クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

子や孫可愛さに、悪事を見逃すことなかれ。『グラン・トリノ』見た

ウエスト・ミーツ・イース

西洋と東洋の考え方の違いとして、年少者、特に子供に対する態度にこそ、根本的な文化の違いが顕著に現れるんだってさ。

 

心理学の偉い感じ(ホントに偉いかどうかは知らん)な西洋人の学者さんが、そう言ってた。西洋では小さな子供は足手まといになりがちなので、「お前なんかどこかへ行ってしまえ」と考えがちだとか。ヘンゼルとグレーテルだね。

 

それに対して東洋では、年少者に対して庇護する感覚が強く、特に小さな子供に対しては“守ってあげよう“とする傾向が強いのだとか。日本の場合は”七つまでは神のうち”で、授かったものとの考え方がベースにあるせいか。

 

フォードの工場で長年働き、トヨタのディーラーに勤める息子家族とは仲が悪く、だいたい何でもDIYで何とかする。クリント・イーストウッド演じる典型的な“アメリカの父”が、じょじょに東洋的父性愛に目覚めていく『グラン・トリノ』を、Amazonビデオで見た。

グラン・トリノ (字幕版)
 

 

朝鮮戦争の退役軍人で、自動車工として勤め上げたウォルト・コワルスキーには、引退後の日常も近所の変わり様も、すべてが面白くない。なかでも気に食わないのが、東南アジアからの移民であるモン族の隣人たちだ。しかしある事件が起こり、ウォルトは図らずも暴力と脅しを生業とする地元のギャングから彼らを守ることになる。

Amazonビデオ紹介文より引用)

年寄り の方が、いがみ合う

クリント・イーストウッド監督・主演作品のなかでは、いちばん好きな作品。

 

始めて見た時は、老境に差し掛かった偏屈な男性が、余命いくばくもない身ゆえに好き勝手する、痛快なストーリーに魅了された。

 

ついでに、荒廃する街に大挙して移り住んでくる異民族との衝突など、言うほど簡単ではない多文化共生の現実も、きっちり織り込んでるからますますいい。

 

アメリカでも、アメリカ人には見捨てられつつある荒廃した街に住むウォルト。手入れの甲斐あってウォルトの家はキレイだけど、周囲には廃屋と見間違えそうな家が立ち並んでる。でも人が住んでるんだな、おもに移民だけど。

 

隣家の移民一家とも没交渉で、隣に住んでるとはいえ名前も知らない。「嫌いは両想い」で、お隣のおばあさんと、言葉は通じなくとも罵りあっている。おかしい。

 

今では移民がマジョリティとなった住区だから、移民のおばあさんとしては「あのアメリカ人はいつになったら出ていくんだ?」なキ・モ・チ。移民とはいえマジョリティとなったとたん、排他的になる意識低い系あるいは保守的な人の考え方が、よーく表れてる。

 

ウォルトはそもそも偏屈な人だから、自分の息子や孫など、血縁であっても気に食わない相手には等しく不愛想。だから礼儀をわきまえた少年にもかかわらず、最初は隣家に住むモン族の少年タオにも冷たい。

 

不敬で無礼な自分の孫たちもキライだけど、礼儀をわきまえた移民の少年もキライ。ウォルト視点では、住環境を悪化させてる諸悪の根源だから。          

 

一方モン族視点に立てば、ベトナム戦争でアメリカに協力したばっかりに祖国を追われるはめになった経緯がある。だから、教会のとりなしとはいえアメリカに住処を求めるのは、当然の補償という考え方もある。

 

互いにそっちが譲れ、あるいは折れろと主に年寄り層がいがみ合っていて、“みんな仲良く“とはほど遠い環境で、事件が起こる。

 

限定条件付き父性愛

タオがギャングに絡まれているところを、ウォルトが助けてやる。助けたという意識は希薄ながら。ウォルト、移民もキライだけど、それ以上にギャングもキライなんだな。アメリカ人でも移民でも、ギャングはキライなのがウォルトという人。そこに共感する人は、人種を問わずに多いから、どこの国にも通じる普遍性あり。

 

歳とった人にありがちだけど、キライなものが増えていって、好ましいものが極小になっていく様子が顕著。

 

