クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

一目瞭然

一目瞭然、ひと目でわかる。一覧性を備えたものは何かと便利で重宝する。

 

例えば鉄道路線図や道路地図。どの辺りが過疎っていてどの辺りが過密なのかがよくわかる。坂道のあるなしなどの高低差は、路線図をいくら眺めていてもさっぱりわからないけれど、地下鉄に在来線と複数の路線が乗り入れているのなら人の出入りが激しく交通量の多い場所で、要するに人の目が多い。

 

常時多数の人が行き交うような場所で、スムーズに動けるのなら平均値が高い。

 

その場所でスムーズに動くためのドレスコードにマナーといった標準をクリアしているから動きも滑らか。その場に相応しいドレスコードやマナーに疎いと動きはぎこちなくなって、その場所との齟齬ばかりが目立つようになり、動けなくなってフリーズしがち。

 

過疎ってる場所からより過密な方へ。移動するたびに各種のマナーやコードは厳しくなって、高くなったハードルを越えるまで小休止する場が必要となる。

 

マナーやコードをすでに備えていると、小休止する場に留まるコストは安くなって小休止する時間(あるいは期間)も長くなってゆっくりすることができる。

 

先を急いでいるからゆっくりするような暇はないけれど、小休止したいのならメンテナンスという理由がメインになる。

 

体を休める、移動手段の手入れ、移動に必要なモノの仕入れと移動が長期かつ長距離に及ぶと、人もモノもメンテナンスが欠かせなくなる。

 

宿場町のように、昔から人の往来があって長距離を移動する人のためにできた場所は来歴を生かしてそもそもあったものを活用すればいいけれど。

 

人の往来などなかった場所に人やモノを通し、人やモノの移動に備えた何かをいちから作ろうとするとまずは調査が欠かせない。

 

歩く人もいれば走る人もいる。自転車に二輪に四輪にベビーカー、そのどこにも分類されない移動手段と平時でも各種の移動手段が行き交っているのが都市。平時でさえ混乱しがちなものは繁忙期になると混乱に拍車がかかり、拍車がかかったツケはメンテナンスコストとなってメンテナンスする側に回ってくる。

 

生き物の世話は大変で、大変だから手が離せず目が離せずそうそう留守にもできなくなる。

 

ガーデニング用の底面給水プランターに自動水やり器。留守にすることもあるとわかっていたら、あらかじめ備えておく。

 

街も生き物で、生き物だから世話やケア、メンテナンスする人がいない街は荒れる。メンテナンスする人のいない街に、何らかのメンテナンスを必要とする人たちが押し寄せてくると荒廃は加速する。

 

短期間で急速に様子が変わる街が出来上がるのは、多分そういうことなんだと思う。

 

手入れが行き届いているのかそうではないのか。地図や路線図を眺めているだけではさっぱり見えてこないから、現地まで足を運んで確かめる。確かめる人の目が多い場所はやっぱり平均値が高くなってゆき、平均値が高い方が効率も上がりやすくなるけれど。

 

高効率だけを追求すると手を抜いた場所が丸わかりで、効率と手抜きの直結があからさまでみせしめ的要素が満載だとメンテナンス担当が変わるんだろう。

 

歴史を重ねた場所相応に注がれる人の目が増えると、“あからさまな手抜きと懲罰的みせしめ”はできなくなるから、効率と手抜きが直結しやすいのは常に新しい場所。手抜きが横行しやすいから、新しい場所は敬遠されがちということもあるのかもしれない。かもかも。