クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

喧嘩は安上がり

世界でもっとも高価なものは、世界平和。

 

小競り合いも含めれば紛争のない日を見つける方が難しく、“みんななかよく”を実践かつ実装するのに必要なコストに比べれば、喧嘩する方がはるかに安上がり。喧嘩する方がはるかに安上がりだから、“金持ち喧嘩せず”なのがよくわかる。

 

希少なものの方が価値は高く、付加価値の高いものの方が、お金持ち好みだから。

f:id:waltham70:20190618154049j:plain
f:id:waltham70:20190618154045j:plain
大通公園のバラは、すでに満開。

お金持ちの人が“みんななかよく”、意見の違いはあってもそれはそれとして、喧嘩しても後腐れのない場を用意できるのは、お金持ちだからできること。お金持ちじゃない人にはそんな場は用意できないから、いつまでたっても小競り合いを繰り返す。喧嘩は安上がりで、コストをかけずに楽しめる娯楽だから。

 

娯楽に実利が絡むと、より前のめり。競馬を筆頭に闘犬や闘鶏と“競う姿を見て楽しむ”ことで観客をヒートアップさせ、ちゃりんちゃりんと誰のフトコロが潤うのかといえば、結局は胴元。ギャンブルでもっともフトコロが潤うのは胴元で、胴元を儲けさせるために観客をヒートアップへと誘うのは、胴元の忠実な手下でしもべ。

 

見た目は胴元とはかけ離れた人種であっても、競争を加速させる人は胴元に連なる人。

 

お金持ちはつき合う相手を厳選しがちだから、自分達とはかけ離れた人種が自分たちに連なるとは思われたくないから、喧嘩をけしかけるような人よりも“みんななかよく“を実践しているような人を選ぶと思う。

 

コストも安く娯楽も兼ねていると、娯楽としての小競り合いを普及、プロデュースするとプチ胴元になれてメシの種となる。メシの種、それはつまり小競り合いの種をより多く抱えていることと一緒で、その種のトラブルメーカーがトラブルを繰り返しつつ胴元として肥え太っていくさまは、決してお子様には真似して欲しくない姿。

 

真似して欲しくない姿よりも、真似して欲しい姿の普及につとめるのが、大人。

 

トラブルメーカーがトラブルを繰り返しつつ胴元として肥え太ってお金持ちになっても、今度はその来歴ゆえに、お金では買えないものや手に入らないものが増えていく。普通にお金出しても買えず取引もできないとなると、例えば目を付けた会社を丸ごと買収して手に入れるように、最終的には高コスト体質になっていく。

 

高コスト体質あるいは高コスト生活は、誰もが真似できて続けられるものじゃないから難易度が高く、やっぱりお子様を筆頭に真似する人は増えない方がいい姿。

 

高コスト体質や高コスト生活をいっちゃん簡単にハックする方法は、誰かを身代わりに立てて手下のように使うことで、安くあるいは適正価格で手に入れること。それもやっぱり、真似する人は増えない方がいい姿。

 

何を言ったかより誰が言ったかで、“誰が”に比重が傾きつつあるのに、身代わりを立てたらそもそも誰が言ってるのかも、わからなくなる。そんな状態になったら、誰が何を言っても信用できなくなる。

 

誰が何を言っても信用できない状態は、万人の万人に対する闘争状態により近づいて、“みんななかよく”を実装して実践したいお金持ちがどれほど大金注ぎ込んでも、ただ吸い込まれていくだけ。

 

逆に言えば、大金を毟り取りたかったら万人の万人に対する闘争状態にすればいいわけで、ブラックホールに大金毟られたくなかったら、売られた喧嘩でも買わずにスルーが正義。ついでに、高コスト体質にもならずに済む。

 

売られた喧嘩であっても買わずにスルーでお金持ちになって、身を持ち崩さなかった人はくどくどしく言葉をつらねるよりも、態度で示してそう。

 

夏至が近いだけあって、19時を過ぎてもまだ外は明るくて時間の感覚が狂う。一年でもっとも昼の時間が長い季節。天気がいいと、有難みもマシマシなんだけどさ。