クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

海が近い場所

今年初めて桜を見たのは、旅行先でのこと。

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公園に咲く桜もいいけれど、街中、それも川べりに咲く桜の方が好きなのはその方がずっと身近だったから。この桜が咲く場所は福岡の中洲。地図で見ると本当に川の中に浮かぶ洲で、その先は海。海といっても潮の香りがするわけではないのは、繁華街に近く商業港のすぐ近くという場所柄か。

 

乗り換えなどで福岡には何度も行っているけれど、中洲の方まで行ってみたのは本当に久しぶり。ひと昔ふた昔では済まないずっと前。

 

ひと昔ふた昔に四半世紀に半世紀。

 

10年20年、あるいは25年50年を表すちょうどいい呼び方はあっても、25年から50年の半端な時の流れを表すちょうどいい呼び方はない。それはつまり、25年から50年という時の流れはキリ良く折り合いがつくようなものではないということでもあるのかも。

 

四半世紀は余裕で過ぎているずっと昔にも、観光で中洲に来たことがある。その頃の中洲はザ・繁華街という雰囲気で、いかにも博多らしい屋台がズラッと並んでいた。札幌のすすきのだって、その頃はきっと今よりもずっと賑やかで、いかにも繁華街という雰囲気でいっぱいだったんだろう。

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(九州や本州ではもう桜が咲いていた頃の札幌は、場所によってはよってまだ雪が残ってた)

ディープなエリアとはまた違うせいか、散歩道が整備されてきれいに手入れされた川べりはブラブラお散歩するのにちょうどよく、水辺の開けた景色はリバーサイドやウォーターフロントと呼びたくなった。


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海が近く、ずっと昔から街だった。

 

そういう場所は人の出入りが頻繁で、“より良い”暮らしを求めて入ってきた人たちは、より良い暮らしが手に入れば躊躇なく出て行く。

 

人の出入りが激しいから賑やかだけど、その代わり汚れがち。汚れがちな場所をそれでもいつもきれいにしておくのは、きれいに使う人に入って来て欲しいから。

 

ほっておけば汚れがち。そんな場所をいつもきれいにしてくれていた人や人たちも、いつもは無理になって時々になり、時々も無理になってやがてお掃除できなくなる日がやって来る。そして、無理になった人や人たちの代わりに、また新しい人が現れる。

 

その繰り返しが10年20年では済まない長きに渡って続くと、昔の面影を探すことさえ難しい、きれいになった街が出来上がる。

 

たまにやって来て昔の面影を探す人にとってはガッカリだけど、ずっと住んでいた人やずっとお掃除していた人にとって、きれいになった街はご褒美。

 

美しいものやきれいなものは、美しいものやきれいなものを見た人にしか作れない。

 

だけど見ることと作ることはまた別で、美しいものを見た人すべてが美しいものを作れるわけではないから、ご褒美。


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