自分のために書いてるブログだから、気分が乗らない時は無理して書く必要なし。誰かと競争してるわけでも、誰かからお金をもらってるわけでもないんだから、気ままに休もうがどうしようが、こっちの勝手。
レオナルド・ディカプリオがアフリカで大活躍する、『ブラッド・ダイヤモンド』見た。ダイヤモンドかダイアモンドか、モノによって「ヤ」になったり「ア」になったりでややこしい。
ディカプリオも大活躍だけど、アフリカが舞台だけあってブラックパワーも炸裂。主役こそ白人だけど、登場人物の8割は黒人で、先進国ではすでに過去のものになりつつある喜怒哀楽の激しさ、特に怒りの激しさに、ただただ圧倒される。
1999年、アフリカのシエラレオネ共和国。ダイヤの密輸に手を染める元傭兵と貧しいながら幸せな生活を送る純朴な漁師。交わるはずのなかった二人の人生が、運命に翻弄され動き始める。
(Amazonビデオ内容紹介より引用)
アフリカはシエラレオネの、“紛争ダイヤモンド”をテーマにした映画。シエラレオネが政府軍と反政府ゲリラRUFとに分かれ、血で血を洗う内戦を繰り広げていた史実がベースになっている。
シエラレオネといえば、ダイヤモンドの産出地。貴重なダイヤは外貨をもたらす宝であるとともに、混乱をもたらす元凶ともなってきた。内戦時代、不法採掘されたダイヤモンドは、ゲリラ軍の資金源ともなり、シエラレオネの混乱に拍車をかける。
血塗られた紛争ダイヤモンド、Blood Diamondについて、内戦当時から先進国のメディアはさんざん報道していたので、背景についてはなんとなく知っていた。
ただ「知っている」と「感じる」ことはまったくの別物で、“不法採掘されたダイヤモンドがゲリラ軍の資金源にされた”とあっさりまとめてはいけない、単なるデータにしてはいけない“こんなことがホントにあったかもね”なエピソードが、怒涛のように展開する。
主役のディカプリオが、紛争ダイヤモンドであこぎに稼ぐ汚れ役を演じる一方で、準主役ともいえる、素朴な黒人漁師ソロモン・バンディーは、平凡な日常を破壊される悲劇の人を演じてる。
あこぎに稼ぐ白人ディカプリオの先には、紛争とは無縁のおきれいな世界で、紛争ダイヤモンドをロンダリングして活用する、先進国の資本主義社会がある。ロクに舗装もされてない、社会資本未整備で素朴としかいいようのないアフリカの大地と、エンゲージリングとして給料三か月分とダイヤを引き換えにする先進国の対比がすごい。
明と暗、白人と黒人、家族を奪われた者と家族を奪う者。
と、全編にわたってヒジョーにわかりやすい対比が用意されているので、本来は複雑なはずの紛争ダイヤモンドがもたらす不幸も、とってもわかりやすくなっている。
奪う奴が悪いし、不法に入手したと知りつつ活用して知らん顔して儲けてる奴が、悪いに決まってる。必要悪という言葉は、ここでは無意味。もはや必要悪を越えて、単なる悪だから。
またその奪い方もあこぎで、なぜ紛争地域に生まれたというだけで、ここまで理不尽な目に遭うのかと、人権意識がチクチク刺激される。
・年端もいかない子供をドラッグや快楽で、子供兵に仕立て上げる
・不法採掘のために、農業や漁業で身を立てている、平和な村から労働者を確保する
・戦闘力を削ぐために、反対勢力になりそうな人物の腕を切り落とす
とまぁイヤな感じのエピソードが満載で、報道を信じればすべて実際にあったことだと知ってるから、さらに憂鬱になる。
紛争ダイヤモンドをめぐるエピソードの数々は、本来救いようがない。ただ救いようがない話でしかなかったらよくある悲劇のひとつと見向きもされないので、息子を奪われたソロモン・バンディーが家族を取り戻すまでが、清涼剤になっている。
