クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

初心

無邪気で素朴。

 

何より初々しい姿に、心がなごんだコーカサス出身の人。初々しさは、さまざまに凝り固まった何かを洗い流すもので、初心に還りたいから居場所を変え続けるというのは充分にあり得る。

 

初心に還れなくなったら、腐りはじめ。

 

格付けされる方の能力>格付けする方の能力というケースもままあって、本来は判断できないものを無理くり判断する必要があるから、数値化が重宝される説を思いつく。数値化は、本来評価できない、しづらいものを評価しやすくするための単なるツールでもあって、そんなに目利きに自信があるなら自分でやってみな方式にすると、あっという間にその関係性も逆転する。

 

逆に、水を得た魚で生き生きとする人もいるんだろうけどさ。

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快晴かつお洗濯日和。ではあったけれど、アレルゲンもそこいらじゅうをフワフワ漂ってるので油断ならねぇ。タンポポの綿毛風のものがフワフワ漂い出したら、花粉症も終盤。と、思いたい。

 

暑すぎず寒すぎず。観光客の姿もまばらで、本来なら遅い北国の春を満喫してる頃なのに、今年は重症化した花粉症のせいであんまり遠出もできず。近場で済ます。

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何度行っても都市と自然の近さにそれなりに感動する、藻岩山から見た札幌の景色。適度な運動にももってこいの場所とはいえ、熊と遭遇しそうで二の足三の足。適度な運動にちょうどいい、自然たっぷりな場所が近郊に点在しているとはいえ、気になるのはいつも野生動物。

 

自然豊かな場所で遭遇する、キタキツネにリス。いかにも北海道な景色で、見てるだけならいいんだけどさ。不用意に触るわけにはいかないし、エキノコックスは怖いし。近隣に頻繁に出没するような人たちは、どの程度触れ合ってるのか謎。

 

自然が近ければ、野生動物との遭遇も近くなるのも思えば当たり前。とはいえその当たり前を飲み込むには、都市が近過ぎる。都市と自然。適度な距離を保つのは、なかなかに難しいようで、思えば北海道開拓から、まだたったの150年しか経ってない。

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思ったより都市だけど、想像以上に自然も残っているという札幌に来た当初の印象は、今もそう変わらない。器は都市、その中に盛られているものは結構ワイルド。そんな感じ。

 

それが風土に合った気質で、これからもそのままなのか、それともなのか。どっちに転んでいくんすかね。

 

お休みなさーい。

先週食べたものの振り返り

二週間ほどで終わると思っていた花粉症。グズグズと鼻詰まることすでに一か月におよび、そろそろ5月も終わる。5月の方が先に終わるなんて、ほんと夢にも思わなかったわ。

 

起き抜けはモーニングアタックで症状が特にひどくなるから、朝食を見ると体調のよしあしが如実にわかる。モリモリ食べてる時は、体調のいい時。少食な時は、ダメな時。おやつみたいなもので済ましてる時もあるので、おやつタイムとの違いがわかりゃしねぇ。

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  • しらす丼、ホウレン草としめじのおろし和え、トマト入りもずく酢、味噌汁
  • トマトソースのフィットチーネ、チキンソテー、スープ
  • 鶏ひき肉のきんぴら炒め、アスパラのごま和え、ポテトサラダ、トマトスープ
  • マグロの南蛮漬け、白菜のごま和え、鶏ひき肉のきんぴら炒め
  • チンゲン菜と鶏むね肉のオイスターソース煮、きんぴらの玉子とじ
  • 鯖のカレーソテー、ズッキーニのマリネ、小松菜とエノキのマスタード和え、味噌汁
  • タラの頬肉の南蛮漬け、ズッキーニのマリネ、鯖サンド、チーズ

振り返ってみてはじめてわかる。あら?先週は外食なしだった?その代わりに週末はウチメシワイン(古いのは自覚してる)で、ワインのおともと思えば夜にサンドウィッチでもまぁいいかと。

