められている。反動を繰り返しながら、次世代に引き継がれていくんでしょ、きっと。

 

たったひとつしかないお天道様には愛されず、すごくいっぱいいるという八百万の神々にも愛されなかったら、そりゃ自分たちで新しく作った神様を祀りたくもなるやね。

 

アメリカには宗教年鑑のようなものがあり、毎年新たな宗派が追加されているんだとか。なんてクリエイティブ。

 

すごくいっぱいいるという神々にも愛されず、それでいてたったひとつしかないお天道様に愛されるのは至難の業。愛とついでに恵みをくれるのは神様。という考えから脱するのが、まずは幸福への第一歩で、気まぐれな神様は土地の平安は祈っても、個々人の平安には関心薄いかも。

 

ギリシャローマ神話北欧神話では、神様ほど勝手な振舞いが多くて、諍いの種だったんだけど。日本神話や、その他はどうだか知らね。札幌は、古くからこの地に住まっていたはずの、アイヌの神様とは縁薄い土地だったから新政府に選ばれたのか。そこだけは気になった。

 

お休みなさーい。

手間を惜しむ

アメリカで大豆の消費を増やしたいなら、難易度の高い納豆よりも、テンペの普及めざした方が簡単そう。スティック状に切ってフライにして、チリソースで食べればヘルシーフライドポテトの親戚っぽい。

 

テンペは一部アジア系の人にとっては、そもそもお馴染みの食材かもしれないし、納豆という日本人でさえ好き嫌いの分かれる食材。馴染みのない人にとっては、ハードル高過ぎ。

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一見きれいだけど、アレルゲン。

あなたを奴隷として扱うから、僕たち私たちと共にいらっしゃい。と、手を差し伸べる人と。誰かを奴隷のように扱うなんてまっぴらだから、奴隷のように生きる未来しか見えない人はそもそも受け入れない。と、入り口を狭くする人と。

 

人権感覚が発達しているのは、一体どちらなんすかね。

 

それに加え、例えばそれが有期雇用で、貨幣価値が1/5くらいの国の人の場合、きつい仕事に耐えた後で故郷に戻れば、ちょっとした小金持ちになっている可能性もあるわけで。ついでにもうちょっと想像をたくましくすれば、有期雇用で故郷に戻った後は小金持ちが確定している心の余裕があれば、きつい仕事も屈辱的な扱いも、いっときのことと受け流せる。

 

社会の複雑さに耐えようとすると、細かいことは気にしない方向に向かうのは、ある種の防衛本能かも。かもかも。

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新宿中村屋といえば、咄嗟に思いつくのはカレーに月餅。創業者である相馬黒光・愛蔵夫婦は娘の婿として、イギリス政府のお尋ねものでインド独立運動に加わっていたボースを迎え、ボースの助言を得てインド式カレーをお店のメニューに加えたんだとか。

 

そのエピソードを思い出すたびに、娘さんが可哀そうになってくる。

 

国際結婚そのものが珍しかった時代。外国人、それもインドの人と、どう考えても親と政治の意向とで結婚させられ、父親が残した書き物のなかでは、心労が重なって若死にしたとまで書かれてる。

 

それなりに繁盛していた、人気のお店。そのお店のお嬢さんともなれば、大切に育てられていたに違いないと思うんだけど、どうしてそうなったのか。お前はインドの人、ボースと結婚しなさいと告げられた時の年頃の娘さんの心境を思うと、気の毒という言葉しか出てこない。

 

母親である黒光は、新人アーティストを支援するサロンのようなものを主催し、彼らのミューズとしてチヤホヤされてたのにさ。どうしてその娘の人生は、ハードモードになるのか。

 

時は、日清・日露戦争を経た大正時代。欧米列強と、表面上は同盟関係にあっても、結ばれたばかりの友好関係は盤石とはいえず、国際情勢的に色んな伝手はあった方がいいやろ。という、どう見ても政治的思惑込み込みの縁談。

 

税金をめぐって中村屋と国の間には溝もあったと聞けば、日本の同盟国であるイギリス政府に迫害されていたボースに、中村屋が肩入れする理由もなんとなく納得。

 

感情で動いている両親のもとに生まれた娘は、彼女の意思とは関係なく、因果を含められて嫁になったっぽいから、一層不憫。

 

大切に育てられていた娘さんだからこそ、駆け落ちするような想い人や想われ人もいなかったのか。自由恋愛なき時代の結婚は、時として政治的思惑込みとはいえ、あんまりと言えばあんまり。あんまりな例だから、歴史上の逸話としても名高いのかも。

 

新人アーティストのサロン主催者としても名高かった相馬黒光は、自伝を残していて、娘のことをどのように記述してるのか、悪い意味で興味津々。

 

親に頼まれる、あるいは命じられたら喜んで!と応えるよう教育されていたのか。

 

おかしなことも、おかしいと反発せずに名誉と受け取るような子供に育てたかったら、幼少時からの刷り込みが肝心で、刷り込みの手間を惜しんでおかしなことを命じたら、毒親と謗られてもしょうがない。

 

お休みなさーい。