まったく土地勘のない、紛争地帯のアフリカを舞台にしてるので、景色も文化も馴染がない。
馴染がない景色よりも何よりも、もっとも遠い国だと感じたのは、家族、特に出来のよい息子を奪われ取り戻そうとするソロモンの激情。難民キャンプで家族と再会しながら、鉄条網に阻まれ抱き合うこともできないソロモンが放つ、獣のような咆哮にただ圧倒される。持たざる人にとって、未来につながる家族こそが、特別なんだと知れる。
ソロモン・バンディーが清涼剤なら、ディカプリオ演じるあこぎに稼ぐ白人アーチャーは、刺激剤。
面白おかしくやってるようで、アーチャーはアーチャーで、ごく限られた自由のなかでギリギリ踊ってるだけ。彼のもろく危ない人生の綱渡りが、意外な方向に展開するから先が読めなくて、2時間半にもおよぶストーリーにもかかわらず、飽きなかった。
生きるか死ぬかでドンパチやって、100万人を収容する難民キャンプを設置しても、だだっ広い緑の原野が広がるばかりのアフリカの国。この後ブラックパワーはどこに向かうのか。見終ったあとも、そこばっかり気になってしょうがない。
先進国住みな人間の悪い癖で、映画を見てる間も、余計なことばっかり気になった。
・舗装されてない道路にアスファルトが敷かれ、アフリカ諸国を結ぶ高速道路が建設されたら建設費はいかほど?
・環境的に厳しいかもだけど、広大な大地が農業生産地に化けたら、経済効果はいかほど?
・個人の家も商店も素朴で貧しい造りだから、すべて近代的な建物に置き換わったら建設費いかほど?
とか。あと非人道的な見方だけど、義手や義足の潜在的ユーザー山盛りと思ったり。“紛争”さえなかりせば、発展途上国は、先進国からすれば数少ないブルーオーシャン。さまざまな社会実験も、既存勢力がさほど強くなければ一気に最先端が試せるよね、とか。
ついでに平和さえやってくれば、学業にも労働にも一生懸命になれる潜在的優良労働者もたくさんいるな、とか。真面目に働く意味も学ぶ意義ももたない先進国に比べると、可能性も山盛り。そして、紛争ダイヤモンドに揺れた時から、すでに10年は経っている。成長するにはじゅうぶんな時間。
紛争ダイヤモンドがきっかけで、キンバリー・プロセスという認証制度が導入され、暴力とは無縁のクリーンなダイヤが市場に出回る仕組みが作られた。万全の制度ではなくとも、紛争の根源を断つ仕組み。
悲劇が大きくなれば、悲劇を防ぐ仕組みも素早く用意されるのが、消費財の世界。胡散臭い、不穏な気配がするものは、消費者から嫌われるから遠ざけられる。
紛争地域で戦闘態勢に合わせて最適化することなく、平和で真面目を選んだ勤勉な漁民や農民にとって、平和な時代は稼ぎ時。そして、理不尽な境遇で辛酸を舐めた彼らが選ぶのは、きっとフェアな世界。フェアな世界を用意するのは、勤勉で真面目な善き働き手を確保することにもつながって、資本主義の論理が世界を前にも後ろにも、大きく動かすものなんだな、という感想まで抱く。
だからといって、世界を動かしたいからと悲劇をわざと引き起こすのは、スジのまったく違う話だけどね。
武器や特権を与えられ、つかの間の全能感や万能感に酔った、あるいは酔わされた、子供兵の未来が不憫でしょうがない。武器を与えてはいけない者に武器を配った者の罪、ちゃんと裁かれてるといいんだけど。
本来は重いテーマを、説教くさくなく、感情に訴えるエンタメ的手法を存分に使って、楽しませながら考えさせる作品で、よかった。
公共交通機関に乗る時には邪魔になり、引っ越しの際には取り扱いが面倒となる高価な貴金属には、微塵も興味がない。もしかして紛争ダイヤモンドは、おしゃれなエシカルジュエリーが次々と生まれた遠因にもなったのかも。
お休みなさーい。