 

基本的に、趣味で料理をしてる方。そのわりには手抜き気味なのは、予算の問題ややる気の問題もあってとゴニョゴニョ。。

 

趣味が必要に勝っているので、使いたいものを使って作りたいものを作ってる。

 

北の国まで来ればビワもいちじくも高級フルーツで、メロンの方が安いくらい。完熟したいちじくを、冷たく冷やしてガブリと生のまま食べるのが好きだったけれど、今それをやろうと思うとかなりの贅沢。(特上)ビワは3個で千円くらいするしな。マンゴーの方が安いくらいという、流通の不思議。

 

そんな時に、缶詰のいちじくを見つけたのでついお取り寄せ。ついでに、金柑の缶詰も珍しかったのでお取り寄せ。いちじくの方は、生のものとはまた違った食感で、同じシリーズから出ている若桃のような固めの食感で、紅茶シロップ漬け。

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紅茶寒天と合わせてみたけれど、最初はきれいな紅茶色だった寒天も、固まる最中に濁っていった。なるほど。ゼラチンで固める方が、きれいな紅茶色が保てるんだな。

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定番として定着しそうな気がいまいちしなかったいちじく缶だけど、金柑の缶詰はお正月用にもよさげなので、そのまま定番化して欲しい。量的には物足りないけれど、季節外れに食べるんだったらこんなもんでしょ。

 

趣味で料理をするから、調味料も原材料までじっくり吟味する。例えば、みりん。近頃は国産米&非醸造アルコール使用のものの方が珍しくなって、恐らく需要がないんだろう。

 

みりん風調味料もあれば、麺つゆもある。そうして、家庭の味が均一化していくんだな。

 

エンタメにまぶして道徳を広く薄く広めるように、基本調味料に“後世まで残したいもの”を紛れ込ませて、広く薄く普及に努める方が合理的だと思ってるんだけど。昔読んだ『フードトラップ』では、食品と化学の垣根は限りなく低く、一線を越えるともう、メーカーサイドでも消費者サイドでも、どうしようもないジレンマに陥ってた。

 

メーカーも消費者も効率ファーストになると、良心的であろうとしても良心を保つのが難しくなるというジレンマ。断ち切ろうとしたら、産業であることをやめるくらいしか解が残されてないっぽかったな、と思い出す。

 

ついでに有島武郎の農場では、歳月を経て農家の戸数は増えても、商品作物はちっとも育たなかったという事実がなかなかに味わい深い。良心と言う畑からは、そもそも大量の収穫は期待できず、多数決になったらリベラルは不利。

 

リベラルという語には多分に「気前のよさ」も含まれて、幸福な王子状態を続けられる人はそもそも珍しいから、フィクションとして成り立っている。無い袖は振れんとなったらオシマイなのが普通の人で、普通じゃなく気前がいい人は、筋金入りのリベラル。筋金入りだから、ごまかしもきかない。かもね。

 

お休みなさーい。

シーニックバイウェイ

北海道限定の謎ワード、シーニックバイウェイ。景色のいいドライブウェイ、くらいの意味で理解してる。広義ではシーニックバイウェイのひとつに入るのかな?というルートを使って、ニセコに行って来た。

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札幌からニセコに行くルートには二通りある。国道230号線から中山峠を越えてニセコに入るルートと、札樽道から毛無山を越え、赤井川村を経てニセコに入るルートと。今回選んだのは、赤井川村を経てニセコに入るルート。

 

国道393号線はメープル街道と名付けられていて、紅葉の季節はきっと見事なんだろうなと思わせる景色を横目にしながら、ニセコに入る。今は新緑が見事。春先だから、たんぽぽや名前も知らない野の花、あるいは雪解け水であふれんばかりの清流、たいそうきれいに手入れされた花いっぱいのフォトジェニック農家の姿が点在している。なるほど、この景色がシーニックバイウェイなんだな。