その中で、タオという少年にはじょじょに好意を抱き、本物の祖父よろしくあれこれ世話を焼くようになる。躾けの悪い子供もキライなら、移民もキライなウォルトだけど、タオは聞き分けがいいから好意を抱く。タオの姉のスーが、可愛い娘なところも見逃せないポイントだけど。

 

ウォルトに限らず多かれ少なかれ、人は誰でも戦力になる・役に立つ子供が好き。そして、役にも立たず、ギャングになるしかないような、クズがキライ。

 

荒廃するウォルトの住区では、アメリカ人と移民双方のギャンググループが存在し、どちらも住民からは鼻つまみ者で嫌われ者。特にタオと同じモン族のギャンググループは、執拗にタオをギャングに引き入れようとする。

 

クズはクズの自覚があるから、クズの仲間をなんとか増やそうとする。時には不法な手段を使ってでも。狙った相手の命を奪うまで、執拗な暴力を加える痛ましいニュースは、日本でもお馴染みのもの。

 

可愛げのない息子や孫といった同胞に対しては発揮されない愛が、異邦のタオやスーに対しては発揮される。この映画の、いちばん感動的なところ。条件付きで発揮される父性愛であっても、そのパワーは破壊的。各人に備わって当然とされる普遍的な父性愛で、ウォルトのような行為ができるかというと、そこは疑問。

 

備わっていて当然とされる普遍的な考えは、刷り込みにしか過ぎないから。可愛いあるいは好ましいという実感が伴っていなければ、破壊的なパワーも発揮しようがない。

 

“みんな仲良く”や“年少者には優しく”といった良識を否定しながら、誰よりも良心的かつ良識的にふるまう超人の姿を描いてる。誰にでもできることじゃないから、感動的。

 

日本のニュース番組を見ていると、ちびっ子のベストショットがやたらめったら露出される。ちびっ子でも金メダルの価値はわかるんだな。。としみじみした、パパが銀メダルで泣きじゃくる女の子が、本日のハイライト。可愛かった。

 

愛嬌があって可愛げのある年少者は、だいたい好ましいさ。好意の偏在を、あからさまにするのはどうかな、と自制してるだけで。

 

ギャングに尻尾振る年寄りには、誰だってなりたくないよ。

 

お休みなさーい。

混ぜるだけで出来上がり、簡単かぼちゃケーキ

すっかり秋めいて、夏服が着られるのもあとわずか。天高く馬肥ゆる季節には、なぜか食べたくなる、かぼちゃにさつまいもといった黄色い食べもの。混ぜるだけで出来る、簡単かぼちゃケーキを作ってみた。

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【材料】

  • かぼちゃ 300g 
  • 砂糖 100g 
  • 卵 3個 
  • 生クリーム 200cc 
  • 薄力粉 大さじ4  
  • バター(室温に戻しておく)50g

 かぼちゃ1/4カットで300gくらい? 写真のかぼちゃで320gあった。種をとって皮も剥くから、大体300gくらいというテケトーさで作る。

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カットしたかぼちゃにラップをし、電子レンジ(500W)で3分ほど加熱。

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粗熱が取れたら皮を剥いて、マッシャーで潰す。

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室温で戻して柔らかくなったバター、卵、生クリーム、薄力粉をすべてボウルに入れ、ミキサーで滑らかになるまでよく混ぜる。

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好みで、シナモンを振り入れても。味見したら結構な甘さだったので、シナモンも追加。

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今回は、植物性のホイップクリームを使用。動物性の生クリームの方がお菓子作りには向いてるけど、お店には植物性のクリームしかなかったのさ。

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バター(あるいはマーガリン)を塗った型に流し入れ、170℃に余熱したオーブンで45分焼く。

 

焼き立てのアツアツよりも、冷やして食べる方が好みなので、粗熱が取れたら冷蔵庫へGO!

