クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

着るものくらいではどうにもならない。

寒さは着込めば何とかなるけれど、暑さは着るものくらいではどうにもならない。

 

札幌はこの夏いちばんの暑さで、いちばんの暑さなのに札幌に限らず夏休みはどこも短縮気味で、要するにこの夏の経験値は特殊で特別だから、特殊要因に基づいた数値はあてにならない異常値。

 

だから特殊要因に基づいた、あてにならない数値を叩き台にした意見もまた、異常であてになんかならない。

 

同じでくくった特定領域で、平均をぶっちぎって突出した数値は単なる異常値で、外部要因が入り込む余地が大いにあったら、外部からの介入が大いにあったってことになる。

 

何かを考える時にはやっぱり「なぜ?」から入るとわかりやすくて、見る人が見ればはっきりとわかる異常値を叩き出しているのか、叩き出せているのか。そこさえわかれば、あぁそうなんだと納得に変わる。

 

納得できる理由さえわかれば、異常値であっても再現は容易になって、容易だからよく似たものがあちこちに出没し始める。あちこちに出没するくらいだったら、実は異常でも何でもない。

 

目立つように目立つ場所に置かれただけだから、単なる目くらまし。

 

見つかって困るものや目立つと困るようなものは、そもそも目立つように目立つ場所になんか置かない。

 

30℃を超えると札幌でさえ暑く感じるけれど、風さえあれば本州に比べればたかが知れてる。札幌に限らず地方はどこも、風さえ通れば酷暑と言っても案外過ごしやすくて、過ごしやすいのは環境由来。

 

環境由来だから、環境が変わると風も抜けなくなって、暑さが厳しくなるほどにどこもリトルトーキョー化が進んで、リトルトーキョー化が進むと地方であってもどこも都市と似たような問題に直面するようになるのかも。

 

都市特有の問題といえば、あれにこれ。と、ピンとくるような人はそもそも都市を避けるようにすると、都市に特有のあれやこれとも可能な限り無縁なままで、酷暑であっても涼しい風にあたって涼しいままでいられるのかも。かもかも。