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これは新緑のイメージ画像。

グネグネとした山道を越えながらなので、写真を撮ってる暇はなし。とはいえ、ニセコ連峰の一部がきれいに見えるポイントでは車が止められたりと、景色に対する配慮もなくはなかった。

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めざすは、藤倉英幸展を開催中の有島記念館。

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大正時代前期に、白樺派の作家・思想家として活躍した有島武夫。元薩摩藩士の官僚で成功した実業家を父に持った、学習院出身のお坊ちゃん。その時代にあって、アメリカ留学やヨーロッパ遊学を経験していた特権階級で、彼がいかに恵まれていたかは、残された有島記念館を見てもわかる。

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これらがパパからの贈り物。の残滓。
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立派な建物とだだっ広い地所、そして地所から望む素晴らしい景観からは、最初期の入植にあって“いっちゃんいいもの”を遠慮なく選べた人の立場が透けて見えるよう。こんなに立派な建物と場所だと思ってなかったから、びっくりした元農場。

 

東北以北には、持てる者が私財をつぎ込んで開拓した近代日本の来歴が色濃く残る歴史的遺物が結構残されていて、きっとそれは巨大資本による再開発を免れてきたからなんだろうと思ってる。

 

それはともかく。

 

JR車内誌の表紙でおなじみのアーティスト、藤倉英幸。北海道に来てから始めて知った作家さんで、多分ローカルでの知名度は抜群に高いと思われる人。色使いがきれいで、好き。

 

作品は“はり絵”の技法で作られていて、版画やポスターではわからない、オリジナルならではの趣が間近に感じられて、とっても満足。じっくり見てきた。版画やポスターだと、のっぺりつるりん。原画にははり絵ならではの凹凸があって、手間暇かかった細かい手作業が確認できる。

 

デフォルトされた、北海道の四季を描いている人。

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ビフォー、アフター。

雪が降る広大な原野。住むのは大変でしょというネガティブ面を、でもきれいだよ?のひと言でプラスに転じる魅力を放つ。とか言ってみたりして。

 

翳り、あるいは闇がちっとも感じられないところが好き。

 

光差すところ必ず影が現れるものだけど、影でさえ榛色とか呼びたくなるような“色“がちゃんとついている。誰もが知り、巨億の値段がつくオールドマスターの作品は、そりゃ美術史的には貴重で高価なものかもしれないけれど、時に暗過ぎて「きれいねー」とはとても言えない。闇深過ぎ。

 

有島武郎つながりで、岩内町の木田金次郎美術館でも期間限定で(2018年5月27日まで)藤倉英幸展を開催中。『生まれ出づる悩み』のモデルとしても知られる、木田金次郎。作品中ではずいぶん酷い扱いを受けていて、社会矛盾に敏感だった有島らしさが、思えば凝縮されていた。

 

文庫では同時収録されている『小さき者へ』が結構好きだったけれど、今読み返すとわりと複雑な気持ちになる。

 

母を失った我が子を不憫がる有島には、妻を失ったとはいえ母が健在で、彼にとっての幸福は母が健在であることだから。

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これは白樺林。

有島武郎の代表作、ついでに『暗夜行路』と並ぶ白樺派の代表作は『或る女』で、自我あるいは自己の確立こそが白樺派の特長なんだと文学史で学んだもので。『カインの末裔』を推されてもなぁ。。という気持ちも去来する。

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ブックカフェからの眺め。

保守=個人への抑圧で、個人に対する干渉に躊躇いがないのなら、どれほど革新を標榜して改革派に属していても、結局は保守。宗教的あるいは歴史的経緯があるとはいえ、21世紀の今さら人工妊娠中絶が国民投票にかけられるアイルランドが、ヨーロッパでもっとも保守的と言われるのもよくわかる。

 

