古典とは、タイトルだけが有名で、その中身をちゃんと読んだ人は少ないもののことを言うんだとか。オリジナルの古典そのものよりも、解説の方がより広く読まれている。そんなものかも。
解説者の解釈込みで拡散していくから、伝言ゲームのようなもの。最後はオリジナルとは似ても似つかないものとなり、オリジナルを知るものからすると、一体なんですのコレ?と言われることもありそう。何しろオリジナルの古典そのものは、大して読まれてないんだから、その気になったら改変も容易。
どこから改変されているのか。面白おかしく創作や改変が加えられたものを避けていくと、結局は時代を遡ってオリジナルと同じ時代にまで近付いていくしかなく、時代を遡るから当時の文法や文脈がわかる人にしか近付けない。だから容易に人を寄せ付けない、高山や秘境みたいなものになっていくんだな。
今さらながら、12月に食べたもののふりかえりその2。年も押し迫った12月後半は、ホリデーシーズン。クリスマスに何をデザートとして食べ、何を作るのか。11月くらいに目星をつけておくと、余裕が生まれる。
24日のクリスマスイブは、一ヶ月で最も気合の入った献立だった。塩釜のローストポークにグリルしたにんじんとポテトと蕪に、カマンベールとブルーベリージャムのソースで。紫キャベツのマリネにクレソンと油揚げのパルミジャーノチーズサラダ、ほうれん草のフィットチーネにカニクリームトマトパスタ、シャンパン・オ・フレーズ気分でシャンパンにはいちごを入れて、クリスマスベリープティングにもいちごとチェリーのコンポートを添えた。
翌25日のクリスマスは、白インゲンと鶏肉の蒸し煮に、ホワイトアスパラガスのサラダ、紫キャベツのマリネにバゲット、玉ねぎのポタージュ。
オニオンスープの澄んだスープではなく、玉ねぎをまず蒸して柔らかく甘くしたあとは、普段ポタージュを作る要領通りに。蒸すと糖度が上がるので、玉ねぎの甘みだけで美味しいポタージュになった。デザートは、引き続いてのクリスマスベリープティング。
パン粉を使ったレシピなので、素朴系デザート。パン粉の値段もピンキリだと初めて知ったね。
素材にこだわりたかったら、添加物なしか極少のパンを堅くなるまで放置して、それからパン粉状にすり下ろせばよかったけど、そこまでする根気はなかった。混ざりものなき生活への道は、遠く険しい。
オイルサーディンのパスタ。ハンバーグと紫キャベツのマリネ、マッシュポテト。大根と牡蠣の炒め煮、菜花炒め、マッシュポテトと卵。ときてクリスマスへと突入し、クリスマスを終えたあとは、いきなり炒飯で平常心を取り戻す。塩釜のローストポークを使い回した炒飯にはきんぴらと蕪の中華風マリネで、ゴマ油を使うから中華風。
卵の白身と黄身、みじん切りピクルスをトッピングしたカツレツをトマトソースに浮かべたカツレツイタリアンは、彩りがきれいでハレの日向き。ホワイトアスパラのサラダを添えた。つけ麺に蕪の中華風マリネ、キャロット・ラペに白菜の甘酢漬けは、仕事納めとされる28日のもの。
いよいよ年も押し迫ってくると、春菊のジューシー風混ぜご飯にまぐろのレアステーキ、サーモンテリーヌに白菜の甘酢漬けと味噌汁。スープカレーご飯にサーモンテリーヌ、キャロット・ラペでいよいよ迎える大晦日。
海鮮ちらし寿司にローストビーフ、数の子入りポテトサラダに茶碗蒸し、それにくるみ入りのごまめ。黒豆・栗きんとん・サーモンなますはもちろんお正月との兼用で、最後は年越しそばで〆た2019年。
ごまめを始めて作ったけれど、揚げずに辛抱強く炒りつけて作ると苦みもなくサックサクで、出来立てほど美味しかった。くるみやその他のナッツを入れて作るとより食べやすく、副菜やちょっとした一品にもちょうどよし。ピーカンナッツでもきっと美味しい。
焦がさないように、辛抱強く炒りつけて。なんて工程は時間がないとできないから揚げたものをよく見るけれど、炒りつけた方が先にあってきっとオリジナル。
時間がない。という理由や口実で、実に多くのものが失われていくものさ。
“ありふれたその辺のスーパーやデパートなら手に入る食材を使いたい“と思うと、めちゃくちゃ変わったものは出来上がらずに、代わり映えしないものになる。素材が変わり映えしないから、代わり映えしないものばかりなんだけど。
素材が変わっちゃったから、冷凍やレトルトで有名店と同じようにゴージャスっぽいものを自宅で食べたいかというと、ノンブランド志向だからそういう方向にはなりそうもない。
素材が変わっちゃって、以前のようにはもうならないその時は、お正月あるいは年の瀬の過ごし方そのものが変わり、年の瀬やお正月の意味もそのうちに変わるんだろうと思う。
北海道に来て始めて、ホワイトクリスマスにはならないクリスマスになるかもと思った。雪が完全に消えたわけではなかったけど、ロードヒーティングをしてるわけでもないはずのアスファルトの地面にさえ雪がなく、今振り返っても本当に雪の少ない年の瀬だった。
異常気象は、何しろ異常だからそれだけでもう、人心が落ち着かなくなる。異常な状態が常態になると、落ち着かずに浮足立った人心も常態になりそうでイヤさ。