朝6時前で既に27℃。
数字だけ見れば暑っ!と思うけれど、日中に比べれば涼しい風が吹き、風が抜ける場所があれば数字のインパクトほど暑くはなく、むしろ心地いいとさえ思う。
夏だもの。
歩くたび、体を動かすたびに汗が吹き出してくるのは当たり前。暑いだけでなく湿気もたっぷりだから、お肌だってしっとり。と、暑いとはいえ良い面にも目を向けられるのは、そもそもが寒いから。
そもそもが寒い地域。だから、相対的に酷暑に晒されている場所よりは涼しいというだけで、涼を求めて一時的に何かが押し寄せてきたとしても、涼が寒に変われば速やかに引いていく。
酷暑に極寒。どちらにも耐性があるのなら頑丈で、どちらかにしか(あるいはどちらにも)耐えられないのなら脆弱。暑さ寒さを避けて移動する遊牧民のように暮らすわけにはいかなかったら、建物や都市を頑丈にするしかない。
地図を見ると東京の銀座は海に近く、海風をふさぐように高層の建物ができる前は海からの風でずっと涼しかった。そう聞いたり読んだりしたことがあるけれど、建物の外が真夏でも時には涼しかったのは大体どこの都市でも同じで、その代わり建物の中が涼しくなった。
空調、エアコン代を気にする必要もない景気良さげな建物ほど冷房がよく効いていて、冷房対策をしていないと寒いくらい。
夏涼しく冬暖かいのは、建物が頑丈かつ頑丈な建物を支えるおサイフが安泰だからで、都市にあってもどちらかの条件が欠ければ、夏は暑く冬は暖かくないになることもある。
凍ったバナナで釘が打てる。極端な寒さでない限り、寒さは着込めば何とかなるけれど、暑さをしのぐには個人の努力では限界がある。
屋上緑化に壁面緑化。場合によっては打ち水のような仕組みで都市を冷やすのは、暑いから不快を取り除いて少しでも過ごしやすくするための知恵。
窓の外には壁。だけどその壁には壁面緑化が施されていて、目にも涼しい。
というホテルに泊まったことがあるけれど、アスファルトより地面。それも苔むしたり木陰わっさわさで緑いっぱいの方が、視覚的だけでなく実際に涼しい。
どこもかしこもアスファルトに覆われた都市で、緑いっぱいの地面が確保されているのはまず都市公園。ついで由緒正しいあるいはリッチマンのお屋敷や神社仏閣やそれらにルーツをもつもので、人の手が入っているとはいえ緑ゆたかな自然は大体巨視的。
全体最適を考えて配置されたもので、あってよかった木陰いっぱいや水辺たっぷりの親水公園や広場。
あるエリアにおける緑地面積が、増えたり減ったりした時は、マクロな目で見直せば再配分で再配置で移動対象で、移動対象とともに異動させられる方はたまったものではないけれど。
全体最適に従った方が、個人の幸福度も上がるのなら異動は受け入れられやすく、下がるのなら異動は増えない。
最も気温が高くなる時間帯であっても、何車線も確保された大きな通りは風が抜け、大きな通りに沿って配置された高層かつ大規模な建物は日陰を作るから意外と涼しい。
大きな通りを作り大規模な建物を配置するには巨人の目が必要で、巨視的であってもその地で動いて暮らす人にとってもしのぎやすい工夫がこらされているのなら、本当に巨人のお仕事。
ある時代、特定のエリアや特定の人たちから多大な敬意を払われる。偉大と形容されるような人が遺したものなんだと思って都市を眺めてる。
札幌駅の前は、札幌でいちばん地面のお値段がお高い場所。
そんな場所に、上から見ても下から見ても、まっすぐありのままに見ても心地よい(心理的にも物理的にも)、そんな場所を作ってサンプルとして置いておくような人たちは、隣の芝生ではなくきっともっと遠くの方を見ているんだろう。