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完成。くるみと、仕上げにもやっぱりシナモンを。

 

ケーキというよりも、スイートポテトかぼちゃ版みたいな食感のケーキ。あるいはかぼちゃがみっしりと詰まっているので、テリーヌ風とでも言いましょうか。抹茶のテリーヌやチョコのテリーヌと名付けられたデザートの、かぼちゃバージョン。

 

型に砕いたビスケットか何かを敷き詰めてからかぼちゃ液を流し込むと、きっとよりケーキっぽくなる。でも、面倒くさいからやらない┐(´-`)┌

 

砂糖100g入りかと思うと、食べきった後には非常な後悔に襲われるシロモノ。かぼちゃやさつまいも系のスイーツは、果物の風味をそのまま生かしたコンポート類よりも、かなり甘くなるような気がするのは気のせいか。

 

かぼちゃの煮物に飽きた時に。

 

そのうちフォトブックにまとめるつもりで、レシピの書き起こしをしている。何ページのブツにしようか悩み中。

www.kyounoryouri.jp

こちらのレシピを参照。出来上がりが大きく違うのは、気のせい。

 

お休みなさーい。

炸裂するブラックパワーに圧倒される『ブラッド・ダイヤモンド』見た

自分のために書いてるブログだから、気分が乗らない時は無理して書く必要なし。誰かと競争してるわけでも、誰かからお金をもらってるわけでもないんだから、気ままに休もうがどうしようが、こっちの勝手。

 

レオナルド・ディカプリオがアフリカで大活躍する、『ブラッド・ダイヤモンド』見た。ダイヤモンドかダイアモンドか、モノによって「ヤ」になったり「ア」になったりでややこしい。

 ディカプリオも大活躍だけど、アフリカが舞台だけあってブラックパワーも炸裂。主役こそ白人だけど、登場人物の8割は黒人で、先進国ではすでに過去のものになりつつある喜怒哀楽の激しさ、特に怒りの激しさに、ただただ圧倒される。

 

1999年、アフリカのシエラレオネ共和国。ダイヤの密輸に手を染める元傭兵と貧しいながら幸せな生活を送る純朴な漁師。交わるはずのなかった二人の人生が、運命に翻弄され動き始める。

Amazonビデオ内容紹介より引用)

 アフリカはシエラレオネの、“紛争ダイヤモンド”をテーマにした映画。シエラレオネが政府軍と反政府ゲリラRUFとに分かれ、血で血を洗う内戦を繰り広げていた史実がベースになっている。

 

シエラレオネといえば、ダイヤモンドの産出地。貴重なダイヤは外貨をもたらす宝であるとともに、混乱をもたらす元凶ともなってきた。内戦時代、不法採掘されたダイヤモンドは、ゲリラ軍の資金源ともなり、シエラレオネの混乱に拍車をかける。

 

血塗られた紛争ダイヤモンド、Blood Diamondについて、内戦当時から先進国のメディアはさんざん報道していたので、背景についてはなんとなく知っていた。

 

ただ「知っている」と「感じる」ことはまったくの別物で、“不法採掘されたダイヤモンドがゲリラ軍の資金源にされた”とあっさりまとめてはいけない、単なるデータにしてはいけない“こんなことがホントにあったかもね”なエピソードが、怒涛のように展開する。

 

主役のディカプリオが、紛争ダイヤモンドであこぎに稼ぐ汚れ役を演じる一方で、準主役ともいえる、素朴な黒人漁師ソロモン・バンディーは、平凡な日常を破壊される悲劇の人を演じてる。

 

あこぎに稼ぐ白人ディカプリオの先には、紛争とは無縁のおきれいな世界で、紛争ダイヤモンドをロンダリングして活用する、先進国の資本主義社会がある。ロクに舗装もされてない、社会資本未整備で素朴としかいいようのないアフリカの大地と、エンゲージリングとして給料三か月分とダイヤを引き換えにする先進国の対比がすごい。

 

明と暗、白人と黒人、家族を奪われた者と家族を奪う者。

 

と、全編にわたってヒジョーにわかりやすい対比が用意されているので、本来は複雑なはずの紛争ダイヤモンドがもたらす不幸も、とってもわかりやすくなっている。

 

奪う奴が悪いし、不法に入手したと知りつつ活用して知らん顔して儲けてる奴が、悪いに決まってる。必要悪という言葉は、ここでは無意味。もはや必要悪を越えて、単なる悪だから。

 

またその奪い方もあこぎで、なぜ紛争地域に生まれたというだけで、ここまで理不尽な目に遭うのかと、人権意識がチクチク刺激される。

 

・年端もいかない子供をドラッグや快楽で、子供兵に仕立て上げる

・不法採掘のために、農業や漁業で身を立てている、平和な村から労働者を確保する

・戦闘力を削ぐために、反対勢力になりそうな人物の腕を切り落とす

 