自らも農場を経営しながら社会矛盾にも敏感で、それでいて出自から労働者や農民の立場には絶対に立てないからと、最後は農場を解放するとか。己に正直過ぎ、有島武郎。社会矛盾には敏感だけれども、労働者や農民と決して同化できないという自我や個人の選択が許されるには、生まれるのが百年早かったかもね。かもかも。今だったら、資本家にしかできないお仕事ができたのにね。

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農場解放を宣言した歴史的舞台の弥照神社も、現在は観光ルートに。

資本家にしかできないお仕事があるから、労働者や農民に迎合せず社会矛盾に敏感な資本家としての発信や活動が許される、本邦におけるソーシャライツの最初期の例にも見えてきた。

 

お休みなさーい。 

ストッパー

投資移民の申請書に、「その資産は不正な手段で手に入れたものではないですね?」の一文を追加しただけで、投資移民の希望者が激減したとか。

 

遵法精神をかなぐり捨てたら、お金儲けはよりイージー。どうせこの国なんて捨ててやると、恩よりも恨みが大きかったら、脱法精神も加速する。逸脱した行為で蓄財に励み、第二の人生をスタートさせた後は紳士淑女面したところで世界がより小さくなった今では、筋が悪い。

 

やましいところはなくただ合理性の産物かもしれないよくできた節税行為も、「やましいところがないなら、精査していいですね?」で台無しになるかもしれないから、うっかり「やましいものではありません」と肯定もできない。

 

国家と国家に匹敵する企業が対立したところで、結局人類の居るところはほぼすべて国家のお手付きなんだから、地主、あるいは家主にNOをつきつけられたら引くしかない。トータルで考えたら結局マイナスになるケースには、地主も家主も遠慮なくNOと言うやね。

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ライラックに負けじと、スズランも見頃。

 

どちらも、見た目よりも清々しい芳香がより魅力になっている花。あいにく鼻づまりなので、今年は芳香もよくわからず。今年からひどくなった花粉症。札幌よりも郊外に出掛けるとさほど症状はひどくならず、花粉の問題というより排気ガスの問題のような気がしてきた。これは個人の感想です。

 

札幌市内はあちこちで工事中で、ハイブリッドでもEVでもないトラックの交通量が増えた気がしてるから。

 

上海あたりでも大気汚染がひどいと一時期よく報道されていたけれど、健康を選んで環境、住む場所を変える人もいそうなもの。日本でもその昔、公害が問題になって気管支に問題を抱えた家庭は、郊外に移り住んでたりしてたけれど。子供にかける情熱が多くなるほど環境に敏感になるのは、いつの時代でもどこの国でもありそ。

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真昼の月

定点観測的にひとつのブランドを観測していると、ある時から品質とは不釣り合いな高値がつくようになり、あぁこのブランドもそういやもう歳取ったからねと思う。

 

企業が従業員みなと一緒にひとつ歳を取って、内部でアレしてコレしてそれでも帳尻が合わせられない時には消費者に価格転嫁するしかない。

 

そしてまた、ある時から急に価格がお手頃価格へと方針転換すると、あぁ販路が広がったのねとか。そんなことを考えながら、わりとしつこくひとつのブランドを使い倒す。

 

名前で選んでもらえるようになるまで大変。


選んでもらえるようになってからも大変で、それでもひとつひとつ階段を登っていくから、ブランドが出来上がるんだよな。

 

お休みなさーい。

 

先週食べたものの振り返り

すでにあるものをネットに移すのは簡単で、あぁ今はネットあるいはアプリに移行したのねと変化もすんなり受け止められる。いつの間にか増えるポイントカードはアプリに移行しつつあるので、そのうち長財布は不要になりそう。

 

「手を洗って」「宿題はさっさと片付けて」「散らかしたものはちゃんと元に戻して」と、日頃から“命令”することに慣れた人とスマートスピーカーの相性はきっと抜群で、口答えを許さない人ほどAI秘書との相性もきっとよし。

