クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

カップリング

人格や生活態度が、一般的な基準や水準から大きく逸脱していても生活そのものは破綻していない。

 

破綻するどころかむしろ水準以上だったら、生活を営む何らかの技術や技量は標準以上だってことになる。

 

人格や生活態度の向上と生活水準の向上がワンセットであることが推奨されるのは、パーソナルスペースが極端に狭いケース。常に人がひしめいていて、黒山の人だかりが即座にできがちなスペースでは、無作法を働くスペースも残されてない。

 

無作法を働くスペースがないから、人格や生活態度を磨いて不特定多数がスムーズに行き来できるよう設計する必要があるけれど、スッカスカな場所ではスムーズに行き来できるか否かは、気にする最重要事項じゃない。

 

だから常に人がひしめきがちなスペースでは、人格や生活態度が標準を上回る方に優先権を与えると、人の行き来はスムーズになる。人の行き来はスムーズになるけれど、生活水準の向上がセットかどうかはまた別のお話で、また別の設計が必要になる。

 

例えば電車男とショッピングの女王というカップリングは、大量輸送可能で不特定多数が行き交う場所では何でもよく売れる例として秀逸で、電車に限らず空港でも豪華客船でも通用する。

 

そもそも多数の人が行き交う場所では何でもよく売れるから、大量に売り物を用意できる側にいると、その立地を狙いにくる。

 

人がひしめくような場所では売り物さえ多数あればいいわけで、大量に作れるものしか売れないわけじゃなく、少量しか作れないものでもよければ、どこでも入手可能なものである必要もなし。

 

大量に売り物を用意できる側の人が、いつでもどこでも大量に売ってるものを愛用しているかどうかはまた別で、売り物と自家消費用は別モノという人はきっといる。

 

売り物は、売れるようにという制約や注文に応じて用意するけれど、自家消費用として愛用しているのは全く別のモノ。

 

という状態は極めて自然だけど、じゃあ自分では食べられない使えないものを商品として扱っているのかという話にもなりかねず、大量に売り物を用意する側それも責任の重い側が、自身のプライベートな嗜好をあからさまにするには、いろいろ具合が悪い。

 

プライベートを切り売りするなら、次々と好みをとっかえひっかえしていくとその種の不都合は解消されるけれど、そもそも消費には興味が薄いと、好みのものも次々には見つからない。

 

空港も鉄道も港も。そもそもは輸送のためで、ショッピングのためだけの場所じゃない。輸送が先でショッピングは後付けだから、ショッピング目的の人やモノで輸送が滞ってスムーズに運ばないのなら、スムーズに運ぶためには優先順位が生まれる。

 

人格や生活態度といった、生活水準とは本来無関係のものが輸送や人の行き来といった局面で優先されるのは、だからすべては人の行き来をスムーズにするためのもの。何らかの反省がなきゃ、そんな発想はそもそも生まれてこない。

 

ショッピング目的で作った場所なら、輸送のための準備はできていてもショッピングの女王か王様(あるいはプリンスかプリンセス)を連れてこないと、機能しない。