とまぁイヤな感じのエピソードが満載で、報道を信じればすべて実際にあったことだと知ってるから、さらに憂鬱になる。

 

紛争ダイヤモンドをめぐるエピソードの数々は、本来救いようがない。ただ救いようがない話でしかなかったらよくある悲劇のひとつと見向きもされないので、息子を奪われたソロモン・バンディーが家族を取り戻すまでが、清涼剤になっている。

 

まったく土地勘のない、紛争地帯のアフリカを舞台にしてるので、景色も文化も馴染がない。

 

馴染がない景色よりも何よりも、もっとも遠い国だと感じたのは、家族、特に出来のよい息子を奪われ取り戻そうとするソロモンの激情。難民キャンプで家族と再会しながら、鉄条網に阻まれ抱き合うこともできないソロモンが放つ、獣のような咆哮にただ圧倒される。持たざる人にとって、未来につながる家族こそが、特別なんだと知れる。

 

ソロモン・バンディーが清涼剤なら、ディカプリオ演じるあこぎに稼ぐ白人アーチャーは、刺激剤。

 

面白おかしくやってるようで、アーチャーはアーチャーで、ごく限られた自由のなかでギリギリ踊ってるだけ。彼のもろく危ない人生の綱渡りが、意外な方向に展開するから先が読めなくて、2時間半にもおよぶストーリーにもかかわらず、飽きなかった。

 

生きるか死ぬかでドンパチやって、100万人を収容する難民キャンプを設置しても、だだっ広い緑の原野が広がるばかりのアフリカの国。この後ブラックパワーはどこに向かうのか。見終ったあとも、そこばっかり気になってしょうがない。

 

先進国住みな人間の悪い癖で、映画を見てる間も、余計なことばっかり気になった。

 

・舗装されてない道路にアスファルトが敷かれ、アフリカ諸国を結ぶ高速道路が建設されたら建設費はいかほど?

・環境的に厳しいかもだけど、広大な大地が農業生産地に化けたら、経済効果はいかほど?

・個人の家も商店も素朴で貧しい造りだから、すべて近代的な建物に置き換わったら建設費いかほど?

 

とか。あと非人道的な見方だけど、義手や義足の潜在的ユーザー山盛りと思ったり。“紛争”さえなかりせば、発展途上国は、先進国からすれば数少ないブルーオーシャン。さまざまな社会実験も、既存勢力がさほど強くなければ一気に最先端が試せるよね、とか。

 

ついでに平和さえやってくれば、学業にも労働にも一生懸命になれる潜在的優良労働者もたくさんいるな、とか。真面目に働く意味も学ぶ意義ももたない先進国に比べると、可能性も山盛り。そして、紛争ダイヤモンドに揺れた時から、すでに10年は経っている。成長するにはじゅうぶんな時間。

 

紛争ダイヤモンドがきっかけで、キンバリー・プロセスという認証制度が導入され、暴力とは無縁のクリーンなダイヤが市場に出回る仕組みが作られた。万全の制度ではなくとも、紛争の根源を断つ仕組み。

 

悲劇が大きくなれば、悲劇を防ぐ仕組みも素早く用意されるのが、消費財の世界。胡散臭い、不穏な気配がするものは、消費者から嫌われるから遠ざけられる。

 

紛争地域で戦闘態勢に合わせて最適化することなく、平和で真面目を選んだ勤勉な漁民や農民にとって、平和な時代は稼ぎ時。そして、理不尽な境遇で辛酸を舐めた彼らが選ぶのは、きっとフェアな世界。フェアな世界を用意するのは、勤勉で真面目な善き働き手を確保することにもつながって、資本主義の論理が世界を前にも後ろにも、大きく動かすものなんだな、という感想まで抱く。

 

だからといって、世界を動かしたいからと悲劇をわざと引き起こすのは、スジのまったく違う話だけどね。

 

武器や特権を与えられ、つかの間の全能感や万能感に酔った、あるいは酔わされた、子供兵の未来が不憫でしょうがない。武器を与えてはいけない者に武器を配った者の罪、ちゃんと裁かれてるといいんだけど。

 

