クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ホニャララ組

4月は新入学のシーズン。大学の入学式はおおむね4月の3日~5日くらいで、小中高校の入学式は、その後。

 

会社の入社式はおおむね4月1日で、新しい生活を始めるのはモラトリアムの期間が長かった方から。ということでもあるのかも。

 

入学式や入社式を彩る花として桜はピッタリだけど、セレモニーと桜の満開がぴったり重なるとは限らない。桜の咲き時が前倒しになっていけばそのうち”前撮り”で、本番前に記念として咲き誇った桜を背景に写真だけ撮っておく。という習慣だって、生まれて根付くかも。

 

桜といえばゴールデンウィークに梅と一緒に咲く北海道に居ると、桜に対する特別感はわかりにくくて感じにくいけれど。

 

新しい生活を始める人が多いから、春といえばザワザワ。いつもよりノイズが多くて何もかも浮わついているように見える街は、新しい生活を始める人を多く迎え入れる街。

 

反対に、春といえばシーンと静まり返り、為すべきことを為すべき人達が淡々と今日も何かに取り組んでいる街は、新しい生活を始める人を送り出す方が多い街。そういう街にとって春は別れの季節で、何しろ為すべきことを抱えている人達だけに、為すべきことを身に付けた者が還ってくるのはまた別の季節。

 

かわいい面白いから、難しそうや凄いへと早期に移行すると神童で、二十歳過ぎればただの人になるのは、凄いや難しそうを離れてかわいい面白いものを作り始めるから。凄い難しそうに飽きずに挑み続けた神童が、そのまま大人になって年を重ねるともう神童(=神のわらわ)ではなくなって、”神の(生)徒”になって、神と崇められるような人から何かを学ぶ人になって本当に神様、つまりある分野の権威へと近付いていく。

 

そんな風に感じてる。決して報酬は高くないか、無報酬。場合によっては持ち出しも多くて金銭的メリットは乏しい。おまけに重労働でこき使われるのもわかってる。

 

例えば映画などの制作現場で、ホニャララ組と呼ばれるような一種のギルドがあるorあったらしいけれど。

 

一緒に仕事ができることがすでに名誉。作品が出来上がるさまを間近に体験し、場合によっては作品の完成にわずかでも関与できる。それがすでに得難い報酬で、お金では買えず金銭で贖うことなどとんでもない、金銭的価値以上の体験だから、その種のほにゃらら組のお仕事は多少労働条件が悪くても人が馳せ参じてくる。

 

そういう経験や体験をさせてくれる人が神=何らかの権威で、ことさら権威らしい衣=見た目でなくても勝手に敬意を払われる。

 

知名度の高さが有利に働く、例えばエンタメのような世界では権威の名も広く知られるけれど、権威が存在する世界がいつも知名度の高さを必要とするわけじゃない。知ってる人だけが知っていればいい世界の権威の名は、きっと秘密のベールに覆われているはず。

 

本当の権威に出会える確率が高くなる。多少労働条件は悪くても、経験した後には何らかの技術が格段に向上する。そういう場はいつでも新しい何かを学んだり吸収したりする人を迎え入れる側。

 

甘いものは別腹、小腹が減ったらタンパク質。作り立てかつ温かい方が美味しいものは、おもてなしでごちそう。

 

揚げたて、焼き立て。温かい方が美味しいものも色々と思いつくけれど、小腹が減ったらタンパク質で、つまみ食いしやすいものとかぶりがち。

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(ツナとインゲンのポテトコロッケ)

久しぶりにコロッケを作ってみたけれど、揚げたての衣はサクサク、中のじゃがいもはホクホクで、売ってるものとはまた別ものの美味しさだった。

 

一人暮らしだと、まず作りそうにないもの。だから一人暮らしでは滅多に作りそうにないものを、各種取り揃えて待っている方は、いつも帰ってくるのを待っている方。ということで、いつでも帰って来ていいよというわかりやすいサインなのかも。