クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

お正月はハレの日

辰年にちなんで買ってみた、トロピカルフルーツの一種ドラゴンフルーツ。

 

糖度は8度ちょいだけあってさっぱりした味わい。スイカから水分を抜いてちょっとだけねっとりさせたような食感で、ややサクサク。キウイのような黒い種が散っているけれど、キウイのように気にすることなく食べられた。

 

ドラゴンという名を冠した名付けが、一番の関心かつ感心ポイント。

 

黒豆・栗きんとんにごまめにたたきごぼう紅白なます。ユリ根のイクラ和えにカニしんじょと帆立とほうれん草のしんじょ。豚ハム・ローストビーフに牛肉ロール、海老と山芋のうま煮にしめ鯖マリネ、筑前煮に大根のべっこう煮には焼き生麩をトッピング。カキのオイル煮込みにはギンナンを添えて、パクチーの明太子クリームチーズ和え。サーモンテリーヌに豚ハムとチーズのゼリー寄せ、ブリの漬け焼きに金柑のシロップ煮。それに買ったものを合わせれば、冷蔵庫はいっぱい。

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冷蔵庫よりもおもに胃袋の容量の問題で、今回はこぶ巻きもだて巻きも見送った。

 

例年のこととはいえ、年末におせち料理を作っていると比喩ではなく眩暈がする。眩暈がするほどの過負荷な作業は、好きでやってるから特に気にすることもなく平気でこなせるけれど、好きでもないのにやっていたら単なる苦行。

 

二度三度と回数を重ねるうちに過負荷でもなくなっていくから、何か新しいものを追加する。出来上がりももちろん大事。それ以上に、作るという作業そのものを体感する方が年中行事としては大事で、手抜きを考えるのは別の人のお仕事。

 

何しろ、そもそもやらなくてもいいことだから。

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材料を揃えるのがむずかしくなったかどうか。揃えた材料の質が良くなったか悪くなったか。作りたいと思っても作るための環境は変わっていくから、やっていることは料理や調理でも気持ち的には実験。

 

環境が刻々と変わりゆくなかで、今でも変わらずおせち料理という日本式の食文化が続けられるのかどうか。確かめたいのはそんなところ。

 

生まれも育ちも北海道の人から見れば、きっと違和感のある内容。出身地である関西から見たとしても作るものにはきっと違和感があるはず。お手本やサンプルに違和感あるいは苦手感があるから、自分で作りたくなる。

 

今年は家庭料理っぽさ、普段の食事でも出せそうなものを取り入れてみたので、お煮しめ筑前煮の味付けで濃くしてみた。しょうゆ大目になるから出来上がりは茶色っぽくなってしまうけど、味が濃いものは白いご飯との相性がいい。

 

家庭料理っぽいものをお正月に取り入れたくなるのは、環境由来の変化。環境に変化がなければ非日常性は増したはずで、例えばラム肉で煮込み料理みたいなものも作りたかった。

 

家人に評判がよかったのは、ごまめ。あらそんなものが美味しく感じるようになったんだと思うけれど、ごまめは作り立ての方がより美味しい。美味しく仕上げるのは面倒で、面倒な作業を厭うとあんまり美味しくないものになって別になくてもいいになりがち。

 

普段は口にしない小魚系はきっとカルシウム豊富で、ほんとは普段から食べた方がいいんだよなと思いながらもケーキを作るよりもハードルが高い。

 

そもそも面倒な工程が多く見栄えも大事だから、おせち料理は普段からお菓子を作り慣れていれば作りやすい。それでもケーキやお菓子を作る方が負担にならないというのも一種の教育の成果で、日本には目移りするほど美味しいお菓子がいっぱいなのも納得。

 

半端に余ってしまう食材は使いにくい。だから有効活用や使い回しの回路が開くと、余すことなく使い切れる。


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(師走にはまとまった雪が降り、雪国らしい年末の景色になった。)

だしを取る昆布は旅行先で買ったもの。旅行先でご褒美かつお土産用として買ったものだから、とても普段使いはできないもの。だしを取ったあとも有効活用したいから、次はあれを作ろうこれを作ろうになる。そうやって始末がつくと、たいへん清々しい。