クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

個人的にほっこり

粒度にはもうちょっとバラつきがあった方がよくて、ついでに卵の味がもっと濃厚だとより美味しく感じられて好み。スポンジケーキの話なんだけど。

 

気泡もなく断面がきれいに揃ったスポンジケーキが焼けると、よく出来たとそりゃ嬉しくなるもんだけどさ。それが美味しいかどうかの基準はまた別で、粒度も感じられないほど粒揃いだと、いまひとつ。毎日お粥食べても飽きないような、ソフトな食感が好みだと、粒度も感じられないくらい粒揃いで舌の上で蕩けそうなほど柔らかい方がいいのかもだけどさ。

 

美味しいのかどうか。未知数の時にはバックトゥベーシックで、シンプルで基本的なものを試してみると、合う合わないがよくわかる。基本でベーシックなものがまず舌に合わないと、恐らく全般的にどれも辛口評価になって、何食べても満点評価にはなりにくそう。

 

型がなってないと、型やぶりがサマにならないのも似たような理屈かも。

 

最近は気温が高めで、路上の雪もほとんど融けてる。それでも一部が凍った池の中で、鴨が寒そうに泳いでた。泳ぐのがイヤなのか、池の畔で寒そうにうずくまってる鴨もチラホラで、鴨だってやっぱり凍った池の中では寒いんだな。

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ちょっと前の鳩。鴨もこんな風に、首をすくめて丸まってた。

型がなってないと型やぶりもサマにならないとはいえ、型が決まっていて定型化しやすいとすみやかに機械学習や自動化の餌食にもなりそうで、だから好んで不定形を選んで型を定めない。おとなしくエサになるのがイヤだったら、そのくらいの抵抗はやりそうでありそう。

 

鍛錬のたまもので、元々はお手本になれるような型通りが身に着き過ぎていると、型を崩して不定形をとるのも難しそうなんだけどさ。そもそもお行儀がよい人に無作法を強いたところで、多分無茶苦茶不自然にしかならなくて、もともと行儀の悪い人にお願いすると、無作法も難なく務まる。

 

無作法で傍若無人な振舞いで眉をひそめられてきたような人が、ある日突然マナーの行き届いた紳士淑女になれるかというと、そんなの無理。後天的な学習の成果、それも超絶努力した結果です、パンパカパーン!と、生まれ変わった姿を派手に宣伝したところで、タイマーや我慢が切れたら続かない。

 

続かないから、更生がウリで超絶努力の結果がウリな、更生したはずの人の姿もいつの間にか見掛けなくなる。

 

本当にそんな人居たの???と、疑問に思うのはそんな時。特に、セールスポイントが一緒で下位互換や上位互換したような、全体から受ける印象がよく似た別の人がパンパカパーン!と登場した時には、ことさら強くそう思う。

 

ついでに、超絶努力のすえに本当に更生して成功したような人が、派手なイロモノ扱いを好むかと言うと、そこも疑問。重たい看板を背負わされ、あるいはイヤイヤ担ぎ上げられた神輿にでも乗っていれば、また別の話。

 

重たい看板と、乗せるのは誰でもいい神輿は、どっちかっていうと逃げられないように押し付けられるもの。押し付けられた側は、次に押し付けたい誰かを見つけるまでは降りられないようになっていて、ある意味片道切符。

 

行きはよいよい帰りは怖いじゃなくて、帰れるかどうか未知数な片道切符のお値段は、そうと気付かれないようにきっとプレミア付き。とか考えると、個人的にほっこりした。