本来は重いテーマを、説教くさくなく、感情に訴えるエンタメ的手法を存分に使って、楽しませながら考えさせる作品で、よかった。

 

公共交通機関に乗る時には邪魔になり、引っ越しの際には取り扱いが面倒となる高価な貴金属には、微塵も興味がない。もしかして紛争ダイヤモンドは、おしゃれなエシカルジュエリーが次々と生まれた遠因にもなったのかも。

HASUNA/bijoux tsubomi ネックレス

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 お休みなさーい。

ビジュアル重視な食べもの、カラフル野菜ゼリー

ゼリーのようにのど越しのいい食べものが好きで、備蓄食料としてたいてい冷蔵庫にストックがある。ストックがあるからおやつには困らないけど、心底ハラヘリ時などは、甘いものを食べるのはかえってツラい時がある。飢餓感が増す感じがして。

 

甘いもので空腹をとりあえず満たすこと、3連続くらい続くとおかず系への憧れがいや増す。いや増したので、野菜ゼリーを作ってみた。

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【材料】

  • チキンスープ 450cc(市販のチキンキューブをお湯に溶かしたもの) 
  • ゼラチン 10g(水大さじ4でふやかす)
  • 塩・こしょう 少々 
  • 好みの野菜とハムなど動物性たんぱく質 チキンスープと同程度の分量

 今回使った野菜は、ミニトマト・パプリカ・うずらの卵・コーン・ブラックオリーブ・オクラ・ハム。

 

オクラは茹でてある。コーンも、冷凍コーンを電子レンジで温めて使用。パプリカは部分使用で、全部は使ってない。

 

チキンキューブをお湯に溶かして、チキンスープを作る。そこに、水大さじ4でふやかしたゼラチンを溶かし入れて塩・こしょう。チキンスープが冷める&ゼラチンが溶けるのを待つ間に、具材の準備。それぞれ、細かくカットしていく。

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野菜は、赤・黄・黒・白・緑の取り合わせになるよう気を付けると、カラフルな仕上がりになる。ブロッコリーやカリフラワー、チーズや茹でたエビを入れても美味しい。

 

具材を均等に、容器となるカップに入れていく。今回はモロゾフのプリンカップを使用。リサイクルできて、たいへん便利で愛い奴。

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具材を入れ終わったら、チキンスープを均等に注ぎ入れていく。チキンスープ450ccと同量の具材で、モロゾフのプリンカップ4個分の野菜ゼリーが出来上がる勘定。

 

チキンスープを注ぎ終わったら、乾燥パセリを振り入れる。その後は、プリンキャップで蓋をして、冷蔵庫でじゅうぶんに冷やす。大人買いして貯め込んだプリンキャップ、こんなところでも大活躍。重ね重ね愛い奴。

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 3~4時間冷やして完成。

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今回はチキンスープを気持ち少な目にしたせいもあって、仕上がりは固い。フルフルの食感が好きな場合は、チキンスープを気持ち多めにすればよし。あるいは、ゼリーをクラッシュ状にすれば、目先も変わってよりおもてなし向きになる。

 

チキンスープに野菜プラスアルファを浸しただけの食べ物なので、実は特別美味しいものではなし。鶏ガラからちゃんとスープを取ればまた別かもだけど、見た目がきれいなところが最大のウリだから、別にそれでいいーの。

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(ほんとは具材が均等に散らばるよう工夫すると、いいんだけどね)

人に教えてもらったレシピ。書き起こしできて、スッキリ。

 

わざわざ買って食べようとは思わないけど、自家消費用だと思えばこんなものかと満足する食べもの、それが野菜のゼリー寄せ。わさびマヨネーズにレモン汁を絞ったソースをかけて食べると、より味に変化があっていいかも。

 

残り野菜の、処分にもよし。

 

8月も今日で終わり。台風に連続して襲われた北の大地にとって、試され過ぎた夏だった。さようなら、夏。ばいばい。

 

お休みなさーい。

 

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蒸して作る、いちじくのコンポート

台風のせいで、昨日も今日も蒸し暑い。残暑厳しいというよりは、フェーン現象的な何か。雨がちだった夏の〆が、立て続けの台風襲来とは、ほんと今年の夏はなっちゃいない。

 

台風が来るということで、早めの収穫に追われる果物農家の姿がニュースで流れてた。

 