 

花粉症が悪化するほどに、食事から油っ気が抜けていく。

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  • 大根と鯖の水煮の煮物、いかのくんせいとアスパラ・きゅうりの和え物、しめじとにんじんの混ぜご飯、豆乳スープ
  • 大根めし、豚肉と豆苗の炒め物、こんにゃくの含め煮、蕗とにんじんのチャンプルー風、いかのくんせいとアスパラ・きゅうりの和え物
  • かき揚げとかぼちゃの天ぷらのせうどん、かぶのサラダ、茹でそら豆
  • 厚揚げステーキ、こんにゃくの含め煮、かぶのサラダ、豆乳スープ
  • 炒り豆腐、ポテトサラダ、コーンと枝豆のつまみ揚げ
  • 豚肉と白菜の煮物、トマト入りもずく

生の蕗が手に入ったので、蕗の水煮を作り置きしておいた。蕗の水煮は年中手に入るけど、やっぱり生から作ると香りが違う。昆布と一緒に佃煮にして、あっという間に食べ上げた。

 

昆布の佃煮は、祖母の味で、母の味。有名店のものは、昆布も柔らかくて上品な味だけど、何かが違う。舌が祖母の味と母の味に慣れ過ぎていて、美味しくても他の物を受け付けない。自分で作ってみて初めてわかる、昆布を柔らかく炊く難しさ。使ったのは、去年旅行で行った、羅臼のもの。

 

祖母に連れられて、八坂神社近くの乾物屋まで買い物に行ったのも今はもう昔の話。どこ産の昆布だったのか知らないけれど、乾物屋でわざわざ売ってるようなもの、意外と北海道産だったら面白い。

 

観光客で賑わう今は、あの界隈からは乾物屋のようなお店はもう残ってるとは思えない。細い路地の間にあった、羊羹が美味しかった和菓子屋さんとか。もう名前も覚えてないような個人経営のお店の数々。生活があるとは思えない場所から、生活に必要な品を見つけるのが、思えば上手な人だった。

 

生活があった場所からコストの関係で生活が消えていくのなら、コストがかからない場所に、順次居場所を変えていくんでしょ。

 

コンビニでもスーパーでも、おばんざいと呼びたいような茶色っぽい総菜は簡単に手に入る。だけど手作りのものに慣れていると違いだけが際立って、どうしても受け付けない。だから、買うのは別のもの。

 

お休みなさーい。

シンボル

戴冠宝器と書けば仰々しく意味不明な一方で、Crown Jewelsと書けば、あぁそういうことねと大体推測できる。イギリス王室で戴冠式に使われる王冠は、キンキラキンかつおもちゃみたいに大きな極彩色の宝石で彩られてた。

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これは天気がよかった別の日のもの。

7つの海を制した帝国だけあって、過去の遺産(というより戦利品だな)も豪華絢爛。一方の日本。正倉院の宝物殿を思い浮かべても、地味。長い歴史の中にはキンキラキンや豪華絢爛っぽい時代もあったけれど、どっちかっていうと武家や町人文化の賜物で、別に戦利品というわけじゃない。

 

島国でロイヤルファミリーを擁するところは一緒だけど、違うところの方が多過ぎる、彼方と此方。特別リッチじゃないから生まれる文化や技術もあって、どう考えてもそちらの方が得意そう。

 

クレイグリストにスリフトショップ。あらステキと思うようなブツとのめぐり逢いを期待して、リアル店舗をめぐるかネット空間をさまようか。物理的制約はない方が、そりゃ出逢いも広がるってもんでしょう。

 

氷山の一角あるいは象徴ってもんは、象徴だから丁重に扱われる。ゴスペルシンガーと主にエンタメ界の成功者を引き連れて乗り込んだ、世界有数の新参者には厳しそうな場所でも、象徴であり続ける限り同盟は守られるんでしょ、きっと。

 

