クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

育てやすさとは別物

ボーディングスクールという存在は知っていてもその中身についてはよく知らなくて、エンタメから聞きかじった知識どまり。

 

集団で起居を共にするから起床や就寝、食事に門限といった定時行動がつきもので、身だしなみにも厳しい。大体ボーディングスクールは名門で、名門の名を背負うとドレスコードがついてくる。

 

集団で行動するから、寝間着で寝ぼけまなこのまま食事といった行動は取りにくくなり、自然お行儀がよくなっていく。というのが、乏しい知識に基づいたイメージ。

 

行儀や作法を身につけると、集団内であってもスムーズに動きやすくなる。要するに行儀や作法といった面倒を面倒とも思わないような生活態度を獲得すると、行儀作法に割く時間をもったいないや時間の無駄とは思わずついて回るものだと思うようになって、生活のなかに自然に組み込まれていく。

 

誰もが面倒だと思う作業は基本自動化の対象で、電源をOnにすればあとはほったらかしでおまかせなのが全自動マシン。

 

電源を入れてもほったらかしにもおまかせにもできないのなら全自動ではなく、面倒がそこかしこに潜んだまま。

 

そこかしこに潜んだ面倒に、いちいち面倒だと思って取り組む姿と、面倒を面倒とも思わず面倒はつきものなんだと思って面倒に伴う負担を最少にしつつ取り組む姿のどちらに余裕を感じるかといえば、フツーは後者。

 

ボーディングスクールの学費はお高いはず。

 

高い学費を払ってその場に居るならフトコロに余裕があるはずで、フトコロの余裕が自然と態度に現れるような生活習慣を獲得する場でもあるんだと思えば、集団で起居をともにしながら家庭を離れて学ぶ対価としての高い学費にも納得がいく。

 

やっぱりエンタメ、特に時代もののなかでよく見掛ける“行儀見習い”というシステムも、家庭に居ては身につかない生活習慣を身につけるという意味では似たようなものかも。

 

まだ子どもといっていいような年齢の子が、生家よりも立派で金銭的にも豊かな家庭で経験豊富な雇人から、生家では身につかない生活習慣を身につけていく。生家では身につかない生活態度や習慣が時には良縁に繋がるのが行儀見習いの一面で、良縁に繋がらなくてもよき生活習慣や態度を身につかせたい側と、時には良縁を世話してもいいと思うようなよき働き手とのマッチングの場でもあったともいえる。

 

紫蘇やパセリは家庭でも育てやすくて収穫もしやすいけれど、特に紫蘇はそもそも安価なだけに商品作物として流通しているものは家庭菜園で育てたものとは別物で完成度が高い。

 

完成度が高いものをめざした時、行儀や作法にめざめ、差別化にめざめると高い授業料も厭わなくなるのかも。かもかも。

 

フトコロに余裕があるはずの人から余裕が感じられないと、人は足元を見るような態度に出ることもあってまた新たな面倒が増えてゆく。

 

余裕があるのは常に少数で、少数だからブラッシュアップもしやすいんだろう。