クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

不快音

フォートナム・メイソンのブレックファストティーは、125g入りで1400円だった1997年。今同じものを手に入れようとすると、価格は約1.5倍。

 

日本茶の新茶だと、100gで1000円前後。日常使いするには、高級ブランドだけあってやっぱりいいお値段。例えば来店客には飲み物を無料でサービスするような店舗で使ったら、きっと赤字。高級ブランドは、お高いから高級ブランドなんだよな、という当たり前のこと。

 

家にある古い本を引っ張り出して読み返すと、意外な発見が待っている。

 

各界の著名人の朝ごはん拝見という趣向で、著名人であっても食卓は意外と庶民的。“憧れ”要素が強い職種の人の食卓だけは、使ってる食器からしてきらびやか。アートフラワー創始者とかそんな感じの人。豊富な海外体験を反映して、愛用する一品としてオートミールを紹介してたりするけれど、オートミールを置いているお店なんて当時だって稀。

 

需要が少ないものは、当時もきっとお取り寄せ。

 

朝ごはんを紹介しつつ、著名人愛用の一品も紹介していて、どれもその辺のスーパーでは手に入りにくそうな“逸品”が紹介されている。現在も入手可能なものもあれば、今となってはもう入手不可能そうなものもあり、ロングセラー商品の作り方という目で見ても興味深い。

 

名変わり、モノ変われどそれはそれ。

 

ネイティブ広告という名もインフルエンサーという名も新しいけれど、手法自体に馴染んでいると、あぁそっち系かとわりと簡単にスルーできる。馴染んだ手法、それも成功体験が大きければ大きいほど繰り返したくなるものだけど、お馴染みの人が増えるとともに、効果も薄くなっていきそう。

 

広告そのものの出来はよくて、誰もが新しい広告を待ち望んでいるけれど、広告と売り上げはまったく連動してない商品も、きっとある。効果なしが可視化されると、辛いところ。

 

食は三代で保守的とも言うけれど、戦後から考えるとそろそろ端境期。

 

1997年出版の本では、朝ごはんにはお米を食べている人の方がまだ多く、品数も多い。20年の間にも食生活は変化していて、同じ趣向で再現すると、今ならきっともっと違う食卓の風景が見えてくるはず。

 

 

政府統計的なもの。平均を知るにはわりと便利で、あった方がいいと思ってる派。ではあるけれど、もととなるデータの入手先や入手方法も、20年のあいだにきっと変わった。

 

買い物するたびにアプリでピッとデータを吸い上げて、吸い上げたデータが銀行口座やカード引き落とし口座と紐ついて、年齢や所得階層がわかると各種調査に要する手間も中抜きできる。

 

アプリにポイントを読み込ませるピッという音は、すっかり日常になったとはいえ、いまいち好きになれない不快音。中抜きが完成した後の世界は、どう考えても不快だから。中抜きが完成し、好きなように中抜き出来てチャリンチャリンとお金が入ってくるようになった人たちのすることは、面白おかしく暮らすこと。

 

中抜きに罪悪感を感じてたら、そもそもその種のビジネスには手を出さない。出したくないのに出してしまったり、荒涼とした世界を作り出すことがわかってたら、面白おかしく暮らすさまを率先垂範して見せて、暗くなるに決まってる世界を明るくするしかないやね。

 

お休みなさーい。