クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

写真には写らない

この見事な紅葉にまたはなし。今年の猛暑も二度とごめん。

 

寒暖差が激しいと、紅葉はより鮮やか。

f:id:waltham70:20231111154453j:image

夏が過ぎても例年よりずっと暖く、秋が長い。そう思っていたらやっぱり突然冬がやってきて、いつものように寒くなった。札幌は今日が初雪、例年より十日は遅いんだとか。

 

記録を次々に塗り替えた、2023年のような猛暑はきっと当分はない。だから、とびきり鮮やかできれいな今年のような紅葉が長く楽しめるのも当分はなく、これっきりだと思うから木々の赤も黄色も一層鮮やかなのかも。


f:id:waltham70:20231111154537j:image

f:id:waltham70:20231111154533j:image

写真より実物の方が、ずっときれい。

 

そう思う時が買い替えどきで、きれいやカワイイで思わずシャッターを押したくなる機会が増えるとカメラやその他の買い替えが進み、そうでもないと買い控え。

 

スマホや携帯。今のように誰もがカメラマンだと、買い替えを推進したかったら最早環境、景観に手を入れる方がユーザー個々に働きかけるより手っ取り早いのかも。

 

そして、きれいな景色で美しい景観だけど、その地で生活する人の気持ちや心はバラバラな場合と、きれいでもなければ美しくもない景色や景観を共有しているけれど、その地で生活する人の気持ちや心はほぼひとつで団結しているケースと。

 

どちらかが好みなのかには、美しい景色や景観がどうやって生まれてきたのか。その過程をすっかり知っているかどうか。あるいはどのくらい関わっていたかどうかにも左右され、美しい景色や景観が誰にでも好まれ肯定されるようになるには相応の時間が必要なんだろう。

 

今はとってもきれいになっているけれど、昔々あそこではひどいこと(あるいは恐ろしいこと)があったんだよ。という記憶が生々しいうちは、事後がどれほどきれいになろうと手放しで肯定はできない。

 

肯定はできないけれどきれいになった。その事実を曲げるほど否定的でもない。そういう時は態度保留で遠くからそっと見るくらいがちょうどいい、にもなるのかも。

 

きれいにしようと頑張った結果きれいになっても、きれいになったからとわざわざ汚しにくるような輩が現れる。それも次々と。

 

そういう場所が都会で都市で、10年前より今現在。20年前より、50年前より今現在の方がずっときれいで気持ちよく過ごせる場所になっているなら、それが結果。

 

きれいにする努力を放棄した場所よりきれいなのも当然で、画一的なことしかできないロボットやマシンでは代われない、その種の労働力が豊富だったからに尽きるんだと思う。