追熟させれば無問題なのかもだけど、完熟とはいかずにイマイチだった場合の強い味方がコンポート。甘みも旨味も足りないくだものは、コンポートにすればよし。

f:id:waltham70:20160830222326j:plain北海道では、もぎたてや完熟から遠いくだもの筆頭のような気がしてる、いちじく。スーパーで見かけるものは、たいてい他県が産地。

 

産地に住んでいた時は、お手頃価格で容易く手に入った完熟いちじく。冷やしてフレッシュなまま食べる完熟いちじくは、甘美な味わい。酸味が感じられないくだもの筆頭でもあるかも。

 

完熟フレッシュが望むべくもない今は、コンポートにするしかない。いちじくの形はそのままに、サッと火が通った程度のコンポートが好み。というわけで、蒸す。

 

【材料】

  • いちじく 3個 
  • ラニュー糖 15g(1個あたり5gが目安) 
  • 赤ワイン 20cc(1個あたり7ccが目安)
  • レモン汁 大さじ1

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いちじくの皮を剥いている間に、鍋に火を沸かして蒸す用意をする。ル・クルーゼの鍋は重いので、キッチンに出しっぱにしている。なので、蒸す用意といっても大したことをするわけじゃない。

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耐熱容器に皮を剥いたいちじくと、シロップの材料を加える。この状態ではシロップがやたらと少なく見えるけど、蒸してる間に果汁がプラスされ、ほどよくジューシーな状態になるので大丈夫。

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蒸気が上がってきたら、蒸し器にセット。8~10分中火で蒸す。蒸し上がったら容器を取り出し、粗熱が取れたら冷蔵庫でじゅうぶん冷やす。

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完成。

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元レシピでは、白ワイン使用のところを赤ワインに変えてアレンジしてる。赤ワインの方が、仕上がりの色がきれい。ミントの葉がシワシワなのは、気にしない。どうせ飾りだし┐(´-`)┌

 

ラニュー糖:白ワインの割合を、1個あたり5g:7ccで作ると、しっかりと甘いシロップになる。甘さ控えめが好みの人は、グラニュー糖の量を減らした方がいいかも。

 

箱買いしたくなる誘惑にかられるくらい、いちじくスキー。好きがこうじて、鉢植えで育てようかと目論んだくらい。ところがいちじくを結実させるには、“受粉”が必要とのことで諦めた。蜂まで飼えないし、そのあたりに蜂飛んでないし。。

 

完熟いちじく、生ハムメロンみたいに生ハムと一緒に食べても美味しいし、ブルーチーズとも合うし、料理の素材としてかなーり使えるやつ。なのに、北海道では高級くだものになってしまうのが哀しいところ😢 あぁ完熟いちじくパフェが食べたい。

 

 元レシピはこちら。

cookpad.com

 

お休みなさーい。

 

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晩夏

ブルーベリーが食べ頃を迎えている。ひと様の家の庭先になってるものとはいえ美味しそうで、つい摘み食いしたくなる。実行はしないけどね。

 

台風の影響でここ数日風が強かったせいもあり、まだ青い栗の実が地面にコロコロ転がっている。気付けば日が暮れるのも早くなって、日差しはまぶしくても風は冷たい。8月も終わりだからすでに晩夏の気配。短い秋も、もうすぐそこ。

 

明日の北海道マラソンが終われば、大通公園さっぽろオータムフェストの準備に入る。秋だねぇ。

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(季節とはあまり関係なく、パフェの写真)

テレビで大曲の花火大会を見ていた。それなりにテレビは見てる方だけど、旅行番組や紀行番組のような“毒にも薬にもならない”番組ばっかり見てる。CMスキップ機能を使って録画した番組を見る方が多いから、テレビは見ていても、テレビCMはほとんど見ない。

 

そのせいで、芸能人の名前をほとんど知らない。スキャンダルとセットでネットニュース(芸能ニュースも見ない)に上がってきてはじめて、こんな人が居るのねと認知する程度。

 

世の中の人が芸能人やスポーツ選手の名前に詳しく、その動向に大いなる関心を寄せていることに、いつも驚かされる。別世界の人になぜそこまで熱くなれるのか、不思議でしょうがない。

 