ドレスにケーキに、ブライズメイドにページボーイ。

 

もちろんその手の話題には興味津々で、ステキステキと喜びながら、新しい情報を見つけたらついクリックする。だけど、知りたいのはまた別のこと。イングランドは、エンタメ界にブラックアメリカンに。ブレグジットで独立しても独自の人脈あるいは伝手を得たようにも見えるけれど、ブレグジットには否定的な、例えばスコットランドの見方とかどうなんすかね。ということが、つい気になった。

 

未来の王様と王妃様が出会った土地は、国際都市ロンドンとはまた別の空気が流れているっぽいから、その辺についての「解釈」または「講釈」が聞けたら面白い。国が閉じてもやっていけそうな地方と、やっていけなくなる地方の違い。みたいな。

 

捨てあぐねている古い本を読み返すと、相当突っ込んだ内容の解説付きで、今となっては読み飽きた本文よりもそっちの方が貴重。大きな流れの中の位置づけや、どういう問いを内包しているのかがよくわかるから、脳内へぇボタンも活性化する。

 

豚に真珠、猫に小判で、価値がわかる人に相応の対価付きで提供されるのが、解釈や講釈の在り方としては正しいやね。

 

お休みなさーい。

アンチええじゃないか

札幌の明日、(というよりすでに今日)の天気は雨、予想最高気温は10℃最低気温は6℃でまるで冬。

 

クローゼットの中を整理してわかる、冬服7割夏服3割で、圧倒的に冬服が多いのもこの気候じゃしょうがない。リネンやコットンの夏物の服、見るのは楽しいけれど、着たいと思うのはまだまだ先。

 

そもそも夏服を着る機会、着れるような気候の日が本州に比べれば圧倒的に少ないから、ローカルな人ほど肌寒さを気にせず肌をさらす。というこれは個人の感想です。

 

可哀そうにより弱いのは年寄りで、俺たち私たちだって可哀そうと、可哀そうには早々動じないのは若さゆえの傲慢で、傲慢ゆえに道を間違えるのは若さゆえの過ち。道を間違えがちな人はいるもので、何度も見てきた光景とはいえつい出てしまう年寄りの可哀そうは、あぁあの子もまた。。という哀れの気持ちと思えば含蓄もある。ちょっとだけ。

 

これは馬鹿げて暑かった日に撮った、花筏の亜種。

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これ一本あれば充分というオールインワン化粧品は、いつの間にか増えて便利かつお手軽になるばかり。なのにリンスインシャンプーはちっとも進歩も普及もしないのは、一体どの辺に参入障壁があるんだか。不思議でしょうがない。

 

技術的にも可能っぽいし、需要だってありそうなもの。なのに、一向にその分野が開拓されないのは、実は需要がないのか???オールインワイン化粧品は、それなりに人気なのに???

 

暇人と違って働く女性は忙しいから、手抜きを具現化した商品、例えばカット野菜に調理済み食品は歓迎されて普及しているのに、いつまでたっても手抜きが歓迎されない、手抜き商品が出てこない美容業界の特定ジャンル。不思議~。ほぼ毎日のことなのにさ。

 

手抜きが普及歓迎されるのは、なぜ食品の方が先なのか?美容が手抜きされてもいいじゃない。美容に関する時間、メイクとか髪の手入れを極限まで削って、その時間を別のことに使いたいんすけどね。

 

何を読んでる時に出てきたか忘れちゃったんだけど、“諦念を含んだ享楽への逃避の心情”というフレーズは、お前も堕落しろよがしのメッセージを受け取った時には思い出したい。

 

札幌に住み始めた時は、花粉症のない春に感動した。ただし居住年数を重ねるごとに最初はごく軽かったシラカバ花粉症も重症化しつつあり、結局花粉症からは逃れられないことに軽く絶望。来年は抗アレルギー剤を早めに服用して、重症化しないよう気を付けましょっと。

 

お休みなさーい。