クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

神様の御なり

捨てる神あれば拾う神ありは、竈でもどこでも神様を見出す、いかにも日本っぽい言い回し。ついでに、理屈ではなく感情に訴えて他者を動かすのはリーダーというより教祖っぽい。教祖様に対する信仰が深いほど、信者を動かすのもより簡単さ。

 

公論には、感情の揺らぎはなくていいタイプです。

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これはドライブ先。

そこそこ好天にめぐまれた土曜日は、札幌まつり神輿渡御の日。あんまりいい写真が撮れなかったから、写真はないんだけど。初めて札幌まつりを見た数年前に比べれば、神輿も山車も、キラキラピカピカ立派になったような気がするのは、単にお日様の加減か気のせいか。

 

初夏、あるいは夏の到来を告げる行事でもあるけれど、浴衣で夜店をぶらつくには、まだ寒過ぎる気がしてしょうがない。

 

夜店をぶらつくかわりに、神輿渡御を沿道で見送った。

 

神様の依り代を、神輿に載せて地域を練り歩く行事。言ってみれば、普段は外出が許されない、深窓のご令嬢やご令息を神輿という乗り物に載せた、土地あらため的なもの。あなたが住まう地域は今年も異常なしと、土地の人に見てもらうと同時に土地の人も神事に異常がないことを確認する行事。

 

貴人の御なり、来訪ともなると、一般人がどれほど陳情しようとも無視されていた困りごとも、貴人の来訪に合わせてたちまち解決。なんてこともあったりするもんだから、お天道様の目より神様の目の方が怖い人、いっぱい居るんだね。

 

八百万っていうくらいだから、その数いっぱい。上限さえ決まってないんだから、ひとつしかないお天道様よりも、そりゃチェックの目は細かく厳しい。ひとつしかない代わりに、主に神罰方面での威力抜群のお天道様と、働き者とは限らないけれど、すみずみまで目が行き届く八百万の神様と。タッグ組んだら最強。

 

八百万とか言いながら、福の神に貧乏神、あるいは竈の神様くらいしか咄嗟には思いつかないんだけどさ。

 

ギリシャローマ神話あるいは北欧神話だったら、メジャー級じゃないモブキャラ、もといモブ神様だってよく知っているのと比べると、何たる違いか。主に当時受けた教育の賜物で、エンタメ方面でも西洋礼賛という空気のなかで育った結果、日本神話については今に至るまで極めてサラッとしか知らない。

 

親世代、あるいはそれ以前の反動が教育には反映されるから、今の教育内容が過去と違っていれば、そこには反省が込められている。反動を繰り返しながら、次世代に引き継がれていくんでしょ、きっと。

 

たったひとつしかないお天道様には愛されず、すごくいっぱいいるという八百万の神々にも愛されなかったら、そりゃ自分たちで新しく作った神様を祀りたくもなるやね。

 

アメリカには宗教年鑑のようなものがあり、毎年新たな宗派が追加されているんだとか。なんてクリエイティブ。

 

すごくいっぱいいるという神々にも愛されず、それでいてたったひとつしかないお天道様に愛されるのは至難の業。愛とついでに恵みをくれるのは神様。という考えから脱するのが、まずは幸福への第一歩で、気まぐれな神様は土地の平安は祈っても、個々人の平安には関心薄いかも。

 

ギリシャローマ神話北欧神話では、神様ほど勝手な振舞いが多くて、諍いの種だったんだけど。日本神話や、その他はどうだか知らね。札幌は、古くからこの地に住まっていたはずの、アイヌの神様とは縁薄い土地だったから新政府に選ばれたのか。そこだけは気になった。

 

お休みなさーい。