関心が薄いから顔も知らず、顔も知らないから、思いがけない場所で広告になっている彼・彼女たちに出くわす逆にムッとする。そこに人の顔はいらんという場所で、お目にかかることもあるから。直近ではミネラルウォーターのボトルタグに、にっこり笑顔のタレントが進出していて邪魔だった。何年も愛用してるけど、その種の宣材に出くわしたのは始めてで、嫌悪が先に立った。

 

アイテムには、人、特にタレントの顔が結びつかない、切り離されているから安心して使える領域もあって、生活にかかわるものにはその傾向が強く出てしまう。テレビで広告を打つようなメジャーなブランドではないから、雑誌やアプリで広告塔になっていたのか。導線も見えないから、なぜヒョコっとそんなとこに顔を出したのか、ただ謎でしかなかった。

 

月が替われば彼女たちの顔も商品から消えていて、名前も顔も思い出せないまま、なかったことのように、もとのシンプルイズベストなデザインに戻ってる。

 

タレントだったからより違和感を感じたのであって、多分“わたしが作りました”的な生産者の顔だったら、そこまで嫌悪も違和感も感じることはなかった。

 

文脈が見えないと、ただただ場違いでしかなく、好悪より嫌悪が先立つものなんだな、と。

 

有名タレントと飛行機や新幹線で同じ車両に乗り合わせることなんてありえないけど、猫に小判で豚に真珠で、その価値がわからない人とたまたま隣になったとしても、きっとノーアクション以外とりようがない。

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(マンゴーかき氷は好き)

グロテスクな読み物をつい夢中で読みふけってしまって、Kindleのバッテリーを充電中。タレントの動向よりも、新型バッテリーの動向の方が、はるかに気になる話題。

 

お休みなさーい。

『拡張するテレビ―広告と動画とコンテンツビジネスの未来―』読んだ

“拡張するテレビ“ってどういうこと???と、タイトルに惹かれて読んでみた。今のところ、Kindle Unlimited対象商品。

 著者は、Webマガジン『テレビとネットの横断業界誌MediaBorder』を発行する、コピーライター出身のメディアコンサルタントな人。コンテンツを作って提供する、メディアの中の人から見たギョーカイの変化について書かれていた。

 

PCもスマホも“テレビ”だ!ネット配信も“番組“だ!動画コンテンツも”CM”だ! (『拡張するテレビ』より引用)

 HuluやNetflixなどのSVOD(定額制の動画配信)だけでなく、AbemaTVや、さらにははてなの増田発で話題となった“保育園落ちた日本死ね”騒動まで盛り込んで、テレビと融合する近頃のネット事情を網羅している。

「映像メディアを考えるうえでの参考書」になるよう、まとめたつもり

(『拡張するテレビ』より引用)

 との著者のことばどうり、テレビ番組がネット配信にこぎつけるまでの歴史もコンパクトにまとまってる。そこで言及されている、おもにテレビ局がネット配信にこぎつけるまでに生まれたサービスのほとんどについて、まーったく知りませんでした。よほどコアな消費者(あるいは視聴者か)しか、知らないんじゃないかな。

 

テレビ>ネットの図式にあぐらをかくことなく、テレビ局側もネットに歩み寄ろうとしてきた経緯と、にもかかわらず試行錯誤の連続だったことが知れる。

 

スマホで画像コンテンツが手のひら視聴できる未来が来ることを、それなりに予見して準備してきたからこその試行錯誤。受信料という安定収入に期待できない民放だから、危機感をもって準備し、そのひとつの結果としてAbemaTVが誕生してる。

 

スマホ>テレビになると、今までの広告収入モデルが崩れること。今までの広告収入モデルが崩れると広告の作り方も変わり、業界の力関係も配信からコンテンツメーカーに移る可能性などに言及されている。

 

そのあたりは、もともとこの分野に関心が高かった人なら、既知の情報も相当含まれている。著者はAdverTimesに連載をもち、ハフィントンポストやBLOGOSにも転載されいているとか。

 

つまり、すでにネットを通じて広く浅く拡散されてきた内容を、改めて一冊の本にまとめたもので、そうしたコンテンツの多くがまずはスマホで読まれていることを考えると、この本もすでにスマホファーストの上に成り立っている。

 

テキストの場合、広く浅く接触した情報の中から、さらに深く知りたいものが本という形になって、読者と接点を持つ。画像コンテンツにも同じことが言え、TwitterやインスタグラムなどのSNSを通じて、反響が大きかったものが、まとまった映像コンテンツとしてテレビ番組になってもおかしくない。

 

拡張するテレビとは、つまりそういうこと。テレビ番組として成立してもおかしくない映像コンテンツが、テレビ以外でも視聴可能となる状態で、”テレビ”という受像機のあるなしカンケーなし。

 

縦横無尽なメディアミックスがあらゆる局面で進み、スマホとしか接点の無い人も、テレビとしか接点のない人も、最終的には同じコンテンツを消費する未来が見える。

 

スマホ(というかネット)しか見ない人は、テレビの有名人やトピックに疎く、テレビしか見ない人は、ネットの有名人やトピックに疎い。その状態が解消され、テレビの有名人やトピックはネットでも有名となり、ネットの有名人やトピックはテレビでも有名となるはず。

 

現状ではテレビの有名人にネットが席巻されそうだから、ネットの有名人が続々テレビ進出しているのも道理と思える。

 

その起点となりそうなのもAbemaTVで、マスメディアが消滅しそうな次代のメディアとして存在感を強めていくかもしれない。それぞれのクラスタごとに住み別れて、マス=大衆の姿が見えにくくなっているとはいえ、大衆を代弁するメディアは、やっぱり必要だから。

 

そして若年層に人気のサービス、ツイキャスやLINELIVEが、マネタイズよりも、ユーザー同士の心地よいコミュニケーションをまずは志向していることが印象的だった。

 

若年層は他者とのコミュニケーション、おしゃべりが娯楽だから“楽しい“を共有したユーザー同士のつながりは、勝手に深くなる。

 

意地悪く考えれば、ユーザー同士のつながりが深ければ、いかようにもマネタイズできそうだし、情報の発信源としても使い勝手がよさそうで、勝手にコミュニティが育つのを待っている状態なのかも。

 

ネットとテレビが融合した先にあるのは、コンテンツとその視聴者が、よりフレンドリーにつながる世界で、ユーザー体験により重きを置いた世界。

 

ネットで人気な人も、テレビでもネットでも人気な人も、基本ファンにはフレンドリーな印象。一見強面でも、コミュニケーションをちゃんと取ってる人が人気。だから、フレンドリー、言いかえればいっちょかみしやすいトピックがこれからは拡散力を持つ。

 

ネット発の話題がTwitterで話題になって世間でもニュースになるサンプルとして、“保育園落ちた日本死ね”騒動が取り上げられていた。

 

そこで思い出したのが、“日本語が亡びるとき”騒動。『日本語が亡びるとき』という本の出版を契機に、おもにネット内(保育園落ちた日本死ねと同じくはてな発)で盛り上がった日本語の行方についての議論。インターネットクロニクルにランクイン必至のトピックで、2008年当時にネットを使っていた人なら絶対知ってそうなトピック。

 

ネット民にはよく知られたトピックでも、テレビなどのマスメディアではさほど盛り上がった記憶はなし。言語の行方は文化の行方にもつながるから、“文芸の話題“を越えて普遍性のあるトピックなんだけど、盛り上がりはイマイチ。

 

2008年と2016年では、ネットで話題になるトピックやネットを使う層も変わったからの、“保育園落ちた日本死ね”騒動に思えてならない。

 

いっちょかみしやすいトピックが話題になりやすく、いったんネットで火が付いたらテレビも報道せざるを得ない、今の傾向がよくわかる。

 

そしてマネタイズよりも、ユーザー同士の心地よいコミュニケーションを明確に志向する、若年層向けサービスの登場は、ネットの炎上しやすい傾向の先を行っている。

 

若年層ほど外国人と一緒の職場で働く可能性は高く、外国人と一緒の職場で働く可能性の高い若年層は、日本文化の伝道者となる可能性も高い。

 

年取った日本人よりも多様な価値観にさらされる彼らを、心地よいコミュニケーションでくるむのは、より善きものを次世代に残そうとする試みにも見えてくる。

 

コンテンツ制作にたずさわる人が読むと、より面白く興味深く読めるのは間違いなし。でも単に映像コンテンツともスマホともやたらと接触時間が多い、暇人が読んでも楽しめた。

 

お休みなさーい。